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1月 07 2015

末法の宗教と正しい宗教の出現

今日から全国的に冬型が強まり、北日本など大荒れの天気となる予報が出ています。またこれから荒れた天気が続き雪も降り続くようです。雪国の人たちはお気をつけください。

今日は民主党の代表選の告示日です。

この今日からの荒れた天気と、民主党の代表選の告示は決して無関係ではないでしょう。

このような天気を見るなら「やはり天は民主党を望んではいない」そう思えてなりません。

今度の代表選で、誰が民主党の代表になるか分かりませんが、よほど改革をしないと民主党が天から望まれる党にはならないでしょう。(だから、これまで通りの民主党を、継承するような人が代表になってはいけないということです)

天から望まれないような党では、そんな党は消滅するしかないのです。

マァ、民主党のことはいいでしょう。昨夜のことです。私が家の近くまで帰ってくると、またある家からでかい音がしました。

その家とは、この前書いた、ある政党の看板がかかった、その政党を支援する宗教団体の信仰をされていると思われる人の家です。

その家から、この前、私が祈ったオバちゃんが出てきて(あの私が祈ると逃げだした人です〔笑〕)ドンとか、ガンとか、私が通るすぐ横ででかい音を立てていました。明らかに私に対する嫌がらせでしょう。

何で昨夜、その人はそういうことをしたのか?

多分、昨日書いたブログが気にいらなかったからではないでしょうか。(昨日のブログは、既存の宗教の祈り方を真っ向から否定しましたので、信仰をしている人から見たら面白くないでしょう)

それでそんなことをしたんだと思いますが、この人のこのような態度を見て、ますます今の宗教では人を救うことはできないなと思いました。

その人も信仰をしているのです。(直接聞いたことはありませんが、このような態度を取るなら多分間違いないでしょう)そうであるなら、私が間違ったことを書いていると思うのなら、愛の心ではっきり私に意見をいうか、いっても聞かないと思うのなら、その人を「正しくお導きください」と神に祈ってあげればいいのであって、私に対し嫌がらせをするという選択は、愛ある信仰者であるならありえないはずです。

しかし、この人は信仰者としてはありえない選択をしているのです。(私が目の前を通っているにもかかわらずです)

なんという愛のない行為でしょうか。この人が入っていると思われる宗教団体は、昔は強引な勧誘で、今は集団ストーカーなどで問題になっています。

本当に信者に何を教えているのでしょう。このような宗教団体の教義を信じたまま死を迎えるのであれば、その人は確実に地獄に堕ちることになります。

本当にこのような宗教の教義を、そのまま信じている人たちが哀れです。

本当によいのですか?特別この団体の人たちだけではありませんが、他の宗教をしている人たちでもです。

昨日、私が書いたような祈りをさせているところなど、皆その教えは間違っているのです。(ということは、既存のほとんど全部の宗教が間違いということになりますね。そのような祈りをほとんどの宗教がさせているからです)

そういう教えでは救われません。この法を知らないと本当の救いはえられないのです。

それはもう名古屋の人であるなら、誰でも分かるはずです。名古屋で起きているこの現象を、現在あるどの宗教も止めることが出来ないからです。

止められるわけがありません。先ほどもいいましたように、今あるどの宗教の教義も正しくないのです。では、この現象を止めることは出来ないでしょう。

この名古屋で起きている現象こそ、正しい宗教とは何かを教える現象であるからです。

もう認めるしかないのではないでしょうか。自分たちの宗教が間違っているということをです。間違っているから、名古屋で起きている現象の前にはその宗教は無力なのです。どれだけ祈ろうと奇跡が起きないのです。

自分が信じている宗教が間違っているからです。

これだけの現象が現れているのです。では、自分たちの宗教の間違いを潔く認め、その教義を変えられてはどうでしょう。教義を変えられ、その教義に合わせた心にその宗教団体の信者の人たちが変われば、その人たちは救われるのです。

