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8月 01 2016

神を思う

かわいそうに、今日は朝からずいぶん元気がありません。よほど天罰がくだっているのでしょう。

その天罰を食らいまくりの会社が元気がないうちに書きましょう。(いつも途中からキレ出してじゃましだしますから。悪魔に憑かれてです)

昨日、相撲のことをこのブログに書きましたら、元横綱であった親方が亡くなられました。(すい臓癌であったそうですが)

たまたまとは思えないタイミングです。やはり日本人横綱は望まれているのかもしれませんね。(そういうことを知らされたように感じます。元横綱が亡くなるということは、日本人で横綱であった方が段々減って行くということです。日本の国技である相撲の横綱で日本人の横綱であった方が誰もいなくなったら、もう相撲は日本の国技といえなくなります。日本人横綱の誕生は急務なのではないでしょうか)

そういう意味では日本人力士にもっと頑張ってもらわねばいけませんね。日本の伝統は日本人が守らないといけないからです。

相撲取りとはいえ、少し法の勉強をされてはどうでしょう。法を勉強し実践されるのなら、公私ともに奇跡が現れるからです。

しかし、それは相撲だけではありません。ゴルフやテニスでも世界で戦える選手がたくさん出てきました。しかし、あと一歩が足りないのです。(今回もそうでしたよね。ゴルフもテニスもです)

技術的にはもう追いついているのに、しかし、何か足りない、その足りないものは何かということです。

日本人選手と他の外国人選手とでは何が違うのでしょう。足りないものとは一体何なのでしょう。

その外国人選手にあって、日本人選手にはない、その足りないものとは『神への思い』それなのです。

日本の人々は無神論を続けてきました。ということは、つまり、ゴルフをやっていようがテニスをやっていようが、まったく神を思わないということです。

それに対し、外国の選手は常に神を思っています。(ゴルフやテニスをしている時に神を思わない選手もいるかもしれませんが、潜在意識の中では常に神を思っています。外国の選手は、そのような神を思う生活を普段続けているからです)

その神を思うか思わないか、その差があと一歩の成績に現れるのです。(神を思わない共産国家のような国でもスポーツに強い国はありますが、そういう国は例えば今問題になっているドーピングとかを一生懸命研究します。神のかわりに薬を思っているのです)

どちらにしても、そのように心に強く思えるものがあるか、ないかで大きくその成績にも影響が出るということです。

自分や家族のこと、あるいは仲間のことをいくら思っても、神を思う心にはかないません。だから、その差が肝心なところで現れるのです。

日本人の神を思わない心、それがどれだけマイナスに作用しているのか分からないのです。

本当の正しい信仰をしていなくても、神を思うのなら、その人は神の加護を何らかの形で受けることになるからです。

しかし、神をまったく思わなければ、その人が神の加護を受けることはありません。

その差が技術的には追いつているのに、日本人が世界の大会でなかなか勝てない理由なのです。

日本には本当の神の教えが出ているのです。

その教えを勉強し神を思いながら、世界の大会で戦ってはどうでしょう。そうすれば、世界の大会で日本人選手が次々に勝つということも可能になるからです。(こちらは本当の神の教えを勉強しているのです。それはもう神のご加護が違います)

別に神を思うということは悪いことでも恥ずかしいことでもありません。それが当たり前のことであるのです。(私たちは神につくられた神の子であるからです)

その当たり前のことさえこれまで日本人はしてこなかった、それがスポーツだけではなく、これだけ災いが起きている現在の日本の原因ともなっているのです。

神を思われたらどうでしょう。(この本当の神の教えを多くの日本の人々が勉強するということです)

そうすれば、日本に災いがなくなるだけではなく、日本人選手が世界でも大活躍することになり、日本が世界から大きく注目されることにもなるからです。(これは断言できますよ。法を知って実践したスポーツ選手たちに次々に奇跡が現れたのは、このブログを読んでいる人たちはみな知っているはずです。その奇跡が続かないのは、法をもっと実践しようとする選手がいないからです)

この停滞している日本が(災いばかり起きている日本が)発展するためには、一にも二にもこの法の実践なのです。(法の実践なくして発展はありません。それどころか、今のような態度を続けるのなら滅ぼされかねないのです。〔現に滅ぼされそうなところがありますし〕現在の日本の人々があまりに神に対し不遜な態度を取り続けているからです)

この法の実践をするのであれば、多くの神の導きが得られます。

もう無神論の時代は過ぎました。これからは神の導きがなければ発展していかない、そのような世の中になって行くのです。

いつまで神を無視しているのですか?

