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5月 25 2016

災いを呼ぶ態度

今日も朝からお怒りです。また何か起きたんでしょう。(そういう時は朝早くからお怒りですから。〔今日も朝六時半くらいからガチャガチャやっていました〕本当に大変ですね。災いばかり起きてです)

何で自分たちがやっている悪いことをいつまでも認めないのでしょう?(これだけでかい音を立て続けているんだから、悪いことをしていると分かりそうなものですが、本当に不思議です)

罰など当たったことがないから分からないのでしょうか?

しかし、もう分からないといけないでしょう。自分たちが悪いことをし続けているから罰が当たっているとです。

こういうことをしていたら罰が当たる、その見本のような人があちこちにたくさんいるようですが、自分のしている行い、もう少し考えられてはどうでしょう。

その行いが変われば災いは起きなくなるからです。

さて私は、昨日は久しぶりに名古屋港水族館行ってきました。(二ヵ月ぶりくらいでしょうか)

相変わらず可愛かったですよ、あそこにいる動物たちはです。(人間とはえらい違いです。〔苦笑〕)

水族館に入るといきなりシャチのお出迎えです。

三頭いるシャチの一頭が入って行った私に気づいて私の方を見ています。

それで私もシャチがいるプールの方に歩いて行ったのですが、私がシャチのプールの前に行くと、そのシャチは私の方をジッと見ながら目の前をゆっくり横切って行きました。

まざまざとシャチの目を見ましたが、あれだけでかい体のわりにはシャチの眼は非常にやさしいのです。

そのギャップがまた面白かったですね。(笑)

イルカなどもそうです。私がイルカの水槽を見ていて、離れようとすると一頭のイルカが私の方に「ピィーピィー」鳴きながら寄ってくるのです。

それでもうしばらくそのイルカの水槽を見ていましたが、いつまでもイルカばかり見ているわけにもいきませんので、離れようとするとまた鳴き出すのです。

「ちょっと下に行くだけだから」とかなんとか、そのイルカにいって別の生き物を見に行きましたが、歩いて行く後ろから「ピィーピィー」鳴かれるのですから、もう行きづらいといったらなかったですね。

イルカの水槽から離れるだけで後ろ髪を引かれる思いでした。(苦笑)

ペンギンなんかも可愛いものでした。

私がペンギンの水槽を見ていると、私の前に入れ替り立ち替りペンギンが泳いできて、私を凝視しています。

私が指をそちらに向けるとかむ仕草をするペンギンもいます。もう何羽ものペンギンが私の前で騒いでいます。

しばらくペンギンたちを見ていましたが、ソロソロ別なのを見に行こうと思い「お前らまたな」といって歩いて行くと、なんと前にいたペンギンたちが私の後をついてくるように泳いできて、水槽の向こう側は凄いスピードで泳ぎだすペンギンばかりになりました。(水槽の中には何人も飼育員がいたのにです)

さすがにその光景には私もちょっと驚きました。今の今まで、私の前でバシャバシャやっていたペンギンたちが急に凄い勢いで泳ぎだしたからです。

そんな比較的大きな生き物から小魚までみな愛らしいのです。

そうして、そういう生き物ばかりでなく、カニやエビまで愛らしい態度を取るのですから(私がカニのいる水槽を見ていたら、私の方を見て近づいてくるカニもいましたし、エビなど〔伊勢エビかなんかだったと思いますが〕私がエビの水槽を歩きながら見ていると、一匹のエビが私をジッと見ながら後をついてくるのです。本当に可愛いものです)本当に愛とは偉大なものだと改めて思いました。

愛は、どんな生き物であろうと、そのようなことに関係なく通用するからです。(神は、すべてのものを愛していられるという神の愛が、このようなところでも感じられます)