では、変えられたらどうですか、その宗教団体の教義をです。

私は何も、自分たちが信じている宗教をやめろといっているのではないのです。間違った部分だけ変えればいいといっているだけなのです。(どの宗教団体の教義も、多くの部分は法と共通していると思います。〔人に愛や慈悲を示せなどという部分です〕共通していない部分だけ変えればいいのです)

どちらにしても、日本に住む人は宗教をしています。(仏教にしても、キリスト教にしても、他の新興宗教にしてもです)では、その宗教の教義を変えれば、多くの人の心も変わるということになります。(何がしかの影響は受けていますからね。自分たちがしている宗教のです)

もう末法の宗教を続けていても、救われることはありません。それは名古屋で起きている現象で証明されています。

その現象とは、サイレンが止まらない、ということだけではありません。多くの人が私がいう、神の存在、あの世の存在、人の輪廻転生を信じるということも含めてです。

つまり現在の名古屋では(サイレンが止まらないという)恐ろしい現象も起きていますが、それと相まって、唯心有神論を多くの人が信じる始めるという、意識改革まで起きているのです。

現象と意識改革が同時に起きる、これこそ本当の神の教えである正しい宗教が現れた証拠であり、現在の名古屋に本当の正しい宗教が出現したのです。

宗教とは宇宙を示す教えと書きます。(うかんむりは宇宙を現します。そのうかんむりに示す教えと書くのが宗教という文字です)つまり宗教とは、この大宇宙の法則を教えるものであり、そうであるなら、すべての人類が学ばなければいけないものなのであって、宗教をやるとかやらないとかのレベルではなく、この世に生きるものなら(それは動物植物すべてのものを含めてです)絶対に知らなければいけない(勉強しなければいけない)法則であるのです。(だから、釈尊が説法をする時には、その場所にいる鳥や鹿などの動物たちも聞きに来ていたのです。そのような動物たちも、釈尊の説法は〔すなわち正しい宗教は〕聞かないといけないからです)

その正しい宗教が名古屋に現れたのです。そうであるなら、その教えに従わなければ救いの道はないということになります。

既存の宗教をやめろとはいいません。しかし、少し教義を変えられてはどうでしょう。(その正しい宗教に従ってです)それだけで、多くの人が救われることになるからです。

(今日のブログを書いていて、鳥や魚たちが、なぜ私に寄ってくるようになったのか分かりました。正しい教えを説いていたからです。それで鳥や魚たちが私に集まってきたのです。その教えが聞きたいからです。〔それですずめたちを祈ってやったら喜んだんですね。その意味がよく分かりました〕このような現象が現れることでも、私のいっていることの正しさがよく分かります。名古屋の人たちは、私を悪魔に仕立て上げ逆らってばかりいますが、それをしている間は名古屋が救われることはありません。〔今もサイレンが聞こえていましたが〕私のいうことに従わないと救われないのです。そのことが正しいという証明が次々になされています。いつまで私のいうことに耳をふさいでいるのですか?その時間が長ければ長いほど苦しみが長く続くのです)

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1月 06 2015

正しい教えと正しい祈り

原油安が止まらないようです。

今年に入り食品の値上げが相次ぐところに、この急激な原油安です。ガソリンなどの油が下がることで、食品の値上げの影響もかなり相殺されるでしょう。

この原油安を、経済界では神風とまで呼んでいるそうですが、アベノミクスではありませんが、アベノミラクル(安倍総理の奇跡)はまだ続いているようです。

せっかく政治や経済で奇跡が起きているのです。それ以外のところでも奇跡を起こされてはどうでしょう。それ以外のところで災いばかりが起きていては、その災いに足を引っ張られ景気がよくなることはありません。

本当に日本をよくしたいのであれば、この数々起きる災いをなくすことです。

その災いをなくすには、日本の人々の心を変えねば出来ません。いい加減本当の神の心に気づかれてはどうでしょうか。神の心に気づかないとよい方向に心が変わらないからです。