だからよいことが起きないのです。

追伸…東京都知事選挙が終わりました。(何かダントツでしたね)

初の女性都知事の誕生ですか。さて、それがよいことなのか、それとも悪いことなのか、これから分かるでしょう。

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7月 31 2016

日本人横綱

昨日はまた前のバカ会社にキレたのがいて、物を叩き付けていたものですから、うるさいのでブログを書くのをやめました。

というのも、一昨日も帰ってくるとまたバカ会社の連中が凄い怒りようだったのです。(昼間に引き続いてです。何か災いが起きっぱなしのようです)

だから昨日も当然のごとくまたうるさくされるだろうと思い(この連中、相当怒っているようですから)それで無駄な抵抗はやめたのです。

そうしたら、昨日の午前中にもまた何か起きたようで、午前中にまたキレ出した奴がいました。

本当にもう次から次に現象が現れだしたようですが、それでも反省しないのでしょうか?

「滅ぼされないと分からない」どうもこの辺りの人たちは、そのような人たちが多そうです。(本当にこの辺りの人たちは凄いです。どれだけ罰が当たってもめげませんから)

そういう人たちをあまり相手にしていても仕方ないでしょう。滅ぼされないと分からないのであれば滅ぼされるしかないからです。(冷たいようですがどうしようもありません。自分たちが反省しないのですから)

今日は休みです。よく考えてみたらどうでしょう。天罰であるなら反省しない限り、その現象が激しくはなっても収まることはないからです。

さて話題を変えましょう。(あまり罰当たりな人たちを相手にしていて、こちらまで罰を当てられてはかないませんから)

七月も今日で最後となりましたが、今月は名古屋で大相撲名古屋場所がありました。

しかし、私たち日本人には、まことに残念なことに日本人横綱はまたお預けということになりました。(また来場所まで持ち越しですね)

「またかよ」とがっくりした人も多いと思いますが、そうはいってもやはり横綱は強いですね。白鵬も日馬富士も稀勢の里とはレベルが一つ違うといった感じでした。(特に終盤はです。白鵬も足の指のけががなかったら稀勢の里に負けなかったであろうしです)

稀勢の里は毎回ああですね。終盤になると急にもろくなるのです。実力はあるのにプレッシャーに弱いんでしょうか?しかし、そうなると横綱は苦しいでしょう。

白鵬や日馬富士のように終盤に強くないと、とても横綱にはなれないからです。

実力はあるのに優勝できない(だから横綱になれない)プレッシャーに弱いのかどうなのか、そこは分かりませんが、どちらにしても実力は横綱級で、それでも横綱になれないというのであれば後は心の問題ということになります。

心の問題であるなら、私の専門分野です。

何で稀勢の里は名古屋場所の時に私に聞きに来なかったのでしょう?私のアドバイスを受けるのなら、この名古屋場所で日本人横綱が誕生していたのにです。(ハハ、私も吹きますね。〔笑〕)

マァ、冗談はともかく、どちらにしても今のままではまた来場所も同じ結果となるでしょう。(心の問題であるなら、そう簡単に心は変わらないと思うからです)

同じ結果となるなら、当分日本人横綱は現れないということになります。

それではあまりに残念ですので(別にモンゴル人の横綱がいけないということではありませんが、前にも書きましたが、やはり日本人には日本人でないと分からない日本人の心があります。〔謙虚さなどのです〕相撲は日本の国技であり、それを体現してくれる横綱はやはり日本人であれば望んで当然でしょう)どうしたら(今一番日本人横綱に近い)稀勢の里が横綱になれるのか、私なりの意見を書いておきます。

私は(直接話したこともないので)よく稀勢の里という人を知りませんが、見た感じです。(あくまで見た感じはですが)少し心が固いのではないかと思えるのです。

そういう印象を受けますね。心が固くて四角四面なのです。だから、強いところはやたらに強いが、もろいところが出ると急にもろくなる、心が固くて四角四面であるからです。(そういう心の人は、やたら強い面とやたら弱い面の両方を持ち合わせていますから)