最近秋田などで、熊に襲われる被害が相次いでいるようですが、それも人間の方に愛があるなら、熊が人間を襲うなどということはないのです。

仮に熊が人間の前に出てきても、その人に愛があるなら、その熊はその人を襲うことなく、むしろ愛ある態度を取るからです。

それは私が動物園など行って、猛獣が私に愛ある態度を取っていることでも、その事実が分かります。(ライオンやヒョウなどがです。特にユキヒョウなんか可愛いですよ。動画にも撮ってありますが、本当に愛嬌のある態度を取ります)

愛があるなら、どんな動物たちとも仲良くやれますし、また、どんな災いからも守られるのです。

今この辺りで災いばかり起きている人たちは、ここに書いているように愛のない人たちばかりなのです。

愛がない態度ばかり取っているから災いが起きるのです。

法の流布のじゃまや嫌がらせやばかりやっていて、そこに愛があるのでしょうか?

そのような愛のない態度が災いを呼んでいるのです。

(動物たちとのあまりの違いに呆れます)

追伸…そのような可愛い動物たちを水族館で見てきた帰りのことです。

中学生の一団と遭遇しました。(遭遇といっても、その連中は下校途中であったんでしょうが)

そうしたらこの連中、こりずにまた私のことをバカにしてくるのです。(私が辻説法をしながら帰って来ていたら、それをニヤニヤ笑いながら見てバカにしていました)

こちらは(少しでも神のことを分かってもらおうと)必死なのに、バカ中学生連中はそういう態度を平気で取ってきます。

こういう連中に罰は当たらないんでしょうか?

それを私の祈りのせいにされても、近くを歩いて行けば、急に足を引きずったり、私の方を笑いながら見ていたりして、嫌がらせやバカにしたりしてくるのですから、もう祈るしかないと思います。(何かいったって聞きゃしないんですから。昨日もそうでした。私が何かいうとヘラヘラ笑って受け答えして嘘ばかりついています。私のことを平気で知らないというのです。「神に誓って知らないんだな」と念を押すと顔が引きつっていました)

こういう原因を自らつくっておいて、自分たちに悪いことが起きると、それを全部私のせいにするのです。(この連中、前にも見たことがあります。きっと同じ連中でしょう。まったく反省せず同じようなことをしてきます。しかし、もう次はないと思います。早くそのような態度を反省した方がいいでしょう。もう何か起きる頃だと思うからです)

しかし、それは責任転嫁以外の何ものでもないのではないでしょうか。自分たちが間違った行いをしているからです。

私にどうこういうより、まず自分の行いを正すことです。

自分の行いが正しければ、私がどれだけ祈っても何も起きないからです。(そういう人は神に守られますから)

人のことよりまず自分の態度を改めることです。(その愛のなさをです)

愛ある行為が自分を一番守るからです。

(前の会社だけでなく、隣まで怒りだしています。もうあちこちで悪いことが起き出しているようです。責任転嫁していても災いは止まりません。少しは反省されてはどうでしょう。善因善果 悪因悪果と釈尊も教えていられるからです)

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5月 24 2016

罰当たり

昨日はどこかのバカ会社がうるさくて書けませんでした。

もう朝から凄い臨戦態勢だったものですから(また何か起きたんでしょう)最初から書くのを諦めました。

それでブログの時間を祈りの時間にしたのですが(徹底的に祈ってやりました)そうしたらどうも天罰覿面だったようで、今日はずいぶん静かです。(その静かなのもいつまでもつか分かりませんが。必ず悪魔が騒ぎだしますので)

これだけ自分勝手なことを続けているのです。それは天罰もくだるでしょう。

自分たちも読んでいろいろ知って、心が救われているブログを書くのを散々じゃましているのです。

こんな勝手な話もないでしょう。

こういう勝手なことをやるだけやっておいて、何か悪いことが起きたら「それはお前のせい」です。

ここまで来るとバカとかアホとかのレベルではありません。究極の自己中です。これでは罰が当たらない方がおかしいでしょう。

この辺り、似たような人が多いんですが、だから罰が当たりまくっているのです。(それ全部私のせいですが)

