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2月 02 2016

心と行いの違い

昨日は庄内川の帰り道に久しぶりに数人の中学生と会いました。

「あれ、一柳って、まだ中学校をやってるんだ?」と改めて思いました。(もう一柳は小学校しかないのだとばかり思っていましたから。〔笑〕)

マァ、態度は相変わらずですね。私の近くに来ると何もしないのですが(少しは反省したのでしょうか?)遠くでは足を引きずったり、鼻をすすったりしているようでしたから。

「誰も謝らないのか?」と私が聞いても無視して横を通りすぎて行きます。この中学生たち救われたくはないようです。(苦笑)

家の近くまで来ると、またやたら怒っている人がいました。最近は誰か彼か怒っています。(年中怒っている人もいますが…今日はやけに静かです。どうしたのでしょう?)

また不幸なことでも起きたのでしょうか?

悪いことが起きたからと、それを全部こちらのせいにされてもどうしようもありません。悪いことが起きているのは、そちらの方であるからです。

それをどうにかしてほしいと私に訴えているのでしょうか?(その割には態度が悪いです)

そうであってもいけないので、だから、救われる話をそこでしました。

もう、サイレンは日本中でしていると、そのサイレンを私のせいにしているなどこの辺りの人たちだけだと、そうして、神を思おうとしない、そのような自分の心の悪が現象として現れているのだとです。

そういうことを自覚して、まず責任転嫁をやめないと救われる道はついてこないからです。

私には毎日のように奇跡が現れているのです。その心と行いの違いが、そのような現象の違いとして現れているというのはすでに明白なのです。

それをいつまでも認めようとしないから悪いことばかり起きるのです。

一方は、神を神とも思わず、悪いことを全部責任転嫁して人に嫌がらせを続けているのです。もう一方は、神を一として、悪いことを責任転嫁することもなく、人に嫌がらせをすることもなく、神に感謝して神の心を実践しているのです。

違いはそこだけなのです。(それが大きな違いなんですが)

その違いが、起きる現象の違いなのです。なぜそれをいつまでたっても理解しようとしないのでしょう。

それを理解しない限り、自分たちに起きている災いは止まらないのです。

昨日私は庄内川で次のようなことがありました。

庄内川の川岸を鳥たちと散歩しながら(あそこを歩いているだけで、いろんな鳥がかまってくるものですから…横の道路を走るトラックもチョコチョコかまってきますが。〔苦笑〕)ソロソロ帰ろうとしていた時です。

私の後ろから犬を散歩させている爺さんが来ました。

その爺さんの連れている犬を見ると、大型ではありませんが、中型の犬よりはもう少し体がごつい土佐犬ような顔をした犬でした。

「ごつい犬を連れてるな」と思ったんですが、その爺さんは、なんとそのごつい犬を放し飼いにして散歩させているのです。

その時は私以外、その庄内川の土手に人がいなかったものですから、それでそうしたのか(犬をつなぐロープは手に持っていましたから)それとも普段から、そのような散歩の仕方をしているのか知りませんが「あんなごつい犬を放し飼いにしていて大丈夫か?」と思いました。

そう思って歩いていると、その犬が私の近くに来ました。私がそちらを見ると、その犬と目が合いましたので「こっちこい」と小さな声で呼んだのですが、その犬は私の方を見ているだけで寄ってくることはありませんでした。

「何だこないのか」とも思い、時間を見るといつもの帰り時間が過ぎています。

あんまり遅くなっても、帰り道に私に詫びをいれるため待っている人がいるかもしれません。(その人をあまり待たしてもいけませんから。まだ一人もそういう人いないんですけどね。〔苦笑〕)