例えば、今年も多くの人がいろいろな神社などに初詣に行きました。

しかし、その初詣に訪れた人が祈ることといえば「家内安全」とか「交通安全」とか「今年は景気がよくなりますように」とか「よい大学に入れますように」とか「よい会社に入れますように」とかいうことばかりです。

一見このような祈りは正しいように思いますが、このような祈り自体、すでに神を冒涜しているのです。

いい加減それに気づきませんか。このような祈りがいかに浅ましいかです。(こういう祈りが正しいと思っているから災いが次々に起きるのです)

だって、そうでしょう。このような祈りは、すべて自分たちの欲望を祈っているだけで、誰も神に対しての祈りをしていないのです。

神を下僕のように思い、あれをしてくれこれをしてくれと頼むだけ頼んで、そうして自分たちがよくなればそれでいいという、自分たちだけの祈りなのです。こんな祈りをしていて神を冒涜していると思わない方がおかしいのです。

初詣に行き「今年は神のために尽くします」とか「今年は神の心を知るため一生懸命勉強します」という祈りをする人などいません。(いってはいけませんが、神の子の人間としてこういう祈りが普通の祈りなのです)

神に対し、あれをくださいこれをください。天変地変を起こさないようにしてくださいなど、頼むだけ頼んでおいて、そうしてわずかなお賽銭を出すだけで、あとはお礼さえいいません。(いわないですよね。何か幸運が続いても日本で神に感謝する人などいませんし、よい天気が続いても、それを神に感謝する人はいません。自分で神に祈っておいてです)

わずかなお賽銭を払うだけで、その何十倍何百倍もの物をもらおうというのです。物だけでなく、天変地変が起きたら、一体どれくらいの損害が出るのか分かりません。そのもの凄い損害も出ないようにしてくれと頼むのです。

考えてみれば神に対し、どれだけ浅ましく厚かましい祈りをしているんでしょうか。(よく恥ずかしくありませんね)

これではいけないでしょう。こういう自分のことだけ自分の欲望ばかり祈ることが、いかに神を冒涜しているのか、それに気づかなければ、この日本に起きている災いは収まらないのです。

だから私は、神に対し傲慢な人が多いといっているのであり、もっと謙虚にならないといけないといっているのです。

これがこれまでの宗教の教えであり(末法の宗教)このような祈りで、その祈ったことがきかれるはずがないのです。

これまでこういう祈りをしていて、祈りがきかれたようなことが起きているなら、それは自分がそうなるよう努力した結果、そのような結果を得られたのか、元々そうなるような順序があったからそうなったのかのどちらかであり、決して祈りがきかれたからではないということです。

それは、先ほど書いたことを知ってもらえれば分かると思います。そんな祈りを神がきいてくださるわけがないからです。

そういうきかれるはずのない祈りの方法で祈らせておいて、そうして何かいいことがあると、それは祈りのお蔭ですと、後付けみたいなことをいうのがこれまでの宗教でした。(現代の科学とよく似ています。末法の世の科学や宗教とはこのようなものでしょう)

だから、これまでの宗教が教える祈りでは、その祈りがきかれたのか、きかれていないのか、よく分からなかったのです。よく分からないはずです。そんな祈り方では祈りなどきかれるはずがないからです。

しかし、この法の祈りは違います。確実に祈りがきかれたか、きかれていないのか分かるのです。

祈りが何らかの形で現象として現れるからです。

正しい祈りをすれば、その祈りはきかれます。間違った祈り方をすればきかれませんが、そのどこに間違いがあったのか、それも教えてくれます。

正しい教えを実践すると、確実に天の導きがあることが分かるのです。

正しい教えを学ぶのであれば、これまでの宗教ではあやふやであった祈りが、確実にきかれているということも分かり、現象も次々に現れ、そうしてこの世の理(ことわり)だけではなく、あの世の理まで分かり(ということは死への恐怖も段々なくなっていきます)そうしてこれからの自分は何をなすべきなのか、その道まで天が導いてくださるのです。