例えばここに毎日説法をしている坊さんがいたとします。(何かこんな例え話ばっかりですけど。〔笑〕)

その坊さんの説法はずいぶんよい話で、その話を聞いて、いろいろなことを知った人、心が救われた人がたくさんいて、そうして奇跡まで起きた人がいるのです。

しかし、その坊さんの説法を聞いている人たちの中に、その坊さんに感謝もせず、その説法のじゃまをし続け、坊さんを見かけると嫌がらせばかりしている人がもしいたとしたら、そのような人は罰が当たらないのでしょうか?

当然罰は当たると思います。そんな罰当たりな行いもないからです。

では、そのような人たちが罰が当たらなくなるにはどうしたらいいのでしょうか?

それはそんなに難しい話でもないでしょう。

そのような人たちは、これまでの自分たちの行いを反省し、いろいろ教えてくれて心まで救ってくれた坊さんに感謝し、布施の一つでも行うなら、その人たちに罰が当たることはなくなります。

こういう人たちが罰が当たらなくなるには、このような誰でも知っていることをその人たちが行えばいいのです。

そうすれば、その人たちに罰が当たることはもうなくなるのです。

簡単な話ですよね。では、それをされたらどうでしょう。

そうすれば、罰が当たることはなくなるからです。

グダグダくだらない(細かい)因縁を付けている暇があるなら、それをされたらどうでしょう。

そうすれば、その恐ろしい現象は止まるからです。

日本の人々は唯物無神論などという罰当たりな(それも超のつくです)思想を長年続けて来たのです。

そのような(超罰当たりな)思想を長年続け、神をないがしろにしてきたのです。(神を便利屋のように扱ってです)

では、天罰を次々に起こされても仕方ないでしょう。

自分たちの考えが(こと神に関してはです)大きく違っていたからです。

その自分たちの間違った行いは棚に上げ、何で恐ろしい現象を人にせいにし続けているのでしょう。

自分たちはいつまでたっても、その間違いに気づこうともしなかったくせにです。

だから、誰かがやらなければいけなかったのです。

人がやらなければ(そういう神に疎〔うと〕い人たちばかりなんですから)まったく意味が分からないからです。(もちろん起きている天変地変の意味がです)

本当は、それを高橋信次先生がされるはずだったのです。しかし、弟子たちが大失敗を犯したためそれが出来なくなり、それで私にお鉢が回って来たのです。

私がそれをしなければ(日本の人々がいつまでも神の心に気づかなければ)日本は潰されるからです。

現に、それをしているにもかかわらず、それでも日本が潰されかけているのです。(東日本大震災や熊本地震ほか、数々起こる天変地変でです)

あまりに多くの人々が神の心を(私のいうことを)聞こうとしないからです。

これで南海トラフを起こされたら、もう日本はアウトなのです。(南海トラフは予想より大きな地震になりそうだそうですね。〔本当に皆さんの心がいつまでたってもよくならないので、悪い方、悪い方にばかり行きます〕もうそんなのが来たら完全にアウトです)

自分たちの罪をいつまで責任転嫁しているつもりですか?

自分たちが悪いから自分たちに罰が当たっているのです。

(またどこかの会社の雲行きが怪しくなってきています。〔完全に悪魔に憑かれたのが何人もいるからです〕今回のブログもこれくらいにしておきます)

追伸…と、思ったら、急に静かにしたり、本当に情緒不安定です。

こういう過酷な状況で私はブログを書いているのです。少し布施などしていただけませんか?