それで少し小走りになって庄内川の出口に急いだんですが、しばらく走ると後ろから大きな声がしました。

「なんだ?」と思い振り返ると、なんと先ほどの犬が凄い勢いでこちらに走ってきているではありませんか。その犬の行動に驚いて飼い主の爺ちゃんが大きな声を出したのです。

私も少し驚きましたが(何せ、ごつい犬ですから)しかし、大丈夫だろうと走るのをやめて、その犬が来るのを待っていました。

その犬は私の近くまで来て一度止まりました。私を見ているので「こっちにこい」と呼びました。

すると喜んで寄って来て、私の周りをグルグル回っています。それを見た飼い主の爺ちゃんは私にかみつきでもしないかと、ヒヤヒヤだったんでしょう。

大きな声で、その犬の名を何度も呼んでいました。

その犬は私の周りをグルグル回りながら私のにおいをクンクかいでいます。

それで私が頭でもなでてやろうと、ポケットから手を出しかけたのですが、そのような仕草をしたら、その犬が頭を少しかがめ後ずさりします。逃げてもいけないと思い、頭をなでるのはやめて手をポケットに入れたまま「元気か」と声をかけると、その犬は私の顔をチラッと見て、相変わらず私のにおいをかぎ続けていました。

しばらくそうしていましたが、こちらも時間がありません。(詫びたい人を待たしてはいけませんから。〔笑〕)「またな」とその犬に行ってまた私は足早に帰りかけたのです。

少し歩いて振り返ると、その犬はまだ先ほどの場所にいて、こちらをジッと見ていました。

なんとなく可愛らしくなって、やっぱり頭をなでてやろうと思い「こっちにこい」と呼んだのですが、もうその犬は私の方に寄ってくることはありませんでした。

近くまで来ている飼い主に気を使ったのでしょう。(犬は飼い主に気を使いますからね)

そのようなごつい犬も、愛ある人には嬉しそうに寄ってくるのであり、決してその人を襲うようなことはありません。

前に、人に愛があるなら熊に襲われることもなくなるのです、とここに書いたことがありますが、それを証明するような出来事が昨日の庄内川では起きて、改めてまたこの法を実践していることの有難さが分かりました。

法を実践しているのなら、どのような動物も嬉しそうに寄ってくるのです。(それがたとえ、熊であろうとライオンであろうとです)

もし、愛のない人があのようになった場合、まずかまれていたでしょう。あの犬は少し獰猛(どうもう)そうにも見えたからです。

しかし、法を実践している人はそんなことにはなりません。獰猛な犬がかむどころか、嬉しそうに寄ってくるのですから可愛いものです。

このように私が実践している法はどのような不幸からも身を守れるものであり、常に奇跡が起きるものでもあるのです。

結局、心と行いの違いで、これだけ起きることが違ってくるのです。

その差は天と地ほどあるといえましょう。

いつまでも悪いことを人のせいにしていては、自分自身が大変なことになります。(そういう時代になりました)

心と行いを変えてみませんか?

その一番よい方法がせっかく説かれているからです。

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2月 01 2016

本当の神を知る

だからこそ、もう唯物無神論などという思想に戻ってはならないのです。

そういう思想を多くの人が持ち続けるのであれば、今度こそ日本は潰されるからです。

日本の人々は無神論をいいながらも、自分たちの先祖や大自然などを神に例え、八百万の神などと称して信仰してきました。

そのような思想は完全に矛盾しているにもかかわらず、その矛盾にも気づかずにです。(適当もいいとこです)

しかし、その日本の人々が(勝手に)つくりだした神は、こちらから何か頼むだけで(その願いが聞き入れられる、られないは別にして)自分たちが何をしても、別に罰を当てられるわけでもない優しい神であったのです。

神とは、こちらが一方的に祈るだけで(お参りするだけで)何もいわない、何もされることはない、そのような存在であったのです。

しかし、西洋の神は違いました。自分たちのいうことに従わなければ罰を科す、そのような神であったのです。(モーゼやエリヤ、エリシャの上に現れたヤハウェーはそういう神でした)

日本の人々は、西洋のそのような神はおかしいと、自分たちの優しい八百万の神々を正当化して、神とはこちらが頼めば黙ってきいてくれる、まして罰など科すことはない、何か神なのか、便利屋なのか、よく分からない存在を神だと思っていたのです。

これだけ神を甘く見続けていたのです。そのような神への適当な思いを続けていれば、それは恐ろしい天罰をくだされるのもある意味当然でしょう。(あまりに神への思いが軽いからです。神を神とも思っていないからです)

だから、このような現象が現されはじめたのです。日本の人々が、本当の神の存在をいつまでも悟ろうとしなかったからです。

私がやったことが悪いというなら、モーゼやエリヤやエリシャはどうなるのでしょう。

モーゼはあの有名な海を割る奇跡を起こされた時、モーゼの一団を追ってきた多くのエジプト兵を、その割れた海を元に戻して溺(おぼ)れ死にさせます。

エリヤは四百五十人もの偽預言者を霊力を現して殺し、エリシャは四十数人の子供を熊を現して殺しているのです。

私がしたことがダメだというなら、このような預言者たちのしたこともダメだということになります。日本の人たちは聖書に出てくる預言者を殺人犯とでもいうのでしょうか?