これ以上よいことはないのではないでしょうか。

この法を学ぶのなら、どのような心になればいいのか、それも分かり多くの人がこの法に従い心を変えるなら、現在の日本に起きている災いも段々減っていくのです。

ただ、心を変えてもこの災いはなくなりません。よい方に変えないと災いはなくなっていかないのです。そのよい方向を教えるのが、この法なのです。

本当に日本をよくしたいのであれば、多くの人がこの法を学び実践するしかないのです。

いつまで、この法を無視しているのですか?いつまで私一人を悪者にしているのでしょう。そんなに悪い者が、これだけ多くのことを伝えることが出来ますか?これだけ多くの人の心を救うことが出来るのでしょうか?

私は口だけではありません。それだけのことをしているのです。

悪いことを私のせいにしているだけではなく、その行いを見て(また鳥が寄ってくるなどの起きている現象も見て)正しい判断をしていただきたいものです。

そうして、この次々に起きる現象を知るのであれば、この教えはとても無視できる代物ではないと分かるはずです。

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1月 05 2015

法を知ろうとしない罪

これだけ多くの人の意識を変える教えが出ているにもかかわらず、なかなか行いを変えようとする人が出てきません。

しかし、今年の初めからすでに起きているこの全国的な荒れた天気、行いを変える人が出て来なければ、この「災」が収まることはないでしょう。もうとっくに時は来ているからです。

私の周りでは、朝から鳥が騒ぎ、誰が救い主であるのかを教えています。

いつになったら人はそれに気づくのでしょう。それに気づかない間は「災」は止まらないのです。(相変わらずこの辺り、サイレンがよく聞こえてきますし)

この辺りの人は私一人を悪者にしていますが、では、私を悪者にしている人たちはそれほどいい人たち(善人)なのですか?

昨日も書きましたが、心を救ってくれた人に、感謝もしないで嫌がらせをする人がそれほどの善人なのでしょうか。その人がやっているというちゃんとした証拠もないのに、一人の者を犯人に仕立て上げることが善人のすることなのでしょうか。

「サイレンが全部お前のせいではないかもしれないが、現に、お前が祈ったせいで病気になった人もいるではないか」

といわれる人がいるなら、では、その人は何で私に祈られたのですか?

その人は、私に嫌がらせをしなかったでしょうか?その人は、この法の流布のじゃまをしなかったでしょうか?その人は多くの人に(でかい音など出して)迷惑をかけなかったでしょうか。

少なくとも私は、人として、そのようなことをやってはいけない、ということをやっている人に対しては祈ります。

しかし、そういうことをしている人たちを「この人を正しくお導きください」と天に祈ることが、なぜそんなにいけないことなのですか。

その人たちは悪いことをしているのです。

その悪いことをしている人たちを、見て見ぬふりをしている方がよほど悪いことでしょう。私はよいことをしているのです。

「人に対する少々の嫌がらせや、このブログを邪魔することなどたいしたことではないだろう、なんでそれくらいで祈るのか」といわれる人もいるかもしれませんが、人に嫌がらせばかりされ(いじめられ)自殺する人もいるくらいです。

決して、それくらいのことではないでしょう。(特に私など、どれくらいの人に嫌がらせをされているのか分からないくらいですから)

それに私は、何度もそういうことをしてはいけない、といっているのです。(この法の価値を知っているからです)

しかし、口でいったくらいでは誰も、その悪いことをやめようとしないから祈っているのであり、それくらいのことといわれますが、昨日も書きましたが、このブログのお蔭で日本の多くの人の意識が変わったのです。(多くの人の心を救ったのです)

その多くの人の意識を、変える(救う)ほどのブログをじゃますることがそれくらいのことなのですか?その多くの人の意識を変えた私に嫌がらせをすることが、そのくらいのことなのでしょうか?