そうすれば、もっとよい環境のところでブログが書けるからです。

もっとよい環境のところでブログが書けるのなら、もっと天啓も受けられます。そうすればもっとよい(天上界の心がしっかり詰まった)ブログも書けるからです。

昨日テレビを観ていたら、ずいぶん顔の雲っている人がいました。(本気で怒って怒鳴っている人もいましたが、バラエティーであんなことするんですからみんな引きますよね。〔苦笑〕)

本当の天啓を得たブログを読みたくはありませんか?(もちろんこれもそうですが)

では、少しくらいの布施はされることです。

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5月 22 2016

天罰

昨日は呆れましたね。あのどこかの会社の悪魔軍団にはです。

午前中だけではなく、午後からなど午前中以上に怒っているのです。どうも昼に何か起きたようで、まさに天罰覿面です。

自分たちも読んで心を何度も救われているのです。その心が救われているブログを書くのを散々じゃましておいて、そのじゃましたブログだけはしっかり読んでいる、そんな理不尽な行為が許されるわけがありません。

いま起きている恐ろしい現象が、天罰となぜいつまでも分からないのでしょう?

早く気づくことです。(自分たちが悪いとです)そうしないと最後には滅ぼされてしまうからです。

それはどこかの運転手連中も同じなのです。

私に散々心を救われているのに感謝一つせず、そのお返しが嫌がらせ、これではいいことが起きるわけがありません。

天罰を人のせいにして怒っている暇があるなら、そのような自分本位な行いをまず反省することです。

そうしない限り、その恐ろしい現象は止まらないからです。(本当に何度同じことをいわせるのでしょう)

しかし、昨日は痛快でしたね。

何が痛快だったかといえば、昨日私は歩いていて鳥が騒いで寄ってくると、その度に「お前ら、あまりこちらに近づくな。俺は人を次々に病気にしているそうだから、お前らも病気になるぞ」とか「私は人は病気にするのに鳥は病気にしないんですか?すずめたちはずいぶん喜んでこちらに寄って来ますけど」とかいい続けていたのです。

そうしたら、その声を聞いて、いやらしい顔をして早歩きになり逃げて行く人、ハッとなって顔が引きつる人、エッという顔になり下を向く人、とそういう驚いてオロオロする人が多かったのです。

これまでは、私の顔を見れば怒っている人か、ムッとした顔をした人が多かったので、そのあまりの違いに痛快だったと書いたのです。(笑)

しかし、あのような表情を見るとよく分かりますね。どれだけ多くの人が、私が人を病気にしていると思っていたかがです。

最近の恩着せがましい説法といい、昨日のような掛け声(?)といい、そういうことをいって回っていたらです。

ずいぶん変わったことが起き出しました。これまでは起きえなかったことがです。(苦笑)

昨日、私が歩いていると後ろから一人の女の子が走ってきました。(小学五、六年くらいの子ではないかと思われます)

その子が歩いている私に追いついてきて「こんにちわ」と声をかけて行ったのです。

今度はこちらが驚きました。これまではこんなことありえなかったからです。(走って追いかけてきた小学生に嫌がらせをされたということは何度もありましたが。〔苦笑〕)

それだけではありません。わざわざ家から出てきて、私に頭を下げた婆ちゃんまでいたのです。(これは二~三日前のことですが)

わざわざ家から出て来て嫌がらせをされた、ということはこれまで何度もありましたが(笑)頭を下げられたのは、これもまた初めての出来事です。

皆さん(それこそ老人から子供まで)相当私のことを誤解していたようです。(笑)

しかし、その誤解が解ければです。私に感謝しないといけないということは誰でも分かると思います。(子供から年寄りまで、そのような態度を取る人が出てきたのがそのよい証拠です)

それでも意地になり嫌がらせをしてくる人もいますが、そういう人も少なくなりました。しかし、そういう人もです。

考えを変える人が増えてくれば、その考えを変えるざるをえないでしょう。そうしなければ、自分だけがいつまでたっても救われないからです。

私には、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているのです。

ということは、私のいうことを実践するなら、同じような奇跡が起き、死んだ後も天上界に行けるということになります。(釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているということは、釈尊やキリストと同じような心と行いをしているから、そういう奇跡が起きているのであり、釈尊やキリストと同じような心と行いをしているのなら、当然死んだ後は釈尊やキリストと同じような世界に往けるということになります。釈尊やキリストが地獄界にいられるはずがないのですから、そのような奇跡が起きているまま死ぬのであれば、死後の行き先は当然天上界です。釈尊やキリストと同じ奇跡が起きていることが、その何よりの保証なのです)

誤解が解けたのなら、私のいうことに少し耳を傾けられたらどうでしょう。

そうすれば、今が救われるだけではなく、死んだ後も(確実に)救われるからです。

いつまでも責任転嫁などしていてもまったく救われないのです。

自分の罪を潔く認め反省されることです。

それが本当に救われていくための第一歩であるからです。

(私は、どれだけ多くの人の心を救っているのか分からないくらいなのです。〔その自覚のある人も多いと思います〕そういう実績もすでにあるのですから、少し私のいうことを信じられてはどうでしょう。そうすれば本当に救われるからです)

追伸…しかし、凄かったですね。あの都知事の記者会見はです。(ふざけているとしか思えませんが。〔苦笑〕)

あれではよけい反感を買うでしょう。ずいぶん頭がいい方だといわれていますが、バカじゃないかと思ってしまいました。(苦笑)

しかし、日本の首都の都知事があれでは、他の知事も同じようなものではないかと思われてしまい、知事の信用もがた落ちですね。

一体どれだけ問題が出てくるのか知りませんが、法律うんぬんよりも、ああもこずるいと他に示しがつきません。(都知事がそんなことしたら、皆マネしますよ)

出処進退を考えられた方がよいのではないでしょうか。

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5月 21 2016

法を実践すると現れる奇跡

今日も朝から不機嫌そうですが(どこかの会社ですが)昨日は女子プロゴルフの中京ブリヂストンレディスを観てきました。

相変わらずひどい目に遭ったんですが(私もこりません。〔苦笑〕)しかし、ゴルフを観に行くのは、ゴルフを観に行くことだけが目的ではありません。

その辺りの動物たちに会いに行くのと辻説法も目的のうちです。

あまり行きたくなくても行かないといけないでしょう。そうしなければ法は拡がらないからです。(そういう鳥たちが寄ってくるという奇跡も見せながら説法もしないと、遠くの人たちはこの法が本当に正しいのかどうか分からないからです)

昼頃(ゴルフをやっている)中京ゴルフクラブを出たのですが、行く時もそうでしたが、帰りも送り迎えの名鉄バスの運転手連中が烈火のごとく怒っています。(無料送迎バスの連中です)

もう私の顔を見るなり、そこらじゅうの名鉄バスの連中がブシュブシュやってきました。

バスに乗ると(乗る前からそうなんですが)その一緒に乗って来る(ギャラリーの)連中はみな私に嫌がらせをしてくるので、私がバスの中で辻説法をします。

そうするとみな黙ってしまうのです。(私の説法を聞くと自分たちがおかしいと分かるようです。全然わからないのも数人程度はいますが。〔苦笑〕)

そうすると、今度はそのバスの運転手が走行中にブシュブシュやってくるのです。乗ってる連中が静かになるのが面白くないようです。

「もっとそいつに嫌がらせをしろ」といっているかのように、走っている間もブシュブシュやっているのですから呆れてしまいました。

この連中、相当腹を立てているようですが(そこに来ているギャラリーの何倍もです。運転手も私の話を聞いているはずですが、その話を聞いていても考えを改めようとしないくらいですから)よほど危ないことでも起きているんでしょうか?

この尋常じゃない怒り方、どこかの会社にそっくりであるからです。

もう自分たちじゃどうしようもないんですよね。

なら詫びてきたらどうですか。そうしなければこちらも救いようがないからです。

私が人を病気にしていると思っているようですが、なんで人を次々に病気にさせているような者にこれだけ鳥が寄ってくるのですか?