だから、そのような固い心がそこかしこで現れて、それで勝たないといけないところで勝てなかったり、終盤になると急にアップアップし出したりするのではないでしょうか。

心に柔軟さがないからです。

心が固いのであれば、当然頭も固い、だから稀勢の里は何から何までずいぶん固い人なのではないかと想像できますが、もし、そうであるならばです。

もう少し頭を柔らかくして(普段、冗談などいったりしてです)少し心を柔らかくしてみたらどうでしょう。

カチカチの冗談一ついわなかった人が、冗談でもいうようになれば、心の固さもとれてくると思うからです。

そうして、心の固さがとれてくれば、少し懐も深くなって、また違う相撲もとれるようになると思うからです。

これは園頭先生からお聞きした話ですが、園頭先生も昔は冗談一ついわない、堅物の人であったそうです。(それも超がつくほどのです。〔笑〕)

しかし、高橋先生から四角四面の心ではいけないと注意されてから、自分の心を少しずつ丸く柔らかくするよう努力された結果、懐が深くなって、昔は奥さんに何かいわれるとすぐにむきになりいい返していたそうですが、そういう奥さんから何かいわれても、余裕を持って聞くことが出来るようになり、円熟味のようなものが出てきて、多くの人の意見をよく聞けるようになったといわれていました。

カチカチの四角四面の心では、自分と意見が合う人の意見は聞けても、意見が少し合わないともう聞くことが出来ない、それでは円熟味も出て来ない、それでは心も広がらないということになります。

心が広がらなければ、自分が出せる力も限られてくるでしょう。それでは横綱にはなれません。

カチカチの四角四面で強いだけの心では、ある程度の強さまでは行っても(別に大関まで行けば、十分といえば十分なのですが)最高の強さ(横綱)までは手に入れることが出来ない。そこは、その固くて強い心にプラスして柔軟さがなければ横綱になることは出来ない。

それだけの心の厚さ広さがなければ、最高の強さを手に入れることは出来ないと思うからです。

何でもそうですが、やっていることの一番を目指すのであれば、固くて強い心だけではなれないでしょう。それプラス、柔軟さ、円熟味が出て来ないと、一番上にはなれないと思うのです。

稀勢の里は、その心の柔軟さ、円熟味、それが足りないと思えるのです。

どこまで当たっているのか分かりませんが、マァ、私なりに日本人横綱誕生のためのアドバイスを書いてみました。

来場所は期待しています。

(そのような心の改革プラス、神に祈るのであればです。〔「今場所自分にとって最も良い相撲がとれますように」とです〕来場所の日本人横綱誕生の確率は百パーセントということになりますが、いかんせん、そこまで法が拡がっていませんので、そこまではいいきれませんね。〔笑〕)

追伸…さて、今日は(話題の)東京都知事選挙です。(何せ、参議院選挙より話題でしたから。〔笑〕)

誰がなるのか分かりませんが、おかしな人が都知事となるなら、東京に何が起きてくるか分かりません。

くれぐれも選ぶ人を間違えないよう願っております。

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7月 29 2016

救われる道

昨日は前のバカ会社がうるさくて書けませんでした。

一昨日の夜ですか、かなり前の会社が怒っていたのです。もう凄い怒りようで、それが夜の十一時ごろまで続いたでしょうか。(よほど文句をいいに行ってやろうかと思いましたが、そこが微妙で、キレるほどはうるさくないという絶妙なうるささでした。〔苦笑〕)

そういうことがあった翌日の朝です。(昨日のことですが)もう朝からうるさいだろうと予想して、何度かうるさい音を立てたものですから、即ブログを書くのをやめたのです。(どっちみち無理して書いていても、途中でやかましくされ書けなくなるだろうと思ってです)

そうしたら、即、何か起きたようで(宇宙即我ではありませんが、悪即天罰ですね)昼休みにも、でかい音を立てて怒っているオッサンがいました。(そいうことは今までしませんでした。よほど悪いことが重なって起きているのでしょう)

そうして今日の朝です。なんと昨日以上に怒っているではありませんか。(朝早くからでかい音を立てていましたから)