もし私に祈られて病気になった人が仮にいるなら、その人は大変な罪を犯しているのです。だから、そのような恐ろしい現象がその人に現れたのです。

それほどの大罪を自分たちが分かっていないだけなのです。

法の勉強をしていない人ばかりなのですから、その罪の重さが理解できないというのも分かりますが、しかし、これだけのことが起きているのです。(人が病気になったり、天変地変が起きたりです)

いい加減、この法の偉大さを理解すべきなのではないでしょうか。どれだけ法の勉強をしていないとはいえです。

例えば、この仏像に何かすると必ず祟られるという仏像があったとします。それを知らずにその仏像に何かした人がいたとします。それで、その人に何か起きたら、それはその仏像に何かしたら祟られるということを知らなかった、その人が悪いということにならないでしょうか。(それを、その仏像が悪いと名古屋の多くの人はいっているのです)

簡単にいえば、私に何かするということは、それと同じことなのであり、私の説いているこの法は、人の意識や行いを大きく変えるだけではなく、天変地変や人を病気にさせることまで出来る、それほど偉大な教えなのです。

そのような価値を考えるなら(先ほどの仏像どころの話ではありません)その法の流布をじゃますることや、私に嫌がらせをすることがどれほどの罪になるのかは分かるはずです。

私が祈って病気になった人がいるのなら、それはそのような自分の行いに問題があったのであり、決して私が祈ったせいではないということです。もし私が祈らなければ、その人はもっと大きな罪をつくっていたことになり、もっとひどい目に遭っていたのです。(それはそうでしょう。祈って現象が現れなければ、その人たちは私に対する悪いことをやめません。そうなれば、その罪は自分だけでなく、自分の家族やその周りの人にまで広がるのです。〔現にそうなっている会社があります〕そうなっては取り返しがつかないのです。人を病気にしたり、天変地変まで起きる教えの流布のじゃまをしているのです。それがどれだけ恐ろしいことか理解できない方が悪いのです)

この法は人を病気にさせることもできれば、天変地変も起こすこともできます。しかしそれは、この法に逆らう人だけに限定して起こる出来事にしかすぎません。

しかし、そのような現象も、決してその人を(その人たちを)単に不幸にする、ということではなく、そのような経験を積ませて、心を成長させる、そのような現象であるのです。

そうして、この法の原点は『奇跡』ということであり、この教えは本来は人を幸せにする教えなのです。(天変地変が起こせるということは、日照りのところに雨を降らせることが出来るということですし、人を病気にさせることが出来るということは、人の病気も治すことが出来るということです)

その教えを無視し、あろうことか流布の邪魔までしているため、現在の日本には災いしか起きないという悲惨な状況になっていますが、この教えに従い、この教えを実践する人が増えてくれば、この災いばかり起きている日本に奇跡が起きてくるのです。

私は、この日本を救うために法を説いているのです。

その私をなぜ悪者にするのですか?

これほどの偉大な教えを、理解しない人の方に罪があるのではないでしょうか。

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1月 04 2015

偉大な教え

福井、富山などの日本海側は大雪になっているようです。

京都も六十一年ぶりの大雪になったとのことですが、今年は暖冬という気象庁の予報もどこへやら、各地大雪の被害が相次いでいます。

最近の天気は、少し先はどのようになるか分かりません。(気象庁でさえ外しまくっていますから)今年も「災」には悩まされそうです。

名古屋も昨日はサイレンがよく聞こえていました。(これも「災」ですよね。災いの「災」です)

昨日は久しぶりに天気がよかったので(元日と二日は名古屋も雪でしたから)私も名古屋城の辺りに行き、お堀にいるカモメや鯉を撮影してきました。(よい動画が撮れました)

しかし、そのような鳥や魚たちと違い、あの辺りにいた人たちの私の見る目の悪いこと悪いこと、今年もまたたくさん嫌がらせされそうです。(昨日もされましたし)

あれだけサイレンが聞こえてきては(名古屋城の辺りでもよく聞こえてきましたから)そうなるんでしょうが、それにしても変わりません。いつまでこのサイレンを私一人のせいにしているんでしょうか。

これでは今年も「災」は激しくなることはあっても、収まることはないでしょう。誰も心を変えようとしないからです。

多くの人の目の前で、鳥がたくさん集まってくるという奇跡が起きているのですから(まったく餌など与えないのにです。餌をやる人に鳥が集まるということは起きますけどね)そういう現象を認めればいいのに、それは全部無視して悪いことだけ私のせいです。

そんなことをしていては名古屋のサイレンは止めようがありません。

私は多くの人の心を救っているのです。(神からあの世から人の輪廻転生から教えてです)さらに鳥や魚がたくさん集まってくるという奇跡まで見せていて、さらに人としての正しい心の在り方まで毎日のように説いています。(このブログでです)

名古屋の人々は、このブログを読んだことがある人が多いと思いますが、私に心を救ってもらい、そうして奇跡まで見せてもらい、さらにいろいろなことを教えてもらっていて、それには一つも感謝せず、私一人を悪者にして嫌がらせをし続ける。

一体どれだけ悪事を重ねれば気がすむのですか?

よくこれだけ自分勝手なことが出来ると驚きますが、これだけの悪事を日々続けていて、それでも「自分たちは何も悪いことをしていない」ですか……本当に気は確かでしょうか。

私からすれば、とてもまともとは思えないほど自己中な考えでありますが、これが現在の名古屋に住むほとんどの人たちの考え方なのです。

これでは天罰が下らない方がおかしいと思えますが、そこはどうなんでしょうか。

しかし、大丈夫ですか、名古屋の皆さん。この名古屋で起きているサイレンを止めることが出来るのは、もしかしたら私だけかもしれないのです。(だって誰も止められないですもんね。このサイレン)

それなのに名古屋の人たちは、その救い主を、よってたかってこのサイレンの犯人に仕立て上げ、悪魔にしてしまっているのです。

唯一の救い主を、悪魔にしてしまっては名古屋が救われる道がなくなります。

もしかしたら名古屋の人たちは、大変な間違いを犯しているのかもしれないのです。

私が救い主なのか、それとも悪魔なのか、それは鳥たちが教えています。(気の小さな鳥たちが悪魔に寄って行くでしょうか?救い主なら、気の小さい鳥たちでも喜んで寄って行くんでしょうが)

これだけ多くのサイレンを一人の者がやれると思いますか?もう一度冷静になってよく考えてみてください。名古屋の人たちは、たった一つの救いの道を自ら断ち切っているのかもしれません。(そうなると救われる道がなくなってしまいますが…)

しかし、どちらにせよ、名古屋の多くの人の考えが大きく変わったことは事実です。これだけ多くの人が、名古屋の町に毎日響くサイレンを、私一人のせいにしているのがそのよい証拠です。(少し前なら、このような現象を、たった一人の者のせいにするなど考えられないことでした)

このように、この教えは名古屋を中心として東京や大阪のような大都市から、日本全国に拡がりつつあります。

しかし、現在の日本の人々は、大きく考えは変わりつつありますが、まだ考えを変えただけの人ばかりで、行いを変えた人はほとんどいません。(心と行いを変えた人は、わずか二人くらいです。本当に惨憺たる状況です)

だから、現在の日本には他の国以上の「災」が起きているのです。その考えを変えた人が行いをいつまでたっても変えようとしないからです。

しかし、唯物無神論であった日本の人たちの多くが、唯心有神論に近い考えに変わってきたということだけは事実なのです。

あれだけ頑なに、唯物無神論を信じ続けてきた日本の人々が、唯心有神論に考え方が変わってきているのです。これはまさに驚天動地の出来事なのではないでしょうか。

時代が変わってきていますので、それに合わせた現象が起きているとはいえ、頑なに唯物論を信じていた日本の人々が考えを変えつつあるのです。この事実一つとっても、法とは本当に偉大な教えであると思われないでしょうか。