だとしたら、日本の人たちの考えが間違っているのでしょう。

なぜなら、あのような方々が偉大な預言者であるということは世界が認めているからです。

日本の人たちは神を甘く見ているから分からないのです。神がこのような恐ろしことを行うはずがないと思い込んでいるからです。

しかし、いつまでも分からない人たちには、神は鉄槌を下されるのです。神は決して優しいだけの神ではないからです。

このようなモーゼやエリヤ、エリシャに殺されたように見える人たちは、実際にそのような預言書に殺されたわけではありません。

そのような亡くなり方をした人たちは、みな偉大な預言者を通し天に殺されたのです。

つまり、天罰をくだされたということです。

天罰とは(広辞苑によりますと)天のくだす罰、自然に来る悪事の報いということです。(ということはこの人たちは神に殺されたということになります。神がそのような法則〔善因善果 悪因悪果〕をつくられたからです)

そのような人たちは、モーゼの一団を殺(あや)めようとしたり、偽の教えを説いて預言者の教えを間違いといっていたり、預言者をバカにしたりしていた人たちばかりなのです。

預言者にそのようなことをするのは、それはそのまま神に対し、そのようなことを行っているのと同じことなのです。(そのような預言書の方々は、みな神から遣わされた人たちばかりであるからです)

神にそのようなことをすれば、これほどの悪事もありません。そのような悪事に対する報いが現れただけであり、それは人が行ったものではなかったのです。

結局、日本の人もそれくらいの感覚はあったのですが(例えば、坊さんに何かすれば罰が当たるとかです)先ほど書きましたように、日本の人々は根本的に神を甘く見ています。

だから、神がそういう恐ろしいことをするとは思わなかったのです。

しかし、神はそのようなことをするのです。ある程度の反省の期間はもうけますが、それを過ぎても分からなければ鉄槌を下すのです。

それは聖書を見るなら分かるはずです。(いくらでもそういう場面は出てきます)

日本の人たちは、勝手に優しい神をつくり出し(八百万の神)神は何もすることはないと思い込んでいるだけなのです。

そのような間違った思いを一掃するため、神は、このような恐ろしい現象を次々に現わし、神の存在とはそのようなあやふやで甘いものではないと、愛と慈悲の塊ではありますが(それは高橋先生、園頭先生が教えられました)厳しく激しい存在でもあるのであると、私を通し教えられているのです。(それは激しい天変地変など見れば分かると思います。神は決してやさしいだけの存在ではないのです)

それを日本の多くの人々は、その私の後ろにいる神を観ようとせず、私だけを見て、お前が悪いといっているだけなのです。

自分たちが現在においてもし続けている(神を甘く見ているという)悪事は棚に上げてです。

もう本当の神を知らないといけない時代になっているのです。

それなのに、いつまでも本当の神を知ろうとしないから、このような恐ろしいことが次々に起きているのです。

いつまで神を甘く見続けるつもりですか。そのような甘い考え(神は優しい)を持ち続けている限り、恐ろしい現象は止まりません。

私が説いている法こそ、唯一本当の神の心が分かる教えなのです。(だから、この教えを実践すると次々に奇跡が現れるのです)

少しずつでも理解してみませんか?そうしなければもう危なくて仕方ないからです。

追伸…日本の人たちが、これだけ神の業に疎(うと)いというのもまた問題ですね。西洋の人たちから見たら、現在の日本は凄い恐ろしいことが起きているんですけどね。

エクソシストを日本の人たちがあまり怖がらなかったというのと同じ理屈ですね。(あの映画を観た西洋の人たちからは失神者も出たそうですから)