もう次々に悪いことが起きているようで、さすがに今日は(露骨には)ブログを書くじゃまは出来なくなったようです。(あまりに起きすぎてキレることも出来なくなったんじゃないですか。それでも無理してやっていますが、無理しているのがありありと分かります。かなり引いているからです)

しかし、それだけ起きてもまだ分からないんでしょうか。自分たちが悪いとです。

私は、祈ることは減らしているのです。(昨日でもそうです。では、ブログを書かなかった時間に前の会社を徹底的に祈ったのか、といえば、そういうことはしませんでした。もうそんなに祈らなくても、ドンドン悪いことが起きているからです)

その祈りを減らしているのに、悪い現象が起きる頻度は増えているのです。

では、私の祈りは(その起きている悪い現象とは)関係ないと思われないでしょうか。もし、私の祈りがその現象と関係しているのであれば、私が祈りを減らせば、起きる悪い現象も減らないといけないからです。

しかし、実際は私の祈りに関係なく、起きる現象は増えているのです。

祈りは少ないのに起きる現象は増えている、これが私の祈りと、その起きている現象とは何のかかわりもないという何よりの証拠です。

では、その起きている現象とは何なのか?ということです。

天罰以外に考えられないのではないですか?

天罰であるなら自分たちが反省しない限り、その現象は止まらないからです。反省しない期間が長ければ長いほど、起きる天罰は激しくなるからです。(天罰ってそういうものですよね)

自分たちが悪いことをしていて罰が当たっているのに、その悪いことを自分たちがまったく反省しようとせず続けているのなら、その罰はだんだん激しくなります。

その通りのことが起きているのです。

では、その起きている悪い現象は天罰なのではないですか。起きている現象の起き方が天罰としか思えないからです。

そうであるなら、その悪い現象が起きている原因はもう明白でしょう。

その起きている現象が天罰だというのであれば、その原因は自分たちの悪い行いにあるからです。そうであるなら、その行いを正せばいいのです。

そうすれば、その悪い現象は止められるからです。(天罰であるならそうですよね)

だいたい、人を次々に病気にするなどということをまともな人がするはずがないでしょう。

そんなことをすればそこらじゅうで恨みを買うだけで、下手すればこちらの命まで危なくなるのです。

なんでそんなことを好んでするのでしょう。頭がおかしくない限り、そんなことをするはずがありません。

それは少し冷静に考えれば分かるはずです。

しかし、そういうことが冷静に考えられないくらいのことが起き出したのです。時代が変わったからです。

その時代が変わったということを多くの人はいつまでも理解しようとしないのです。

だから責任転嫁ばかりしているのです。そういう現象が起きている、その理由がよく分からないからです。

しかし、起きてくる現象が早くなったのだけは確かなのです。(善因善果、悪因悪果のです)だから、こういうことが起きているのです。

私が人を病気にしているのではなく、心を救われた私にまったく感謝もせず、嫌がらせのような行為ばかりしているから、そのような人たちに天罰がくだり(それも早々にです。現れる現象が早くなっているからです)そうして病気になっているのです。

それを多くの人は責任転嫁しているだけなのです。(だいたい、悪いことが起き出した順序を知るなら、それは分かるはずです。多くの人が私に嫌がらせを始めてから災いが起き出したのですから)

私だけに鳥が寄ってくるような(釈尊やキリストと同じ)奇跡が起きていることが、私が人を病気になどしていない何よりの証拠なのです。(こういう現象が起きるようになったのも、起きる現象が早く現れる証拠です。だから、私程度の者にでも釈尊やキリストと同じ奇跡が起きるようになったのです。よいことをして起きてくる現象も早くなったからです)

そんな悪いことをしていないから、私に釈尊やキリストと同じような愛ある奇跡が起きているのです。

この前、あの戦後最悪の殺人事件を起こした、あのような者に鳥が寄って行きますか?