私がもし人を次々に病気にさせているのなら、そういうことは鳥たちはすぐに分かるはずです。(動物たちは天に通じていますから)

そういうことを私がしているというのなら、あの気が弱くて勘のいい鳥たちが寄ってくるはずがないのです。そんな危ない者に寄って行けば、自分たちも病気になると鳥たちは分かるからです。

しかし、鳥たちは平気で、喜んで私に寄って来るのです。

この現象一つとっても、私が人を病気にしているわけではないと分かるはずです。

自分たちが悪いのです。

あなたたちは私に心を散々救ってもらっていながら、それを少しも感謝せず、一方的に嫌がらせをし続けているのです。

つまり現在においてもです。恩を仇で返し続けているということです。だからそのような天罰がくだり続けているのです。

だから、もしあなたたちが次々に病気になっているのであれば、それは私のせいではなく自分たちのせいだということです。

自分たちの心と行いが悪かったのです。

だから、その心と行いを反省しない限り、その現象は止まらないのです。(どこかの会社がいい例です。今日もこのブログを書くのをじゃまし続けています。〔あまりにうるさいんで一度このブログを書くのをやめかけました〕これでは恐ろしい現象〔天罰〕は止まりません)

昨日の帰りのことです。

昼にゴルフ会場を出た私は、それから矢作川に行って魚たちと遊び(昨日もたくさんの小魚たちが岸のすぐ近くにいました。元気よく跳ねるのもいて「お前ら久しぶりだな」とかいいながら、その小魚たちをまた動画に撮りました)その後、その辺りを辻説法して回りました。(私の話を全然きこうとしない人もいましたが、しかし、いやらしそうな顔をする人もたくさんいました。恩着せがましい話はどこでも効果抜群のようです。〔笑〕)

そうして夕方四時過ぎに、帰りの駅に行くと、その駅にはまだゴルフ会場からの帰りの人たちがたくさんいました。(ゴルフ帽子をかぶっている人がたくさんいましたのですぐに分かりました)

その駅で電車を待っている間にも回りの人が何かしてきます。(私の周りでゴホゴホ咳をしたり、鼻をすすったりです)

それでそこでも辻説法をすると、そういうことをしている人たちも段々静かになって行きました。その辻説法で自分も悪いと気づく人もいるからです。(認めない人は頑として認めませんが)

十五分くらい、その駅で辻説法をしながら電車を待っていたでしょうか。ソロソロ電車も来る頃だなと思っていると、一羽のツバメが飛んできました。

そのツバメはスッと私の目の前の電線にとまります。

「ン」と思っていると、そのツバメが今度は私の方を見て「ギャーギャー」鳴きだしたのです。

まるで私との別れを惜しむかのようにです。

私は「エッ」と思いましたが、回りにいる人たちも(その駅には数十人の人が電車を待っていました)さすがにこれには驚いたようで、それまではざわついていた駅のホームが、そのツバメが鳴きだしたことで一変にシーンとなってしまいました。

すずめが飛んで来て「ピィピィ」鳴いているというのであれば(すずめはそういうこともしますので)まだ分かりますが、ツバメが飛んで来て、わざわざ私の目の前の電線にとまって、私に向かって鳴いているのです。

それを見て驚かない人はいないでしょう。ツバメがそんなことをするなど誰も思わないからです。(ツバメはだいたい無言で飛んでいますから)

私は、最後にまた天上界が奇跡を現してくれたのだと思わずにはいられませんでした。

そうでなければ、これだけのことが起きるわけがないからです。

さすがに、その後の電車の中は私にかまってくる人はいませんでしたが(といっても、その奇跡を見た人たちだけですが)このような愛ある奇跡が次々に現れるのです。

このような奇跡は、私のいっていることの正しさ、この法の正しさを現す現象以外のなにものでもないのではないでしょうか。

この法に従えば、このような奇跡が、逆らえば災いが次々に現れてきます。

では法に従ってはどうでしょう。そうすれば災いは去り奇跡が起きてくるからです。

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5月 19 2016

反省

本当に朝からにぎやかです。(苦笑)

いつまでやれるか知りませんが、せいぜい神に逆らい続けてください。そのような人たちがどういう目に遭うのかは分かりませんが。(本当に哀れです)

さて私は、昨日も庄内川に行ったのですが、途中で川岸から出て少々辻説法もしてきました。

ほんの少しだけだったんですが、それでも十分成果がありました。

最初はいつも歩く川岸の反対側にわたり、辻説法をしたのですが(すぐに工事現場のオッサンやオバちゃんたちが私に気づいて、でかい音とか立ててきますので本当にやりやすいです)その辻説法を聞いて、まじまじと私の方を見ている工事現場のオッサンもいました。

少しは気づいてほしいものです。

そうして、また反対側に戻ってきたのですが、その時、来た時とは違うもう一つ向こう側の橋を渡って戻ったのですが、その橋を渡るとすぐに庄内川の川岸には戻れませんでした。

川岸に入るための階段が、ちょっと離れたところにしかなかったからです。

それで少々大回りをして川岸に戻ろうとしたのですが、その時にある工場の横を通ったのです。その工場には例の公明党の候補者の看板がはってありました。(それも一枚くらいではなく、何枚もです)

「ありゃ、これはいかにもって感じだな」と思い、そちらに歩いて行くと、そこらの鳥たちが騒いでいたので、私が歩いていることはすぐに分かったんでしょう。(窓も開いていましたし)

その工場から急にでかい音が響いてきて、ガチャンと何か物を投げる音までしてきました。(どこかの会社かと思いましたよ。同じことしています。〔苦笑〕)

それで私が「オイオイ、こういう現象を見て分からないのか?(もちろん鳥が騒いでいる現象をいっているのですが)本物の信仰はこういう釈尊やキリストと同じ奇跡が起きて来ないといけないんだ。誰かこういう奇跡が起きている者がいるのか?」というと、一変にその工場の連中は静かになりました。(その工場に信仰している人が多ければ多いほど、この言葉は効きますからね)

「間違った信仰を続けたまま死んで行けば、そういう人はみな地獄行きだ。それでもその信仰を続けるのか?よく考えた方がいいんじゃないのか。こういう奇跡が現れている者が、現にいるのだから」と続けて、最後に「気が変わったら、いつでも来てくれよ。正しい信仰を教えてやるからな」といって、歩いて行きました。

その工場の連中は、最初の勢いはどこへやら最後はシーンとして私のいうことを聞いていました。

間違った信仰をしている人たちは特にですが、このような私の言葉は切実であると思います。

地獄がどういうところか、その人たちはよく知っているであろうし、自分たちと私では起きている現象があまりに違うのです。

これほどの差があり、そんな言葉を聞くのであれば、自分のやっている信仰に疑問を持たない人はいないでしょう。

だから、そのような人たちも早く気づいてほしいのです。

そう思いながら歩いていましたが、その工場から離れてすぐのことです。前から一人のオバちゃんが歩いて来ました。

「このオバちゃん何かしてくるかな」と思いながら歩いていると、そのオバちゃんは何かしてくるどころか、歩きながら私に向かい頭を下げてきます。

「エッ、誰この人」と思いました。そのオバちゃんの顔に見覚えがなかったからです。(年は六十~七十歳くらいの人です)

しかし、何か向こうは私のことを知ってそうな感じなのです。

「こんな人は知り合いにいないはずだけどな」とけげんに思い「どこかで辻説法でもした人か?」と思っていると、そのオバちゃんは私の横を通りすぎる時にもう一度頭を下げたのです。