それほど偉大な教えを聞いていて、それを行おうとしなければ、当然「災」は起こります。

この偉大な教えである法は天さえも動かすからです。(釈尊、キリスト、モーゼが説かれた教えはそれほど偉大なのです)

その法に従おうとしないのは人の道に外れているのです。だから「災」が起きてくるのです。

いつまでも自分の小さな考えの中にとどまっているのですか?いつまでこの世の栄耀栄華だけに浸っているのでしょう。

それではいつまでたっても、この法を理解することはできません。法は行ってこそ、その効力を発揮するからです。頭の中の知識をつけているだけでは何も分からないからです。

法は行いの中にこそ生命が宿るのです。早く自分の心を変え行ってください。

そうすれば、この「災」はなくなるからです。

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1月 03 2015

モーゼとキリストの心

去年の話ですが(六月くらいに)ノアの箱舟(ノア 約束の舟)の映画が日本で公開され、今度はモーゼの映画(エクソダス;神と王)も公開されるようですね。(たしか今月末頃ですよね)

このモーゼの映画はいろいろいわれていますが(映画のキャストが人種差別丸出しだとか〔神やモーゼや王を演じる役者はみな白人で、盗賊や奴隷を演じる役者がみな黒人〕モーゼが海を二つに割るシーンが奇跡ではなく、地震によるものであるとかです)旧約聖書の出エジプト記を題材につくられたもののようですから、モーゼやモーゼの起こされた奇跡の迫力あるシーンは観られると思います。

そうであるなら、モーゼという人物を知るうえで、やはり観た方がいいのではないかと思われます。

人種差別や、いくつかの奇跡を偶然のように撮られていても、それは仕方がない部分もあるでしょう。まだそのような時代だからです。(未だ人種差別はあり、科学がすべてと勘違いしている人も多いからです)

しかし、このような映画が公開されるということが大きいのであり(神の心を、神の奇跡を多くの人が思いだすことになるからです)日本でも多くの人が、このような映画を観ることを望んでやみません。

要は、このような映画がヒットした後、モーゼとはどのような人物なのか、モーゼの大奇跡は本当に起きたのか、それを明らかにしなければいけないのが、法を知る人なのです。

法を知っている人は、あの映画はよかった、感動した、で終わらせてはいけないのです。そのような映画の奇跡は本当に起きたという、その証明と、そうしてモーゼの本当の心を多くの人に知らせないといけないのです。

それが法を知る人の使命と役割だからです。

実際に、現在のユダヤ教にしてもキリスト教にしても、モーゼやキリストの心が、そのまま伝わっているわけではありません。

もし、モーゼやキリストが説かれたことが、そのまま正しく伝わっているのなら、モーゼやキリストが起こされた奇跡と、同じ奇跡が現代でも起きなければいけないからです。

モーゼやキリストと同じことを説いている人がいるなら、当然ではありますが、天が(天上界が)その人に、モーゼやキリストにしたことと同じことをしてくれます。天が同じことをしてくれるなら、モーゼやキリストと同じ奇跡が起きるはずです。

しかし、現在、モーゼやキリストと同じ奇跡を起こせる人はいません。では現代に、モーゼやキリストと同じことを説いている人、同じ心を持っている人はいないということになり、ということは現在のユダヤ教、キリスト教では、モーゼやキリストの心を正しく伝える人はいないということになるのです。