あのような者には、鳥が寄って行くどころか、気の弱い鳥たちはみな逃げだすのです。

私に寄って来ている、あの気の弱い鳥や魚たちが私がそういう悪いことはしていないと教えているのです。

だいたい、法に従わず逆らっている方が悪いのです。(だからこれだけ起きる現象が違うのです)

それはこの辺りの人たちだけではなく、どこの人たちも同じでしょう。

いま大雨が降っている北海道などでもそうです。東北もそうだし(地震ばかり起きている)茨木もそうです。

九州も同じでしょう。

私はあの辺りは異常気象が起きるともう早くからいっているのです。反原発の施設が多いからです。

原発をやめろといくらいったところで(そういっている人たちには何の奇跡も起きず)そういう反原発の施設があるところに次々に異常現象が起きているのです。

だから、そういうことが起きているということは原発は進めるべきであると、脱原発などやってはいけないと、そういうことを天が教えているのだと、私がどれだけいっても聞きゃしません。

未だに脱原発を主張し、メガソーラーの会社など増やして太陽光パネルなどつくり続けているのですから呆れます。

だから異常現象が止まらないのです。

大企業は自分たちばかり儲けていてはいけないと、もっと利益を分配しないといけないと、何度もいっているのに、その私のいうことを無視し大企業は自分たちばかり儲けているから、あの熊本地震が起きているのだし、そういう反省をまったくしようとしないから、熊本はその後も大雨などが続いて、今度は猛暑と二重三重の災いが重なって起きているのです。

関東の人たちも大丈夫でしょうか?

昨日、梅雨明けしたようですが、関東の水がめである鬼怒川ダムなど貯水率が過去最低を記録し水不足は深刻です。(夏が来たなどと喜んでいる場合でしょうか?)

このままではあちこちに支障をきたし(農作物などにも)大きな被害が出ます。

私がどれだけ関東の(東京の)人たちが動けば、日本はもとより、世界に法が拡がりますと、いくらいっても、私のいうことをいつまでも無視しています。

これでは関東にいいことが起きるわけがありません。法を(私のいっていることを)無視しているからです。

このように日本中の人たちが私のいうことを聞こうとせず、法に従おうとしないのです。

これではいいことが起きるわけがりません。

法に従わないと、よいことは起きないからです。(本当の神の教えに従わないのですから、よいことが起きないのは自明でしょう)

いつまで法を無視しているのですか?

法を無視している限り、救われる道は現れて来ないのです。

追伸…昨日は白鳥公園に行き、横の堀川に行っていたのですが、その堀川で凄いものを見ました。

その凄いものとは今話題のアリゲーターガーです。(話題なのはこの辺りだけですかね。名古屋城のお堀にいるということで何度もニュースでやっていましたから。それで私もあの魚のことを知ったのです)

まさかアリゲーターガーが堀川にいるとは思いませんでした。しかし、いたのです。私がこの目で見たからです。(私が堀川沿いを歩いていて、小魚たちと遊んでいたら、その小魚たちが急に逃げだしたのです。「何だ」と思って前を見ると、なんと一メートルくらいのアリゲーターガーが悠々と泳いでくるではありませんか。びっくりしました)

昨日はビデオを持っていなかったので、その姿を撮ることは出来ませんでしたが、今度は撮ってやろうと狙っています。(堀川にアリゲーターガーがいることを証明します)

これから堀川に行く回数が増えるかもしれませんが、こういう意外なことが私には次々に起こります。

これも法の効果でしょうか。(笑)

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7月 27 2016

法の偉大さ

昨日は、朝起きると凄いめまいに襲われまして(あまりにめまいがひどくて吐いてしまったくらいですから)病院に行っていて、それでブログを書かなかったんですが(結局たいしたことなかったんですが)案外あんな悲惨な事件があったから、急に体調が崩れてしまったのかもしれませんね。(いつまでも法を拡げるのをモタモタしているなとです。天の気づきの現象です)

あんな悲惨な事件とは、昨日神奈川で起きた、障害者が刺されて十九人が死亡し二十数人が重軽傷を負ったあの事件のことです。

戦後最悪の殺人事件とのことですが、それにしてもひどいものです。

この日本で起きた今回の大量殺人事件はテロではないようですが、最近は世界で同じような(大量殺人の)テロ事件が続出しています。

このような事件を一体どうやったら止めることが出来るのでしょう?