その時、思いだしました。この人、前に一度この辺りで辻説法をした人だとです。

そういえば前にこの辺りを歩いた時に、このオバちゃんは私の前から歩いてきて嫌がらせをした人でした。

その時、私はこのオバちゃんに向かい辻説法をしたのです。

その時は、私のいうことを無視して知らん顔をして歩いて行ったのに、今日はこの人、態度がまるで違います。

それで同じ人と分からなかったのです。

「あれオバちゃん、あの時に説法したオバちゃん?」と私はすれ違って歩いて行くオバちゃんに向かって声をかけました。

そのオバちゃんはその声には答えず歩いて行きます。(少々こちらを振り返りまた頭を下げたようでしたが)

そうなんだと私は確信しました。そうでないのなら「ハァ」とか答えそうなものだからです。

「そうかい、オバちゃん。あんた反省したんだな。そういう気持ちを大事にしてな。そうすれば天上界に行けるからな」と声をかけ、私も歩いて行きまた。

あの説法をした時は、このオバちゃんはずいぶん我の強い人だなと思っていたのですが(私が何をいおうと無視して歩いて行きましたから)意外や意外、二度目に会ったら態度がまったく変わっていたのです。(態度だけではなく顔つきも変わっていました。説法をした時はずいぶんきつい顔をして私を見る目もきつかったのですが、今回は優しそうな顔つきに変わって、私を見る目も優しそうでした)

こうも変わるものかとちょっと驚いたのですが、やはり誤解している部分も多いのだなと改めて思いました。

それは、私のことを聞いている人たちもそうですし、私もそうです。

私は辻説法をして、その辻説法を素直に聞く人が(例えば、昨日の書いた爺さんのようにです)素直な人で、先ほどのおばちゃんのように、私のいうことを無視して歩いて行くような人などみな我の強い、頑固な人だとばかり思っていたのです。

だから、そういう我の強い人はどうしようもないなと思い込んでいたのですが、そういう態度を取る人の中にも、家に帰って自分の態度を反省し、態度を一変に変える人もいるのです。

そういう人もいるのだな、と思い、そういう人もいるのであれば、救われて行く人も案外多いのかもしれないなとも思えたのです。

しかし、同じような間違った態度をし続けている人たちもいます。(そういう人たちの方が多いのですから難儀な話ですが)

反省されてはどうでしょう。

そうすれば、その恐ろしい現象は止まるからです。

追伸…何か相当やばそうですね。うるさそうにしていても全然元気がありません。(だから今日はそれほどうるさくないということです)

ここんとこずっと変ですが、大丈夫ですか?

元気がなくてもそういう態度を取り続ける限り、その恐ろしい現象は収まらないのです。

一度私のいうことを聞き、反省されてはどうでしょう。そうすれば、その現象が止まるかもしれないからです。

どこかの会社だけではなく、ずいぶん暗そうな運転手も多いのですが、その人たちもそうです。

反省されてはどうでしょう。そうしないと、その現象は止まらないと思うからです。

何をしても止まらないんですよね。(したかどうかは知りませんが、お祓いをしても、祈りをしてもです。そういうことをやっている人はゼロではないと思います。対象が広いですから)

本物の教えとはこういうもので、逆らってばかりいては本当に危ないのです。(本当に天罰を食らうからです)

年寄りでも反省されるのです。では、それより若い人たちがなぜそれが出来ないのですか?

年を取っている方がよほど頑固であるのにです。

誰も私のことなど知らないのです。(誰ともしっかり話したことなどないのですから)

噂話を真に受け、私をひどい奴と思いこんでいるだけなのです。(だからそれも誤解なのです)

しかし、そんなひどい奴に釈尊やキリストと同じ奇跡は起きません。

ただ人の噂話を真に受けているだけではなく、自分自身で確かめてください。私がそれほどひどい奴かどうかをです。

本当の私を知ってもらえるなら、自分が間違っていたと反省することもそれほど難しくはないと思うからです。

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