日本にこのようなことがこれまで起きなかったので、その恐ろしさが日本の人たちには分からないのです。

だから平気でそれを人のせいにして怒っているのです。

しかし、この起きている現象はものすごく怖いものなのです。(人の業ではなく)神の業が実際に現れているからです。

早くこの教えに従ってください。それ以外、この(大変)恐ろしい現象を止める方法はないからです。

この本当の神の教えに帰依されてはどうでしょうか。

何度もいいますが、それ以外に救われる道はないからです。(今日も相変わらず怒っています。〔苦笑〕)

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1月 31 2016

日本を救った人

昨日は堀川に行ってきたんですが、二週間ぶりくらいに行くとまたカモメたちが騒いで、他のすずめなどの鳥たちも騒いで、可愛らしいものでした。

少し動画に撮りましたが、もうSDカードが五、六枚たまっています。動画に撮るのもほどほどにしておきました。(何せ、布施の一つもしてくれないのでブログに貼り付けるお金もありませんから)

そのような可愛い鳥たちとは違い、人間たちの憎たらしいこと。(苦笑)

動画を撮っていればじゃまするのはいる、歩いていればゴホゴホ、ガハガハやってくるのはいる、鳥たちとのあまりの違いに呆れました。

奇跡が目の前で起きているのに、それに驚くどころか、ねたんだりひがんだりして怒っているのです。

話になりませんね。(鳥より心が狭いのですから)

そういうことをしている最中にもサイレンが聞こえていました。これだけ起きていることが違うのです。その違いが分からないのでしょうか?

私には次々に奇跡が起きて、私に嫌がらせをしている人たちには次々に災いが起きているのです。(それが目の前でです)

それなのに、何でこれだけ起きることが違うのか?とは誰も考えず、その奇跡の現象は無視して悪い現象だけお前のせいです。

どれだけ都合のいい発想しかこの人たちはしないのでしょう。責任転嫁もここに極まりですね。

だいたい、このサイレンにせよ、バスの運転手やトラックの運転手が私に嫌がらせをしだしてから始まったのです。では、原因はその運転手たちにあるのではないでしょうか?

この辺りの多くの人が病気になるのもそうです。

この辺りの人たちが散々私に嫌がらせをしたのです。何年も私に嫌がらせを続けていて、それからですよね。そのような現象が始まったのはです。

すべて今この辺りで起きている恐ろしい現象は、私に嫌がらせを始めたから起きてきたことなのであり、この辺りの人が次々に病気になり始めたから、多くの人が私に嫌がらせを始めたわけではありません。

このような恐ろしい現象は、すべて、先に皆さんが私に嫌がらせを始めた結果、起きて来た現象であるのです。

では、少し考えれば分かるのではないでしょうか?原因がどこにあるのかはです。

どう考えても、この恐ろしい現象が起きてきた原因は、私以外の人にあるはずなのに、それが何で私になるのでしょう。(先に悪いことをしてきたのはそちらでしょう)

凄い責任転嫁、それどころか、明らかに悪意のあるすり替え以外の何ものでもありません。

こういう悪いことを多くの人が平気でしているから、この辺りの人は次々に恐ろしい病気になるのです。(昨日はどこかの会社だけではなく、帰ってくるとやたら怒っている爺さんがいました。〔私の目でハンマーで物をガンガン叩いているんですから、やかましい、やかましい〕また何か起きたんでしょうか?)

それは自業自得なのではないでしょうか。

なぜ、多くの人は私に嫌がらせを始めたのでしょう。

私が祈っていろいろ起こしたからでしょうか?(大雨やら台風やら地震やらです)

しかし、それをしなかったら日本の人々は誰一人神を信じなかったのです。このような時代になり、もし誰も神を信じようとしなかったら、今頃日本はなくなっていたのです。

私は日本を救っているのですが、それには誰も感謝せず、逆に嫌がらせをしてくるのですから、あまりに現実無視なのではないでしょうか。

私のいっていることが口から出まかせであるとでもいうのでしょうか?

そういうことをいう人こそ、何の根拠があってそういわれるのですか?

そういうことをいわれる人には、何の奇跡も起きていないのにです。それに引き換え私には未だに奇跡が起き続けているのにです。

その起きている奇跡が私の言葉に嘘はないという証拠です。

本当に日本の人たちの心がまったく変わっていなければ(未だに無神論の人ばかりであったなら)今頃日本は潰されていたのです。

それは、あの東日本大震災を知るならば分かることなのです。

あの時、私の名前はすでに知られていました。大雨やら地震やらを私は祈って次々に現していたからです。

あの(東日本大震災が起きる前の)時点で、その時起きた大雨や地震が、私のせいだと思っていた人が多かったのですから、ということは、あの時点ですでに多くの人が神を信じ始めていたということです。

だから、東日本大震災はあの程度ですんだのです。(多くの人が神を信じ始めたからです。だから神はまだ日本の人々を生かされたのです)

もし、あの時点でもまだ誰も神を信じていなければ(多くの人が唯物無神論のままでいたとしたらです)日本は滅ぼされていたのです。

それは東日本大震災の後から、異常現象が急増したということでもその事実が分かります。

あの後からです。日本に異常気象が多発しだし(それまで以上にです)この辺りでもそうです。サイレンが響き始めて多くの人が病気になるという現象が現れてきたのはです。

あれほどの現象が現されたにもかかわらず(千年に一度といわれるくらいの大災害が起きたのですよ)多くの人があの時に完全に神を信じるのではなく、人と人との絆、程度しか悟らなかったからです。

だから、その後から次々に恐ろしい現象が現れだしたのです。

あの東日本大震災の時点で本当は日本は滅ぼされていたからです。(だから滅ぼされることに匹敵するようなことが日本に起き出したのです。〔人がたくさん死に始めるとかです〕本当ならすでに日本は滅ぼされていたからです)

だから私はやるしかなかったのであり、それだけのことをしても(そうして現在においても奇跡を現し続けていても)それでもまだ日本の多くの人は神の存在を認めようとせず、神に頼ろうともしません。

それは、これほど恐ろしい現象が日本中で起き出しているにもかかわらず、そうして、本物の神の教えがここに存在しているということが分かっているにもかかわらず、それでもまだ自分たちのことを優先し、責任転嫁を続けているということでも、その事実が分かるのです。

やっと神の存在を認め始めた人たちでも、未だに神を二の次、三の次にしているのです。これでは話にならないでしょう。

あまりに神のことを知らなさすぎるからです。

何度もいいますが、神を一としないといけないのです。この世界のすべての物をつくり、そうしてそれに命を与え、現在においても生かし続けてくださっているのが神であるからです。

そのすべての始まりの神にまず感謝しないで、何でよいことが起きましょう。

だから私は、神を一としないといけないとくどいくらい、いい続けているのです。

まず神に感謝してから何でも始めなさいといっているのです。それが当たり前の順序であるからです。

日本の人々は、その当たり前の順序さえ分からず、あろうことか、その一番の神を否定していたのです。

その罪の重さがどれくらいあるのかお分かりいただけるでしょうか?(もう計り知れないほどの罪です)

このような諸々の罪により、私は日本の人々の目を覚まさせるため、様々な現象を天にいわれるまま現し、そうして現在に至るも、そのような奇跡の現象を現し続けているのです。

その私の一体どこに罪があるというのでしょうか?罪があるのは、いつまでも神の存在を悟ろうとしない日本の人々の方なのではないでしょうか。

だから、私以外の人たちに次々に災いが起きているのです。そのような間違った心と行いを続けているからです。

したがって、悪いことが起きているすべての原因は、私以外の人にあるのであって私にあるわけではありません。

日本の人々は、あまりに神に疎かったのです。だから、このような結果が現されているのです。

私は日本を救ったのです。その私に何で嫌がらせなどするのですか?だから悪いことばかり起きるのです。

早く神の心を悟られてはどうでしょう。

それ以外で救われる道はもうないからです。

追伸…昨日のサッカーのアジア選手権はみごとに日本チームが優勝しましたが、また、その勝ち方が奇跡的でしたね。

2-0のスコアから後半立て続けに3点とって逆転勝ちなど、よほど力の差があるのならともかく、ほとんど力の差がないのにそのようなことが起きるなど、まさに奇跡としか思えません。

日本のスポーツ選手が次々に奇跡を現すなら、日本の選手に一体何が起きているのか?ということで世界が嫌でも注目します。

神の心を知っての奇跡であるなら、これ以上のよいこともありません。(ドーピングとはえらい違いです。〔笑〕)

日本の選手には、ぜひ頑張っていただきたいものです。

そうすればこの法の存在は、いずれ嫌でも世界に知れ渡ることになるからです。

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1月 30 2016

本物の神の教え

今日は広い範囲で大雪になる予報が出ていましたが、何とかそこまでの雪は降らなかったようですね。(雪が降っているところはあるようですが)

前回の大雪で九州など断水の被害に遭って、多くの人が不便をきたしているのですが、このような異常気象も法を実践する人が増えてくるなら減ってくるのです。

このような現象もまた天罰の一つであるからです。

とにかくこれからは、これまでのつけがドンドン現れてきます。(唯物無神論などという人として最低の思想を続けていた結果のです)

早く、本当の神の教えを勉強するべきでしょう。それが一番のお守りともなるからです。(法を実践すると光が出てきます。それが光の防護壁となり自分を守るのです)

また、昨日書きましたようなお蔭も次々に現れています。もう同じことをしている場合ではないのです。やることは同じことをしていても、心だけは進化させていかないといけないのです。

キリストは二匹の魚と五つのパンで、五千人の人々の腹を満たしました。(キリストが、その二匹の魚と五つのパンを持って天に祈ると、その魚とパンは多くの人に弟子たちが配っても、なくならなかったといいます)

モーゼは天からマナ(白くて甘い食べ物だそうです)というものを降らせ、数十万の人の腹を満たしました。

本当の神の教えが現れた時は、このような奇跡も(お蔭も)現れるのです。

これまでの偽の教えは、このような物質化現象らしいことをした人もいましたが(灰やら何やら出してです)しかし、偽の教えと本物の教えの違いはこのようなことでも分かるのです。

起きていることの規模がまったく違うということです。

一人や二人の人に灰など出して一体それが何になるのでしょう。(その灰で病気が治ったとか、奇跡が起きたとかいう人もいますが、そのようものをもらったことがきっかけで心がよい方に変わるなら、そのような奇跡は起きるのです)

キリストやモーゼは、数千、数万、数十万という人の腹を満たすほどの食べ物を一度に現したのです。

これこそ本当の物質化現象なのであり、こればかりは簡単な手品などでやれることではありません。

だから、天変地変にせよ、人が次々に病気になることにせよ、起きる現象が大きいのです。

本物の神の教えが現れているからです。

その本物の神の教えに逆らったり、無視したりしている人が多いから、大きなお蔭が(この場合、天罰ですが)現れているのです。

本物の神仏の教えであるなら、なぜ、こんなひどいことをするのか、などという泣き言はもういいのです。

神仏は、すでに優しく法を説いていられたからです。(高橋先生、園頭先生)

聞かなければいけない時に聞こうともせず、神を無視する態度を取り続けたのは自分たちの方なのです。

だからこのようなお蔭が現れているのに、厳しい目に遭いだしたら、今度は自分たちの罪は棚に上げ、それを全部責任転嫁してまだ罪をつくり続け、未だ厳しい目に遭い続けている、これほど愚かな行為もないと思います。

神が無理やりにでも、目覚めようとしない人たちを目覚めさせているのです。

ではもう目を覚ますべきでしょう。自分の心の奥にある真我に目覚めるべきなのです。その真我は神の存在を知っているからです。

自分たちが理解する、しないにかかわらず、次々に奇跡(お蔭)は現れてきます。

もう逃げるところはないのです。(異常現象は世界中で現れていますからね)

多くの人はいつまで神に逆らい続けるのでしょう。無神論を信じ、神に逆らっている限り人は幸せにはなれないのです。

これほど多くの奇跡が現れているのです。

いい加減目を覚まされたらいかがでしょうか。(いつまでも意地を張っていないでです)

追伸…ずいぶんこのブログを読んでいるようですが(あなた外国に行った時もよく読んでいたよね、このブログ)どうですか、少し動かれたら。(グループででも何でもいいから)

このブログを読んでいる男の連中は、キ○タマついていないみたいで、なかなか動こうとしないからです。(苦笑)

もう法の実践をしないと、どんなお蔭があるか分からないのです。ソロソロ実践されてはどうでしょう。

そうしないと危ない時代になっているからです。

日銀がマイナス金利を初導入し、高浜原発では、MOX燃料を使う発電を初めて行うといいます。

もう次から次に初の出来事が行われるのです。

このようなことから見ても、すでに時代は変わっていると思わざるを得ません。時代が変わってきているから新しい試みを皆が行いだしたのです。

そうして、このような新しいことが始まったのなら、もう否が応でも先に進まないといけないのです。

このまま同じところにいては、ダメになるのは目に見えているからです。(例えば、高浜原発での使用済みMOX燃料は、強い放射線を出すため処理方法がまだ決まっていないのです。そうであるなら原発技術を進めないと後々大変なことになります。こういうことを考えましてもやるしかないのです)

時代はドンドン進んでいます。そうして天からの助けも次々に降りてきています。

もう天の助けをいただく以外(先ほどの原発でもそうですが)救われる道はないのです。

その天の助けをいただく方法は、この法を実践するしかないのです。

多くの人がもう少し真剣に、これだけの奇跡が起きているこの教えのことを考えられてはどうでしょうか。

私たちが(それは全世界の人たちがという意味です)救われる道は、この法を実践する以外ないからです。

(こんな簡単なことが、なぜいつまでも分からないのか逆に不思議ですね)

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1月 29 2016

お蔭

今日も朝からお怒りモードです。

こちら側は大きな壁が出来たので、あまりうるさくはありませんが、向こう側は大変でしょうね。(お察しします…アレ、それも私のせいですか?)

壁の向こうでドンドン(これが本当のカベドンですね。〔?〕)ガンガン毎日キレているようですが、キレていても状況は変わりません。むしろ悪くなる一方です。

考えを変えられるほかないのではないでしょうか。

見ても分かる通り(というか、起きても分かる通りと書いた方が正確ですか?)これだけお蔭のある教えもないからです。

お蔭とは(広辞苑によりますと)神仏の助け、加護があるという意味で(善悪にかかわらず)ある人や物事がもたらす結果・影響をいうのですが、この通りのことが次々に起きているのではないでしょうか。

この法にかかわった人たちにはです。

この教えに従っている人たちには次々に奇跡が起こり(神仏の助け、加護)逆らう人には次々に災いが起きているのです。(善悪にかかわらず、ある人や物事がもたらす結果・影響、罰ということです)

これだけの現象が現れているのですから、これ以上お蔭のある教えはありませんし、また、お蔭というものが本当にあるのである、ということを、この教えを知ってはじめて分かった人も多いのではないでしょうか。

信仰をすればお蔭があるなど、ほとんどの人は信じていなかったはずだからです。

多少のお蔭は信じていた人もいたかもしれませんが、まさかこれほどのお蔭があると知っていた人はいなかったでしょう。実際は私もそうであったからです。(やっている本人が分かっていなかったのですから、周りが分かるわけがありません)

まさか、これほどの現象が次から次に現れるとは思いもしませんでした。そういう体験などしたことがなかったからです。

それに高橋先生の時も、園頭先生の時も、たしかに奇跡は現れていたのですが、いま起きている現象とは別物であったからです。

高橋先生や園頭先生が現された奇跡は、過去世を思いだす現象であったり、悪霊を祓ったり、病気やけがを治す癒しであったりしたくらいでした。(くらいということはありませんね。これだけでも凄いんですが、これ以外では高橋先生があるプロ野球の選手に法を伝えて、その選手が奇跡的な活躍をしたことはありましたが、そういう選手は一人だけでしたのであまり騒がれませんでした)

しかし、今回はこのようなことだけではなく、法に逆らう人に次々に天罰が下ったり(マァ、高橋先生や園頭先生が法を説いていられた当時は、これだけ多くの人が法に逆らうということはなかったですから。〔法を知らずにいた人はたくさんいましたが〕高橋先生や園頭先生在世当時に、これだけ法に逆らう人が多かったら同じような現象が現れたと思いますが)逆に法に従う人には次々に奇跡が起きたり、祈って天変地変が起きたり、動物にまで奇跡的な影響を与えたりしているのです。

現れるお蔭がこれほど広範囲にわたっているなど、一体誰が想像できたでしょう。

これほどのことが起きるなどということは、もう神でもない限り想像出来ないのです。(一人の人間の想像範囲を超えています)

これほどの教えが現にあるのです。そうして、本当の神の教えとはこれほどのお蔭が現れるのです。

何で皆さんやろうとしないのですか?