回りが気をつけろといわれましても、四六時中、怪しい人たちを見張るわけにもいきません。(そういう人はたくさんいるだろうしです)

警戒を厳重にしたところで、一体どこでその大量殺人が起きるか分からないのです。

だから止めようがない、だから起きている、といえるのかもしれませんが、悪魔に魂を売った者たちはこのような事件を平気で起こすのです。

だから法を拡げることが大事なのです。

法が拡がればこのような事件を未然に防ぐことが出来るからです。

この世で出来ることは限界がありますが、あの世、すなわち天が(神が)することに限界はないのです。

そうではないでしょうか。それはこの辺りで数々起きているサイレンなど知れば分かるはずです。

最近は減りましたが、一時は凄い数のサイレンがしていたのです。(もう一日何十回も聞こえていましたから)

そのサイレンはみな私のせいです。

では、何で私は無事でいられるのでしょうか?周りで起きて来る多くのサイレンをみな私のせいにされていてです。

よく考えてみてください。これだけ危ない状況もないのです。

数々聞こえてくるサイレンがみな私のせいなのです。それにくわえ、それだけサイレンが聞こえてくるのであれば、当然、家族や仲間、あるいは好きな人が病気やけがをしたという人はたくさんいたはずです。

ということは、私の周にも、そういう不幸があった人はたくさんいたわけであり、そういう逆恨みを、私は多くの人からそこらじゅうで受けていたのです。

もう数えきれないくらいの人から逆恨みを受け、そうして、実際に病気になった人もまじかにいる、そうして、その人を次々に病気にしている、その張本人が目の前にいる。

このような状況下で、何で私はこのように無事でいられるのでしょうか?

その家族や仲間が病気をした人の中には、普通の人だけではなくやばそうな人もたくさんいたはずです。やばそうな人ばかりでなく、家族や好きな人が重い病気にでもなり、それを私がやっていると思い込んでいるのであれば、普通の人だってやばいことをしてもおかしくはないはずです。(それは男であれ女であれです。家族愛が深い人もいれば、恋は盲目ともいいますし)

それだけの逆恨みを受けながら、しかし私は、殺されるどころか、暴漢に襲われたこともありません。

せいぜい、嫌がらせを受けるくらいのものなのです。

別に私はボディーガードをつけているわけでもなければ、家にこもりっきりというわけでもないのです。そこら辺を普通に歩いています。普通に歩いているどころか、大きな声で辻説法をしながら歩いているのですから目立つことこの上なしです。

それに私が歩いていれば、そこらじゅうの鳥たちが騒ぎもしますし、ヘリまで飛んできます。私がどこにいるかなど誰でも分かるのです。

それなのに何もされない、これは一体どういうことなのでしょうか?(あのヘリが上から見ているかもしれないから、それで何もしないなどというのは明らかに無理があます。頭に血がのぼれば、仮に近くにボディーガードがいたとしてもやってくる人はやってくるからです)

これが神の力であり、法の力なのです。

周りに恨んでいる人はたくさんいますが、本当に私に危害を加えようとする人は一部なのです。(これだけ多くの人に私は恨まれているのです。そういう人はゼロではないと思います)

その一部の人を神はすでに知っているのです。

そういう危ない人たちに神は(天は)天罰をくだし、そういう事件を未然に防がれているのです。

天はすべての人の心の中が分かるのです。では、誰がそのようなことを実際に行い、誰が行わないかもすべて分かるということになります。

では、その実際に恐ろしいことをしてしまう人に天罰がくだってしまえば、その人はその恐ろしことを実行することが出来なくなります。

だから私にそれほどの事件が起きなかったのです。そういうことをやろうとしている人に先に天罰がくだっていたからです。

この先、そういうことが起きるかもしれませんが(こういうことを書くと意地になって何かしてくる人もありますから〔苦笑〕)あの一番サイレンがしていた時に私が無事でいられた、それが神に守られた何よりの証拠なのです。(あの当時は、サイレンなどしてくると、もう血走った眼でにらまれたことが何度もありますから)

法が拡がるとこういうことが起きるのです。(神が事前に守ってくださる)

例えば、大量殺人など犯す人に(大量殺人を犯す恐れがあるではありません。確実にやるという人にはです。神は〔天は〕先のこともすべて分かるからです)天罰がくだり、病気になどなってしまったら、その人はその大量殺人を行えなくなります。

そういうことが起きるということです。つまり法が拡がれば、こういう凶悪な事件を未然に防ぐことが出来るのです。

法が拡がるのであれば、そのような神の力が行き届くようになるからです。(法が拡がるということは、それは即ち神の力が拡がるということだからです)

だから私はいっているのです。早くこの法を拡げないといけないとです。

どれだけ悪いことをしていても(いま世界中で起きている、テロや戦争までもです)そこにいる人々が法を知るのであれば、その揉め事が自然のうちに収まり何でも話し合いで解決がつくようになるからです。(どうしても分からない人たちには天罰がくだり、よい方に導かれて行くのですから、これだけ平和な話もありません)

本当の神の教えとはこのようものなのです。

偉大な神の力(奇跡)が、そこに次々に発生し調和と安らぎのうちにことが解決をしていくのです。

今一番問題になっている、このような(大量殺人などの)問題も法を拡げるなら解決します。

この法の偉大さもう少しご理解いただけないでしょうか。

そうすれば(何度もいっていますが)真の平和がそこに訪れるからです。

(この私がそれを〔体を張って〕次々に証明しているのです。〔ほんとに命懸けですよ。このブログはどういう人が見ているのか分からないんですから〕その命懸けの使命を理解してくれる人があまりに少ない。これでは罰が当たる人が多いはずです)

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7月 25 2016

愛ある奇跡

何か微妙な雰囲気ですね。(急にうるさくしたり静かにしたりです)

セミがうるさいくらい鳴いていますので、そのセミの声で気がまぎれるからまだよいのでしょうが、これセミが鳴かずにいてシーンとしていたらどういう雰囲気なのでしょう。

マァ、どちらにしてもよいことは起きてなさそうです。(何か怒っていますからね。どこかの会社の連中です)

行いが悪いからよいことが起きないのです。その行いを直すしか、恐ろしい現象を止める手立てはありません。せいぜい頑張ってください。

そういう行いが悪い人たちはほっときまして、行いがよい人には一体何が起きているのかちょっと書いてみましょう。

最近は歩いていると鳥だけではなく、このようなセミまで鳴きながら私の近くを飛んで行く時があります。

どんな生き物も行いがよくて愛がある人は分かるようで、そんな人には、すべての生き物が愛ある態度を見せてくれるのです。

最近は庄内川に行って南陽大橋の下などで休んでいると、その辺りの川岸は生き物でいっぱいになります。

あちこちからカニは出て来る(それも普通のカニから小さなカニまでです)ムツゴロウのような跳ねまわる魚はたくさん出て来る、亀は水面から顔を出している、小魚はあちこちでバシャバシャやっているとにぎやかなものです。

にぎやかといえばその場所にいるとよくツバメも飛んでくるのですが(それも何羽もです)そのツバメたちが最近は鳴きながら飛び回るのです。

ツバメって普通は静かに飛んでいますよね。ところが私の回りに飛んでくるツバメは案外よく鳴くのです。

南陽大橋の下などにいると、そのツバメがピィピィ、ピィピィ鳴きながら飛び回るので、その鳴き声がにぎやかを通り越して少しうるさいのです。(苦笑)

ツバメらに「お前ら少し静かにせい」と声をかけますが、無視してピィピィ鳴きながら飛び回っています。

それにすずめも飛んできてピィピィ騒いでいる時がありますし、たまにサギなども飛んできて、またそのサギも「ギャー」と鳴きながら飛んで行くものですから、マァ、あちらこちらから鳥たちの鳴き声が聞こえて来て、ちょっとうるさいくらいです。

目の前にたくさん出てきている、カニや魚たちが鳴かなくて本当によかったと思います。これでカニや魚たちまで鳴かれたらうるさくて仕方がないからです。(笑)

しかし、このような生き物たちの愛ある行いを私はどこにいても見られます。

この前、木曽川と長良川に行った時のことを少し書きましょう。そこにいたボラたちもまた面白いことをしたからです。

木曽川はずいぶん水が引いていて、少々魚が跳ねるくらいだったんですが、長良川では呼びかけると小魚が(あれも多分ボラでしょう)あちこちからたくさん水面まで上がってきて泳ぎ回り癒されました。

わりと大きな魚(三~四十センチくらいのです)も近くまで寄ってきて(二、三匹ですけどね)私の近くを泳いで行きました。

そういう魚たちを見ていると自然に顔もほころびます。そうして、その長良川でもまた数羽の鳥が飛び回り(ちょっと名前は分かりませんが「チキチキチキチキ」みたいな鳴き方をする鳥です)うるさいくらいでした。

その木曽川、長良川を離れて長島町の中を流れる長島川という川に行ったんですが、その川のボラたちがまた面白い行動を取ったのです。

その前に行った時は(動画にも撮ったんですが)顔を水面から出して、口をパクパクさせながら泳いでいくボラがたくさんいたのですが(次から次にそういうボラが泳いでくるものですから驚きました)今回は違いました。

私が長島川の川沿いを歩いていると、前からスーと二、三匹のボラが水面近くを泳いできました。

そのボラたちを見て、私が「おっ、お前ら来たのか」とか声をかけていると、そのボラたちが私の近くまできたとたん、急にスピードを上げて凄い勢いで泳いで行くのです。

「何だあれ」と思っていると、また前からボラが泳いできます。

そのボラも私の近くまで泳いでくると、いきなりスピードを上げ逃げるように泳いでいくのです。

「こいつら何やってんだろう?」と不思議に思い、おかしなことするのもいるなと思っていると、また前から数匹のボラが泳いできました。

そのボラたちを見ていると、また私の近くまで来て急に勢いよく泳ぎだします。そうして、その泳ぎ方が、ジグザグに泳いで行ったり、凄い勢いで向こうまで泳いで行ったかと思うと、凄い勢いでこちらに戻って来て、また凄い勢いで向こうに泳いで行くと、完全に意識的にやっているようなのです。

それで私が「お前らこんな浅い川でそんな泳ぎ方しているとけがするぞ」と声をかけましたが、一切無視してバシャバシャ泳いでいきます。

前から泳いでくるボラくるボラがみなそういう泳ぎ方をするのです。(もちろんその場面を動画に撮りました。凄い勢いで泳いでいくボラたちがよく分かると思います)

前回の顔を出して口をパクパクさせながら泳いでいく泳ぎ方といい、今回の私の近くまできたとたんに凄い勢いで泳いでいく泳ぎ方といい、このボラたち何をやっているんでしょう。

それどころか、一匹がそういう泳ぎ方をすると、くるボラくるボラがみな同じような泳ぎ方をするのです。(この前の顔を出して泳ぐこともそうです。一匹が顔を出して泳いできたら、次から次に同じような泳ぎ方をしているボラがたくさんいるのですから驚きます)

そういうところも不思議ですね。(心でつながっているんでしょうね)

それどころか、その川にいた鯉まで(あの大人しい鯉までですよ)そのボラにつられて凄い勢いで泳ぎ回るのですからあれは笑いました。(笑)

そういう人などに興味を示さない、なつかないと思われていた魚たちまで、愛ある人には本当に楽しく不思議な愛ある行動を取るのです。

こういうことは生物学者も知らなかったことなのではないでしょうか。しかし、私たちが愛を出すなら(愛を出すだけでです)専門家でも知らない動物たちの愛の深さを知ることが出来るのです。

怒りを出すのと愛を出すのとではこれほどの違いがあるのです。

くだらない怒りばかり出しているのではなく(ところどころでキレています)少しは愛を出しませんか?

そうすれば(災いではなく)愛ある奇跡が現れるからです。

追伸…あのポケモンGOですか。凄い話題ですね。(テレビでもそればっかりですね)

ゲームを楽しむのもいいんですが、各地でトラブルも続出しているようです。(ゲーム中にひったくり被害に遭ったり、車の運転中にそれをやり検挙者が相次いだりです)

大きな事件や事故が起こってからでは遅いので、取り締まりなど厳しくしてもらわねばいけませんが、何でそこまで夢中になるのでしょう。

そのポケモンGOをやり何のレベルが上がるのか知りませんが、そのゲームをいくらやっても心のレベルは上がりません。

こういうゲームもほどほどにして、心のレベルを上げませんか?

心のレベルを上げるなら、そのゲームのレベルを上げるよりもよほど面白いことが起きるからです。

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