モーゼやキリストの心を、正しく伝える人が現代にいないのですから、だから映画の制作も、そのまま奇跡を奇跡として撮らない部分もあるでしょうし、人種差別もあるのです。

モーゼやキリストの心を、そのまま映画に反映出来ないのです。モーゼやキリストの心をしっかりと具現出来る人がいないからです。

その足らない部分を足してあげるのが、私たち法を知る者の使命なのです。

現に法を知っている者には奇跡が起きています。それに当然ではありますが人種差別などもしません。(ただし役割の違いはいいますが)

だから法を知っている者は、モーゼが起こされたあのような奇跡は実際に起きた、と主張も証明も出来ますし、くだらない人種差別などということをいつまでやっているのですか?という意見もいえるのです。

私を知っている人は、そうなるのではないでしょうか。あのモーゼの大奇跡も起きたと確信できるでしょうし(実際にそのような奇跡が次々に起きているからです)人種差別がよくないということも分かるからです。(このブログを読んでいればです)

モーゼやキリストの心を知るなら、同じような奇跡は現代でも起きるのです。(現に私には起きています)ただ、現代の人は、モーゼやキリストの心を正しく知らないだけなのです。

モーゼやキリストの心を正しく理解していなければ、天は、モーゼやキリストと同じことはしてくれません。だから、同じ奇跡が起きないのです。しかし、モーゼとキリストの本当の心を知って、それを実践するなら、そのようなことをしているすべての人に、天はモーゼやキリストと同じ協力をしてくれます。

そうであるなら、モーゼやキリストと同じ奇跡が誰にでも起きるということになり、そうであるから、そのモーゼとキリストの本当の心を知らないといけないのです。

そのモーゼとキリストの心を正しく伝えているのが、この法なのです。(だから同じような奇跡が起きるのです)

肌の色が違うだけで人を差別するなど愚の骨頂でしょう。肌の色が違うだけで、人の良い悪いが決まるわけがないではないですか。現にモーゼやキリスト、あるいは釈尊も白人ではありませんでした。

それを考えるなら、逆に白人の方が偉大ではないと思えるのではないですか。肌の色で人を差別されるのならです。

しかし、モーゼやキリスト、釈尊は心が大事であるといわれたのです。その心の違いが人としての唯一の違いなのです。

モーゼやキリストは人間平等を説かれました。それなのにユダヤ教やキリスト教を信仰している人たちが、人種差別をしているようでは「モーゼやキリストの心をまるで分かっていない」といわれても仕方がないのではないでしょうか。

子供ではないのですから、単に肌の色が違うだけで人を差別する方がよほどおかしいのです。

また、モーゼの大奇跡を信じられないというのは、それは自分たちがしっかり信仰ができていない証拠なのです。日本の人々など大して信仰をまじめにしていないにもかかわらず、そのような奇跡を信じる人がたくさん出てきました。

日本には法(本当の神の教え、即ちモーゼやキリストが説かれた本当の教え)が存在するからです。

法が現れれば、日本のような唯物無神論などという、神から観れば、これだけ傲慢不遜な人たちはいないと思われる国の人たちでさえ、モーゼの大奇跡を信じるようになるのです。

それだけ法とは偉大なものだからです。(それだけモーゼやキリストが説かれた教えも偉大であるということです)

アメリカ、ヨーロッパの人たちも、この法を学ばれたらいかがですか?このような日本の人たちでさえこれだけ変わるのです。そうであるなら元々神を信じている、アメリカやヨーロッパの人たちはどれだけ変わるでしょう。(想像がつかないほどです)

法を学ばれるなら、せっかくのモーゼの映画を、人種差別や奇跡をしっかり描かないということで汚すこともないでしょう。

どちらにしても、この法を世界に拡げなければいけません。

それには、ノアの箱舟にせよ、モーゼにせよ、聖書を題材にした映画がつくられるのはありがたい話です。

このような映画が出来たのです。では、そのモーゼと同じことを説いて、同じ奇跡を現す者もいるということも知っていただきたいものです。

そうすれば、本当のモーゼの心と本当のモーゼの大奇跡が実感として分かるからです。

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