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10月 30 2011

続、タイの洪水

タイの大洪水が連日のように報道されています。

タイは昨日が大潮だったようですが、首都バンコクも三分の一が水につかってしまったようです。日本では、自動車メーカーや他のメーカーはもちろんのこと、食にまで影響が出始めました。(大分タイから日本に食べ物も輸入されていたのですね)

そればかりではなく、この大洪水が長引けば(ずいぶん水が汚いので)今度はマラリアやデング熱などの伝染病もはやり出すかも知れず、タイ国内は大変なことになるかもしれません。(このマラリアやデング熱などの伝染病が、タイで多くの人に発生すれば、他の東南アジアの地域にまで波及しかねませんし、日本にも何らかの形で影響があるのではないでしょうか)

どちらにしてもタイの大洪水は、もはやタイ一国の問題ではなく、日本を始め多くの国々に大きな影響を与えています。

大袈裟な言い方ではなく、タイの大洪水が収まるのが遅れれば遅れるほど、世界中の国々が深刻な影響を受けることになります。

日本もいろいろ物を送り、水質検査をする技術者なども派遣していますが、もはやタイは、そのような物質的部分だけで、どうにかなる問題ではないのではないでしょうか。

この大洪水を一刻も早く収める、まずそれをしないと、何も始められないのではないでしょうか。

それなら、祈りでも何でもやるという気持ちは大切だと思いますが、現実にタイの人たちは祈りをしている人たちもいますが、あまり効き目がないようです。

では、日本の名僧高僧といわれる人たちはどうでしょう。またキリスト教の牧師さんはどうでしょうか。このような方たちは、釈尊の教えやキリストの教えを学んでいる人たちばかりです。(しかも布施や寄付などしてもらい、お金をいただいているプロです)

釈尊やキリストがいられたらタイの洪水などすぐ収めてしまうでしょう。そのような偉大な方々の教えを学んでいる、坊さんや牧師さんなら、お経や祈りでタイの洪水などあっという間に収められるのではないでしょうか。(あっという間は無理かもしれませんが)

出来ないというのであれば、そのような人たちは釈尊やキリストの教えを学んでいるといっても、学んでいるうちに入らないのではないでしょうか。(では、そのような人たちがしている、お経や祈りなど、ただ形だけで何の効き目もないということになります。それでは生きている人たちはもちろんのこと、死んでいった人たちも浮かばれません)

日本には神と呼ばれている人たちがいます。(自称されているだけかもしれませんが)そのような人たちはどうでしょう。私の神通力で、すぐあのタイの洪水を収められると言われる人はいないのでしょうか?神ならそのぐらいのこと朝飯前でしょう。それくらいのことも出来ないというのであれば、その神は偽者ですね。(それか死神や疫病神、貧乏神の類でしょう。私のような素人が、それをやるといっているのです。世の名僧高僧といわれる人たちや、神と呼ばれている人たちは一体何をしているのでしょうか?)

日本の物や技術をもってしてもだめ、日本の神やら仏やら言われている人でもダメ、誰もタイを救える人はいないようです。(何度も言いますが、このタイの洪水はタイ一国の問題ではありません。日本はもちろんのこと多くの国々に影響与える問題なのです)

このまま黙って成り行きを見守るしかないのでしょうか?

タイに進出していられる企業の方々はどうされるのでしょう、よくよくお考えください。

(特にトヨタやパナソニックはよく考えていただいた方がいいと思います)

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10月 27 2011

タイの洪水

タイでは現在、洪水で大変なことになっています。

その洪水が収まるどころか広がる一方で、何で雨がやんでるのにこんなことになっているのでしょう?今月末が大潮でとか、タイの地形が悪くとか、理由はいろいろあるでしょうが、このままではタイの人たちの生活はもちろんのこと、タイに進出している日本の企業も、いつ回復できるか分かったものではありません。

タイに五十年に一度の大雨が降ったといわれますが、それにしても日本の企業も含め甚大な被害が出ています。

しかし、困りましたね、タイ政府は船のスクリューを回して水を川に追いやることもしていましたが、そんなことぐらいではとても洪水が収まりそうもなく、もう、水が来ないところに逃げるしかないという状況です。

土嚢をどれだけ積んでも水はそれを超えてくる状況であり、この水が引くだけでも一ヶ月はかかるのではないか、とも言われています。(タイ南部のバンコクやアユタヤなどは、一ヶ月くらいでは水が引かないとも言われていますが)

どちらにしても、もはや手がつけられない状態であるのは確かなようです。

トヨタグループの企業の幹部の人など、歴史的円高に加え日本での大震災や、このタイの大洪水です「天災に狙い撃ちされている」と嘆いているようですが、たしかにトヨタは大震災の影響による減産を取り戻すために、本格的な増産態勢を取り始めたところにタイの水害です。タイからの部品調達がストップしてしまい、影響が長引くと増産計画の見直しを迫られることになります。

タイからの部品調達の不足で、トