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10月 21 2015

神に従う人と逆らう人

ウナッシーさんから、また恐ろしいコメントをいただきましたが(火葬場が一杯で三日待ちとか、隣町でも三人の方が亡くなったとかです)しかし、そのような不幸なことばかりでなく奇跡も同じように起きています。

何度もいいますが、心の在り方で起きる現象も大きく違う、そのような時代が来ているのです。

私は昨日も奇跡が起きました。何でこんなに不思議なことが次々に起きるのか、本当に不思議です。(心の勉強をしていると覿面〔てきめん〕ですね)

昨日は午後からまた庄内川に散歩がてら行ったのですが、私はただ庄内川の川岸は人が少ないことと(人が多いところを歩くと散歩どころか、ほとんど辻説法になってしまいますので。〔笑〕)砂や砂利が混ざった道が多いので(アスファルトの道を歩くよりは)疲れも少ないだろうと、そうして、もし撮れれば面白い動画も撮ろうと、そのような考えで庄内川に行くのですが、同じ道を同じように歩いているだけなのに、そのあまりあてにしていない動画がよく撮れてしまうのですから不思議なものです。(それだけ奇跡的なことがよく起きるということです)

本当に何から何まで神のお導きであると思います。(じゃなければ、それだけの奇跡は起きないでしょう)

昨日庄内川で起きた奇跡とは次のようなことでした。

私が庄内川に行くと川岸を片道一時間くらい歩いてから、南陽大橋の下でしばらく休み、そうして帰り道に何か動画が撮れれば撮ろうというルーティン(最近はラグビーでこの言葉がはやっていますから。〔笑〕)なんですが、昨日も、そのルーティンを崩しませんでした。(笑)

一時間くらいしっかり歩いてから南陽大橋の下で休んでいたのです。

あの場所は休んでいるだけで、カニは出てくる、ムツゴロウみたいな魚は出てくる、魚はよってくる、いろいろな鳥は飛びかう、たまに庄助が前の川を泳いでいくと、楽しいものですが(本当に孤独感ありません。〔笑〕心も体も癒されますね)昨日は何か様子が変でした。

私が行くといきなりバシャというでかい音が響いたのです。

前を見ると川の向こう側で何かが跳ねたようでした。(大きなさざ波がたっていました)

「ン?何かいるのかな」と思いましたが、前の川はよく魚が跳ねます。また何か魚が跳ねたのだろうとたいして気にもしませんでした。

しばらくするとカニやらムツゴロウのような魚やらたくさん出てきます。昨日もそうでした。

その連中に「元気か」と声をかけて遊んでいると、また前の川でバシャと大きな音が響いたのです。

そちらを見ると、またさざ波だけがたっていて何が跳ねたのか分かりません。「何かいるのか」と何度か声をかけましたが無反応です。

何も反応がないので「今日は大きな魚がいるんだな」と思ったくらいで気にしませんでした。同じようなことはよく起きていたからです。しかし、何かいつもと感じが違うなという違和感はありました。(その広がっているさざ波が妙に大きかったからです)

そうしてまた出てきているカニたちをかまっていると、またバシャっと大きな音が響いたのです。それで顔を上げたのですが今度は驚きました。

その音がした川の辺りを見ると、さざ波がたっているだけでなく、何か細長い尻尾のようなものが水面に出ていたからです。(四、五十センチくらい出ていたのではないでしょうか)

「ハア、何あれ」

驚きましたね。あんな尻尾のようなもの初めて見たからです。(それは、その生き物の尻尾であったと後で気づいたのですが)

「オイオイ、そこに何がいるんだ、顔を出せ」と呼びかけました。しかし、シーンとなってまったく反応しません。何度呼びかけても反応しないのです。

しかし、こちらの興奮は収まりません。もしかしたらユーマが撮れるかもしれないからです。(多分庄内川にユーマはいないでしょうが。〔笑〕)

なんとしても、先ほどからバシャバシャやっているあの生き物を動画に撮りたいと思いました。

こういう時は奥の手を出します。その奥の手とは神に祈ることでした。

くだらないことをお願いしても、もちろんその願いは聞かれませんが、この動画は法の証明となります。祈ればきいてくださるだろうと思い祈りました。

「神よ、どうぞあの生き物の姿をお見せください」とです。

そうしたらです。十分、十五分すぎたころでしょうか(今日は無理かと半分諦めかけていたんですが)私の目の前にその生き物が姿を現したのです。

「全然出て来ないな、今日は無理かな」と私はカニたちに話しかけていました。するとです。私の目の前の水面が急に盛り上がり、何かが姿を現したのです。

最初は顔というか目だけが水面に出てきましたが、すぐに引っ込めてしまったので、その生き物が何か分かりませんでした。水面に引っ込めた勢いで水の底の泥が舞い上がり水の中がまるで見えなくなってしまったからです。

その顔を見た瞬間、私はでかいカニでもいるのかと思いました。何かカニのように見えたからです。

しかし、カニが体を出して水面に引っ込めたくらいで、川の中の泥がこれだけ舞い上がるのもおかしな話です。

カニよりもっと大きな生物が水中にいるのです。

もう、私の興奮は最高潮でした。(だって、目の前に謎の生物がいるのです。誰だって興奮するでしょう。〔笑〕)

そうして目の前の川の中にいる生物に声をかけ続けました。「おい、顔を出せ」とです。

そうしたらです。その生物が水中から姿を現したのです。その生物とは…次回に続く。(笑)

などという書き方をしたら、もう少し、このブログの読者も増えるのではないでしょうか。(何せ、一日百人前後の人しかこのブログを読んでいません。法を説いているのに少なすぎでしょう)

マァ、そういう内容のブログではないので、別にもったいぶりませんが、その目の前の庄内川にいた生物とは「エイ」でした。

なんとエイが私の目の前に姿を現したのです。

エイって川にもいるんですね。(海だけかと思いました)嘘ではありません。動画にちゃんと撮ってありますので(まともに撮れました。目の前に出てきたのですから。本当に神に祈ると覿面です)確認してください。

同じところを同じように歩いているだけですが、神の心に従う人は、祈りもすぐに聞かれ(目の前に現れるんですから凄いですよね)このような奇跡も次々に起きるのです。(まさか川でエイを見るとは思いもしませんでしたが)

それに引き換え、同じことを同じようにしている人でも、神に従はない人たちは次々に不幸が起きているようです。

この辺りはいってはいけませんが、癌がインフルエンザのように流行り始めています。(本当にそんな感じです。ちょっと怖すぎますが、そういうことをいってもこの辺りの人たち誰も否定しませんから)

神に従う人には奇跡が、神に逆らう人には災いが、毎日のように起きています。

なぜ、神に逆らう人がこんなにも多いのでしょう。それもまた不思議なことです。

(ウナッシーさん、私たちだけはしっかり神に従って生きていきましょう。それが神の子である人間の当たり前の姿であるからです)

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10月 20 2015

知多の海での奇跡②

南知多ビーチランドに行くのやめた私は、潮が大分引いていましたので、もう一度海岸をよく見ることにしました。(何か気づいていない生き物もいるかもしれないと思ってです。私が呼びかけるといろいろな生き物が出てくるからです)

そうして海岸を見まわしてみると、その辺りの海岸には穴がたくさん開いていました。多分、マテ貝の穴だと思うんですが、それとは別に何か小さな生き物がたくさん動いています。(マテ貝もいくつかは顔〔頭というんでしょうか?〕を出していたようですが)

何が動いているのかとよく見てみると、小さなカニでした。

たくさんの小さなカニが、そこらじゅうで動き回っています。「こんなにカニがいるのか」と思い、面白いのでそれも動画に撮ったのですが、肝心の魚たちは全然跳ねません。

「魚は跳ねないな」と潮が引いた海を見ていました。

海に向かい何度か呼びかけましたが魚はたいして跳ねません。(何匹かは跳ねたようですが)少し沖を見るとカモメがたくさんいました。

「カモメがあまりいては魚も跳ねないだろうな」と思い、魚が跳ねそうもないなら、町に行ってすずめでも撮るか(あの辺りはすずめもたくさんいるからです)と思っていましたが、ふと気づくと、よせてくる波に何か黒い物がたくさん見えるのです。

「ン?なんだあれ」とよく目を凝らして、その波に見える黒い物を見ました。

すると驚いたことに、その波の中に見える黒い物とはすべて魚だったのです。

「あれみんな魚じゃないか」と驚いてその波を見ていると、そのような波に乗った魚たちがあちこちの波の中に見えるではありませんか、凄い数です。

「うわ、何だこれ」と思いましたが、どうもたくさんの魚が海面まで上がってきていて、その上がってきている魚たちが波がたつと波の中に見えるようなのです。そうしてそのたくさんの魚たちが岸(こちら)に向かって泳いでいるのです。

信じられますか?そういうことが目の前で起きたのです。

たつ波の中に魚がたくさんいるなど初めて見る光景でした。それで驚いたのですが、それを何とか動画に収めましたが、動画に撮ると波の中の魚がほとんど映らないのです。

ほとんど映らないのですが、光の加減で波の中の魚がところどころでは撮れています。

その動画を観ていただければ、私のいうことも理解できると思いますが(それと驚いている私の声でそれをご理解ください)しかし、そんな感じで動画はその一部しか撮れていませんが、その光景をじかに見た私は凄い迫力でした。

目の前のあちこち波立つ波の中に多くの魚たちが見えたからです。

「凄いことが起きてるな」と驚いた私でしたが、この後、もっと凄いことが起きたのです。

その魚たちは、かなり広い範囲でこちらに泳いできているようでしたが、それでも岸まで来るということはありませんでした。波が岸近くまで来ると、いつの間にか魚たちは、その波の中から消えていました。(少し沖の方に戻るのでしょう)

それはそうでしょう。そのような魚たちが岸の砂浜まで来るなど考えられないからです。

しかし、その考えられないことがその後起きたのです。

しばらく、その波にいる魚たちを動画に撮っていましたが(というか、跳ねる魚も撮りたかったので、途中からそちらに重点を置いて撮っていましたが、結局跳ねる魚はほとんど撮れませんでした)そのうちに魚たちは見えなくなりました。(底にもぐるか沖に行くかしたのでしょう)

魚もいなくなったようなので、そろそろ帰ろうかと思っていた時です。帰ろうとしたのですが海を見ていると何か変なのです。いつもと感じが違うのです。

それで海をジッと見つめていました。

何が変かといえば、岸によせてくる波に違和感があるのです。

普通なら、波がよせてきても、その波は沖にスーと引いて行きますよね。(普通というかだいたいそうだと思います)

しかし、私の目の前の波はスーと引かないのです。

普通によせてはきますが、引く時にガタガタしながら引いて行くというか、ピチピチ波が跳ねながら引いたりしているのです。

「何か波がおかしいな?」とブツブツいいながら、その波を凝視していました。

そうしたらです。少し離れたところにいたサギが私の目の前を飛んで行ったのです。

その時でした。サギが私の目の前を飛んだ瞬間、目の前の打ち寄せている波がブワッと横に大きく広がったのです。

「うわっ」と思わず声を上げました。何もいないと思っていた波打ち際に何か分かりませんが生き物がたくさんいたからです。

その生き物はすぐに分かりました。その波打ち際にいた、たくさんの生き物とは小魚たちだったのです。(二、三匹跳ねましたので)

なんと多くの小魚たちが私の目の前の波打ち際の、その打ち寄せる波の中にいたのです。

先ほどのこと(波の中にたくさんいた魚たち)といい、波打ち際の波の中にたくさんいる小魚たちといい信じられますか?

こういう奇跡が、次々に起きたのです。

私は、何でこんなことが起きているのか不思議で仕方ありませんでしたが「何でお前らこんなとこまで来てんだよ」といいつつ、その魚たちを動画に撮りましたがとにかく凄い数でした。

動画を観てもらえれば分かると思いますが、数百、数千の小魚たちが打ち寄せる波に乗って砂浜まで来ているのです。(もっといたかもしれません。私が撮った動画は私の目の前の魚たちと右横にいた魚たちだけだからです。それ以上の範囲は確認しませんでした。というか、それくらいで私は目一杯でしたから、とてもそれ以上の範囲を確認しようとは思いませんでした。ずっーとあの知多の海の砂浜にたくさんの小魚たちがよって来ていたら、それはそれで恐ろしいでしょう。何か大きな天変地変でも起こりそうでです。〔笑〕)

そのようなたくさんの小魚たちが、波に乗って砂浜まできて、水がギリギリきているところでピチャピチャ大騒ぎして泳いでいるのです。

「何でこんなことが起きているんだ」とさすがに私も、そのような独り言をいいながら動画を撮っていました。

その小魚たちは、波が引く時にその引き波に合わせてまた沖に向かい泳いで行くのですが、あまりに岸ギリギリまできているため、引き波に乗って行く時の小魚たちの体は半分以上水から出ているのです。

波に乗って多くの小魚たちが岸まできて、岸の辺りでバチャバチャ泳いで、そうして引いて行く波に乗ってまた沖に戻る、その戻る時には多くの小魚たちの体は半分以上水から出ています。

下手すれば岸に打ち上げられてもおかしくはない危ない状況なのに、その小魚たちは、そのような危ない状況を楽しんでいるかのように、何度も同じことを繰り返しているのです。

最初私は、あまり近づいたら小魚たちが逃げると思い、少し離れたところから、その小魚たちを動画に撮っていたのですが、多くの小魚たちがあまりに危ないことを平気でしているのです。(見ているこちらがヒヤヒヤです。〔汗〕)

ちょっと危なすぎると思い「お前らもう沖に帰れ」と波打ち際までよっていき沖に帰そうとしましたが、逃げるどころか、私が近くによって行くと大騒ぎして少し向こうまで泳いだかと思うと、すぐに戻って来て私の前を泳ぎ回っています。

こりゃダメだ、全然いうこと聞かないわと思い、私がここにいるからいけないと思って「お前らもう帰るからな」と魚たちにことわってさっさと帰りました。

私があそこにいては、いつまでたってもあの小魚たちは波打ち際から沖に行かないと思ったからです。

この辺りの海は、何度も書いていますようにカモメもいればサギもいる、もちろん鵜もいます。それにこんな波打ち際までたくさんの小魚がよってくれば、カラスだってよって来て、その小魚たちを食べるかもしれない(トビだってそうです)そのような天敵がたくさんいるところで、このような奇跡が起きたのです。

生物学の常識では、考えられないようなことが次々に起きているのですから、これを奇跡といわずして何というのでしょうか。

このような奇跡が私には次々に起きています。

この勉強している法の素晴らしさ、少しはお分かりいただけるでしょうか。

追伸…今日もらったウナッシーさんからのコメントに答えておきます。(いま私の周りで起きていることと関連していると思ったからです)

今月に入り、ご近所ですでに三名の方が亡くなられたそうですが、こちらでも同じようなことが起きているのではないでしょうか。(こちらはもっと激しい現象が現れているようですが)

今日書いた奇跡といい、このような現象といい、やはり現れる現象が段々激しくなっているようです。(よいことも悪いこともです)

何度も書いていますが、二十一世紀は心の世紀であり、二十世紀(末法の世)の心のままではもう生き残ることは困難なのです。(だから、ウナッシーさんの亡くなられたご近所の方も、多分心が変わっていなかったのでしょう。二十世紀の心のままだったということです。それで〔もしかしたら〕早めにあの世に引き上げられたのかもしれません)

天変地変が激しくなっているのも、その作用の一つと考えられます。(これも何度も書いていますが、温暖化が原因ではありません。この十年の平均気温は変わっていないからです)

もう、うんもすんもなく心を変えないと(正法の世の心にです)どんな災いが起きるか分からない時代となったのです。

心の差が起きる現象の差となって現れる時代となりました。

これからは(これまで以上に)心の在り方を考えなければいけないのです。

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10月 18 2015

知多の海での奇跡①

鳥取で震度4の地震が立て続けに起きているようですね。(昨日一回、今日二回)

法の流布のじゃまをすると本当にいいこと起きません。一昨日はともかく、昨日じゃました悪魔軍団は反省されてはどうでしょう。そのような行いは神の怒りを買う以外の何ものでもないからです。

昨日は、その悪魔軍団にじゃまされてブログを書けませんでした。(本当に日によって態度がコロコロ変わります。困ったものです)

仕方がないのでブログの時間を祈りと説法の時間にしました。(部屋の中で、表に向かって話すだけでこの辺りの人たちは私のいうことを聞いていますから、すぐにその場で説法が出来ます。〔笑〕)

そうしたらまた悪魔軍団に何か起きたようです。(午後の三時過ぎくらいから急にキレだし、それからガタガタうるさかったですから)何度悪いことが起きても自分たちが悪いと理解出来ないようです。

本当に哀れです。

マァ、哀れな連中の話はほどほどにして、一昨日は知多の海に行ってきました。

別に特別な理由はありませんでしたが、庄内川に行くだけでいろいろな奇跡が起きるのです。では、他のところに行ったらもっと起きるのではないかと思ったからです。(それに久しぶりに南知多ビーチランドの動物たちにも会いたかったし)

しかし(自分の勝手な期待だけで)だいたいそういう予想は外れるものですが、正しいことをしているとそのような予想も外れません。

自分の予想以上の奇跡が知多の海で起きたのです。

それで一昨日、私は名鉄電車に乗り知多奥田の駅まで行きました。駅につくと駅の天上の柱にすずめが何羽もとまってピィピィ鳴いています。(私がその電車に乗っていると知っているかのようでした)

私が駅に降りると、もうすずめたちの何羽かが駅の中をピィピィ鳴きながら飛び回り大騒ぎです。

「お前ら早いな。何で分かるんだ」と感心してすずめたちを見ていると、その駅は大学生がたくさん降りるのですが(福祉大学がありますので)皆そのような光景を無視して通り過ぎて行きます。

中には「ゴホゴホ」と咳をしたり鼻をすすったりしていく大学生もいます。ここの大学生連中もみな私のことを知っているのです。

私は呆れて「オイオイ、こんなことが起きているのにみな無視かい。普通こういうことが起きたら驚くだろう。何で驚かずに怒っているのがいるんだ。こういうことが起きている奴が何でそんな悪者なんだ」と声をかけます。

当然みな無視して行くのですが。立て続けにいっておきました。

「そんな嘘話を信じているから天罰が当たるんだ。どう考えてもそんな(私がすべて悪いというような)噂話が正しいわけないだろう、何でそんな悪い者にこれだけ鳥が寄ってくるんだ」「名古屋はそんな適当な嘘話を信じて俺に嫌がらせをする人ばかりだから、多くの人に癌が流行り出したんだ。そんな考えのままだとあんたらにも同じことが起きるぜ」

そういうと、ちょっとビクッとした大学生もいたようですが、そうして「名古屋の人たちに天罰が当たり始めたんだよ。嘘じゃないからな、嘘などついたらこんな奇跡はすぐに起きなくなる。このような奇跡が起きていることが嘘をいっていない証拠だよ」と続け、最後に「もう嘘話を信じて俺の悪口をいったり嫌がらせをするのはやめてな。そうしないとあんたらにも同じことが起きることになるからな。友達にもよくいっといて」といっておきました。

知多奥田の駅でいきなり説教ですが(というか、ほとんど文句ですが。〔笑〕)そういう現象が起きているところで説教をするのです。

これだけ効き目のある説教もないでしょう。口だけではなく、目の前で鳥が寄ってくるという奇跡が起きているからです。

しかし、事実そのようなことが起こり始めています。(悪魔軍団はもちろんのこと、運転手連中や今日など、どこかのマンションもやけに静かです。〔二、三日前まではバシバシうるさかったのにです〕次々に何か起こり始めたようです)よくいっておかないとダメでしょう。

私へのバカげた噂話は東海三県(愛知、岐阜、三重)くらいの多くの人が信じています。その(私がすべて悪いというような)大嘘話を信じていては、そのような人たちにどんな災いが現れるか分かりません。(それも私のせいになりますし)

外に出たのなら、このような話はしっかりしていきたいと思います。そうでないと、どれだけ多くの人に恐ろしい現象が現れるか分からないからです。

しかし、本当に恐ろしい時代(逆にいえば楽しい時代)となりました。自分の悪い心が(よい心もですが)すぐに現れるからです。(しかし、こんな時代となったのです。神の心を勉強しようとせずにいて本当に大丈夫ですか?それでは救われないと思うのですが…)

では、よい心でいるとどのような現象が現れるのか?話の続きを書きましょう。

知多奥田の駅を出た私は、そのまま南知多ビーチランドに向かいました。先に南知多ビーチランドに行って、午後からは知多の海で鳥やら魚やらを動画に撮ろうと思ったからです。

ところがです。十時少し前に南知多ビーチランドについたのですが、もう大型バスは何台も来ている、車も列になっている、中を見たら駐車場がすでに小学生であふれています。

もうそれを見た瞬間、南知多ビーチランドに行くの諦めました。あれだけ人がいては、とてもゆっくり動物たちを見られそうもなかったからです。

それで仕方がないので、そのまま知多の海に行き(南知多ビーチランドのすぐ先がもう海岸ですので)海辺を歩いていました。

砂浜なども歩いて海に向かって呼びかけるのですが、なかなか魚は跳ねません。

「今日は跳ねないな」と思いながら砂浜を歩いていました。すると、あちこちからいろいろな鳥たちが飛んできます。

カラスや鳩、トビまで飛んで来て楽しいものです。サギも飛んできたしカモメもいました。そうして小さな鳥たちも飛んできます。

白黒の鳥(あれどういう名前の鳥でしょう?)が近くまで飛んできて「ピーピー」鳴いています。可愛らしい鳥が私の横をチョコチョコ歩いて行きます。

その鳥など「撮ったるから待て」と声をかけると、急に足を止めて私の横で待っているのです。本当に可愛いものです。

そのような鳥たちをいろいろ動画には撮りましたが、海に来ているのです。鳥ばかり撮っていても仕方ありません。

海の主役の魚を撮らないと意味がないと思い、海に向かって呼びかけますが、鳥はよく寄ってきても、その肝心の魚がほとんど跳ねないのです。(ところどころで一匹、二匹は跳ねましたが、それくらいでは動画に撮れません)

「なんだよ、せっかく海に来たのに魚が全然跳ねないな」とブツブツいいながら砂浜を歩いて行きました。

知多奥田の海岸から野間の灯台がある辺りまで歩いて、その先の小野浦の海岸辺りでコンビニで買った握り飯を食べていました。

ずっと海に向かって「お前らいないのか、いたら顔を出せ」と声をかけて歩いてきましたが、結局魚はほとんど跳ねませんでした。

握り飯を食べながら昼からどうしようかと考えていました。時計を見るとちょうどお昼の十二時を少し過ぎたころでした。

海岸にいても魚はあまり跳ねる様子がありません。魚が動画に撮れないのなら海岸にいても仕方ありません。

それでまた海岸を戻って南知多ビーチランドに行こうと決めました。昼からなら大分すいただろうと思ったからです。

そうしてきた海岸をまた戻ったのですが、南知多ビーチランド辺りまできて時計を見るともう二時近くになっていました。

四時過ぎの電車に乗らないといけないので、このまま南知多ビーチランドに行っても二時間もいられないくらいです。

せっかく行くのなら中の動物たちをゆっくり見たいし(またじっくり動物たちとも遊びたいですし。〔笑〕)時間を気にして急いで見ていては見た気もしません。

それで、行こうかやめようかと悩んでいましたが、結局時間がないので、今日は南知多ビーチランドに行くのはやめようと決めたのです。

しかし、それがよかったのです。

その南知多ビーチランドに行くのをやめたことで、その場所(海岸)で凄い奇跡が起きたのです。

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10月 15 2015

天上界と地獄界

よほど恐ろしいことが起きているのでしょう。ずいぶん静かです。(そんなことが起き続けたら確かに怖いです。昨日も一昨日も起きたようですね。〔怖〕)

何が起きているのかは、さすがにそれをそのまま書いてしまうと、このブログを読んでいる人たちも引くでしょうから書きませんが、それが神の恐ろしさが分かるような現象であることだけは確かでしょう。

あまりに神を恐れ(畏れ)ない人が多いからです。

それでもこのブログを書きだすとうるさくすると思います。悪魔に憑かれる人が出てくるからです。そうなると恐れよりも怒りが先に来るからです。(そのような行いの方がよほど怖いです。恐れよりも怒りが勝るというのですから)

しかし、そのままでは地獄行きは確実でしょう。(そこは私が保証します)これほどの現象が現されているのです。いい加減、心と行いを変えられたらどうでしょう。所詮我々人間は神には勝てないからです。

神の前にはひれ伏すしかないからです。(そういう心に誰もなろうとしません。その傲慢さ、本当に恐ろしいです)

昨日のブログではありませんが、死んでからが長いのです。今の生きている間など永い輪廻転生の期間を考えるなら、ほんの一瞬の出来事なのであり、瞬(まばた)きをするのと変わらないのです。

そんなまたたく間の出来事にそれほど執着し、神に逆らい続けてはどれだけ損をするか分かりません。(どれほど自分の修行が遅れるか分からないくらいです)

何度もいいますが、心を入れかえらえてはどうでしょう。今のままでは確実に地獄行きとなるからです。

昨日も書きましたが、地獄は恐ろしくて苦しいところです。

高橋先生のご本に書かれてありますが、地獄界は太陽の光もまともに届かない(薄暗い世界だそうです)寒くて寂しいところです。

人がいてもどの人も愛がなく、いつ他の人たちに何をされるか分からない、そのような恐ろしい世界なのです。

そうして自分の体に悪いところがあっても、それを治す薬もなければ、治してくれる人もいない、悪いところは悪いまま、痛いところは痛いまま、そのような苦しみの中で生活して行かなければいけないのです。

人の体など指先にほんの小さなものが刺さっているだけでも、それが気になりピリピリ痛むのです。

地獄界で体験する痛みはそんな痛みの比ではないのです。どれだけ苦しいものとなるのか、それだけでも想像していただけると思います。

癌で亡くなるのなら、その癌の痛みを持ったまま(癌の末期はひどく痛むそうですから)交通事故で亡くなったのなら、そのひどい事故に遭った姿で痛みを持ったまま、地獄界で苦しむのです。(最近はよくテレビなどで、そのような悲惨な霊たちの姿を映しています。〔心霊写真や映像など〕あれなどまさに地獄界の映像でしょう。同じような死に方をしても、そのような死に方に執着がなければ、あれほどひどい姿にはなりませんが)

とにかく、地獄界になど行けばよいことなど一つもありません。そのような恐ろしくて苦しい世界が地獄界なのです。そのようなところで自分が悪かったと反省出来るまで修行するのです。

それとは逆に天上界は、それこそ絵にも描けないくらい美しくて楽しい世界です。

高橋先生が菩薩界といわれる場所に行かれた時の話です。

その場所は太陽の光がこうこうと輝き(その光は、夏のような強い日差しではなく柔らかで安らぎのある光であったそうです)一面にきれいな芝生が生えていて、その芝生を踏みしめると、その足を押し返してくるくらい生き生きとした芝生であったそうです。

あちこちで鳥の声などが聞かれ、生きる息吹がそこかしこに感じられ、そのような大自然があふれる中、あちこちに人の集団があり、その場所で静かに祈りを捧げている人や瞑想をしている人、あるいは神のことを語っている人たちなどが、たくさんいたそうです。

そのような人たちの集団を見ると、日本人だけとか、アメリカ人だけ、などというのでなく、いろいろな国の人たちが集まっていて、互いに心の勉強をしていたそうです。

そのような場所に大きな舞台のようなものがあり、高橋先生はその舞台のような場所から、芝生に腰を下ろしている多くの人々(菩薩界の人々)に向かって講演をされたそうですが(もちろんその場に腰を下ろしている人々は、白人から黒人から黄色人種から、いろいろ国の人が集まっていたそうです)そこは非常に心安らぐ調和された世界であったそうです。

少し書いただけですが、地獄界と天上界ではこれだけ違うのです。

死後、どちらの世界に往きたいのでしょうか?誰だって天上界であると思います。(完全に地獄霊に憑かれている人は地獄界というかもしれませんが)

天上界に往くには、この世の今の生活が連動してくるのです。

昨日私はまた庄内川に行きました。例の場所(南陽大橋の下)で休憩をしていると、しばらくすると前の水面にたくさんの小魚が集まってきました。(五~六センチくらいの小魚です)

こういうことは初めてです。もっと小さな小魚が目の前に集まってきたことはありますが、ある程度育つと魚たちはあまり近くには警戒してこなくなります。(手すりなどが前にあれば別ですけどね)

しかし昨日は、私が手で捕まえられるくらいのところにまで(五~六センチクラスの)小魚たちが寄って来て泳ぎ回っていました。

「お前ら元気だな」と声をかけると、嬉しそうにバシャバシャ勢いよく泳ぎ回ります。鳥たちも騒いでいましたし、カニなども何匹か出てきていました。

このような楽しそうな生き物たちの姿を見ていたら、まるでそこがそのまま天上界のようでした。(ちょっと川の水が汚いのが〔何せ黒く濁っていますから〕玉に瑕ですが)

いってはいけませんが、私は前には起きていなかったような善いことが、だんだん起きてくるのです。

それに引き換えこの辺りの人たちは、前には起きていなかったような悪いことがだんだん激しく起きてきています。(予想通りチョコチョコじゃましていますが、大丈夫ですか?また恐ろしいことが起きないか心配です)

このような現象一つとっても、どちらがよいことをし続け、どちらが悪いことをし続けているのかは一目瞭然であると思います。

どれだけやけくそになったところで、その間違いは後できっちり反省させられるのです。(地獄界で)

これだけ世の中が変わってきたのです。(善悪がはっきりと分かる世の中にです)

早く今の時代に追いつかなくてはいけないのです。

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10月 14 2015

災い転じて福となす

昨日ちょっと不思議な夢を観ました。それを書いておきます。

その夢の中で私は人がたくさんいるところを歩いていました。

私は両方の手に紙袋を持っています。その紙袋の中には大変甘くておいしいお菓子がたくさん入っています。

私は、そのお菓子を皆に配ろうとしているのですが、誰も私に関心がなく、それよりも自分たちがしている遊びに夢中です。

私は、その人ゴミの中で誰にお菓子を渡そうかと思って歩いていると、知り合いの人に会いました。

しかし、その人にお菓子を渡そうとはなぜか思いませんでした。

私がその人に「お久しぶりです」というと「元気」と返してきました。その人とはそんな話を二言、三言して別れました。

そうして歩いていると、段々周りにいる人が減っていき、人がいなくなった道を私は一人で歩いていました。すると先ほどの知り合いの人が後ろからついて来ていて「いま何をしているの」とかいろいろ聞いてきます。

それで適当に答えながら歩いていると、下の道の前方から(私たちが歩いている道は上の道で、少し下にもう一本道がありました)一人の男の人が歩いて来ました。

私はそれが誰だか分かりませんでしたが、後ろにいる人がその人を見て「森田の社長」と声をかけたのです。

私は「えっ」と思いました。あまりに風貌が変わっていたからです。森田の社長とは私の伯父さんであったからです。

その後ろからついてきた人は、確かに私の伯父さんを知っている人でした。

だからその人は前から歩いて来た人が、私の伯父さんとすぐに分かったんでしょうが、それにしても顔も体もずいぶんスマートです。(私の知っている伯父さんは顔も丸くて太っていました)それに片方の足を引きずりながら歩いています。

何か様子が変なのです。(服装も薄汚れた黒い服を着ていました)

後ろにいる人が近くまで来た下の道にいる伯父さんと「元気」とかいいながら話しています。伯父さんも「元気だよ」とかいっていますが、前と比べて顔色も悪ければ、体もずいぶんやせているし足まで引きずって歩いているのです。

私にはとても元気には思えませんでした。

「伯父さん本当に元気なの?」と私が聞くと「おお由紀夫か、ちょうどよかった。お前に聞きたいことがあったんだ」といいます。

「なに?」と聞くと、いきなりチラシのような物を私に見せました。

そのチラシを見るとGTS心の研究所のチラシです。(そういうチラシをつくったことはありませんが、夢の中にはありました)

「これお前の会社のチラシだろ」と聞きます。「そうだよ」と答えると、チラシの中に書かれてある「神」というところを指さして「これはどういう意味なのか教えてくれ」と聞いてきました。

「伯父さんは神を知らないのだな」と思いながら、その神の説明をしようとしたところで目が覚めたのです。

と、このような夢を観たのですが思い当たる節は多々ありました。

私の伯父さんは木材会社の社長をしていて一代でずいぶん儲けたそうです。家にも行ったことがありますが、豪華な家で別荘まで持っていました。(たいした別荘ではなかったそうですが。〔笑〕)

そうしてお金に細かくてずいぶんケチだったそうです。

何年か前に病気で亡くなりましたが、いい家にも住んでお金に細かくてケチであったのなら、亡くなっても、さぞこの世に執着を残しているんだろうなと思ったからです。

多分、伯父さんはまだ地獄にいるのでしょう。

そうでなければあれだけ(やせて)風貌が変わり、足まで引きずったみすぼらしい姿で私の前に現れるわけがありません。そうして神のことまで聞いてくるのです。

生前伯父さんは神のことをよく知らなかったのでしょう。そのような伯父さんの今の状況を私は夢の中で観せられたのです。

それにしても生きている時とは全然違いますね。顔も違うなら(私は全然分からなかったくらいですから)体もやせてしまい(マァ、普通くらいの体系ではありましたが、元々太っていた方なので)足も痛そうに引きずっていました。

あの世(地獄界)に行くとああも違ってしまうのでしょうか。(天上界に行っていてもやはり姿は違うようです。もちろん天上界に行くなら、もっと垢抜けして肌つやもよく若くて生き生きしているそうです。高橋先生のご本に書かれてあります。この世の人たちが野暮ったく見えるそうです)ずいぶん苦労されているようです。

私の伯父さんは別に悪いことをしたわけではありません。普通に仕事をして会社を興して、その会社を潰すことなく一生を終えられたのです。

誰にも迷惑をかけたわけではないのに、それでも地獄に堕ちているのです。

そうして、その地獄界で顔が変わるほどの苦労をして、なおかつ足まで痛めているのです。体がやせるほどの苦労をして体の痛みもまったくとれない、地獄とはそのようなところなのです。

伯父さんはそんな世界にもう何年もいるのです。(もう伯父さんが亡くなって十年以上過ぎたかもしれません)

死後、そういう世界に往きたいのでしょうか?

「自分は何も悪いことはしていない」そんな考えがいかに甘いか、このようなことからもお分かりいただけると思います。

行いが悪くなくても心が悪ければ地獄に堕ちるのです。(それに神のことをよく知らなくてもです。そういう人、たくさんいますよね)

では、心と行いが両方悪ければその人はどれだけ深い地獄に往くのでしょう。そのような人たちが私の周りにはたくさんいるのです。

もうクドクドいう必要もないでしょう。いった通りのことが起きて今日は完全に腰が引けているどこかの会社の人たちもいます。(腰を引いているのならやめとけばいいものを、それでもチョコチョコじゃましているんですから呆れます。これでは今日もまた起きますね。その恐ろしいことがです)

昨日など、人がたくさんいる交差点でブシュブシュではなくファンファン、クラクションを鳴らして通り過ぎていったトラックまでありました。

まるでパニくってでもいるようでしたがどうしたのでしょう?

そうかと思えば何もしていかないトラックもずいぶん増えました。(少し前まではほとんどのトラックにブシュブシュやられたのにです)やっても小さな音でブシュです。それならやらない方がいいと思うんですが…やっていることがずいぶん極端です。

もしかしたら(どこかの会社ではありませんが)私のいった通りのことが次々に起きているのではないですか?

そうであるなら、早く私に詫びを入れたらどうでしょう。この現象はまだ始まったばかりであるからです。これから何年続くか分からないからです。

そうして、そのような人たちが私がいった通りの現象が現れ死ぬのであれば、その行き先は、先ほど私が書いた伯父さんが行っているような地獄では済まないでしょう。

もっともっと深く苦しい世界に堕ちて行かなければいけなくなるからです。(私は嘘は書きません。嘘など書けば奇跡が起きなくなるからです。ここに書かれたことはすべて本当です)

悪いことをしたのは自分たちなのですから、そのまま一生を終えるのであれば地獄に行くのは当然のことです。

だから詫びを入れられたらどうでしょう。

そうして、これまでやったことを反省し、少し心を入れかえられてはどうでしょう。そうすればこれからの人生もよくなり、死後の世界も天上界に往くことになるからです。

災い転じて福となす、まだ今ならそれが間に合うのです。

しかし、その災い転じて福をなしたいのであれば、私が夢の中で持っていた甘くておいしいお菓子を食べなければいけないのです。

(その甘くておいしいお菓子とは法のことです。そのお菓子を食べるとは法を知って実践するという意味です。そうして初めて救われるのです)

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