この教えに逆らっているのでしょう?

世界に類を見ない教えが日本に出現しているというのにです。(ここまで次から次にお蔭が現れる教えは世界広しといえどもないと思いますよ)

そのお蔭でもです。これで終わりということではないでしょう。まだまだこれから続々と新しいお蔭が現れると思います。

それぞれの能力に長けた人がまだたくさんいるからです。(私のように現象に長けた人とか、園頭先生のように癒しに長けた人、あるいは高橋先生のように何でも出来て不思議な能力に長けた人〔例えば人の夢を操るとかです〕などなど)

これだけのお蔭があるということは、そのような能力を伸ばすかっこうの場であるからです。(現れるお蔭〔神仏の助け〕が自分の持っている能力を伸ばすということです)

高橋先生は、物質化現象まで現されたことがあります。(金が混ざった鉱石を出されたことがあります)

その物質化現象も、インドかどっかにいたサイ何とかとか(この人はただの手品であったといわれていますが)そこらの霊能者が現すようなケチな金粉などではなく(これは悪霊が行っているのです)モーゼが行った、本当の神仏が現す物質化現象です。

そういう現象を現す人もまた出てくるでしょう。この教えは無限の可能性を秘めているからです。(園頭先生は、その物質化現象が近いうちに自分にも現れるといわれていました。その現象が現れる前に先生は亡くなられましたが、もしかすると私にそのような現象が現れるようになるかもしれません。そのような現象もまた、この法の正しさを証明する現象の一つであるからです)

とにかく、この教えを勉強するなら、そのようなお蔭が(神仏の助け、加護)次々にいただけるのです。

何でそういう教えを勉強しようとはしないのですか?

もう信仰をしている人は心が弱い人、自分は一人で生きているなどと格好をつけている場合ではないのです。

実際に、人は一人で生きているわけでもないですし(空気や水があり、この地球があって私たちは生きられるのですし、周りに人がいなければ私たちは生きられません。〔お金を稼ぎたくても稼ぐ場所がなければ稼げないし、物を買いたくても買う場所がなければ買えません。神がこのような場をつくってくださり、人と人との助け合いがあって、初めて私たちは生きていられるのです。一人だけで生きられるわけがないのです〕)そういう人でも初詣や寺や神社、墓参りなどは行くのです。(じゃあ、あなたも信仰しているでしょう、といいたくなりますが。〔笑〕)

そういうことをいっている人は所詮は口だけなのです。

人は信仰をするのが当たり前なのであり、逆に正しい信仰はしないといけないのです。

私たちは皆、神の子であるからです。

しかし、そのようなことにかかわらず、もう本当の信仰をしないといけない時代になっているのです。

これほどの天罰が次々に現れているのですから、それはお分かりいただけると思います。(この異常現象はすべて天罰です。この神のつくられた世で、唯物無神論などという、およそ神の子の人間とは思えない最低の思想を日本の人々は持ち続けていたのです。それは大ナタを振るわれます。天罰を食らって当然ですね)

やるのが当たり前のことですし、やれば奇跡が次々に現れ、逆らえば天罰が次々に下る、このような状況を無視して、これまでのやり方を一切変えない、これだけ時代が見えない、時勢に疎い行いもないと思います。

せっかくこのブログを読んでいるのです。(ということは、今の状況がよく分かっているということです)少しずつでも始めてみませんか?

本当の信仰をです。(少しの布施の行為など行ってみるとかです)

そのような小さな行いでも、本当の信仰をしているという心があるなら、確実にお蔭は現れるのです。

やらない選択はないと思います。

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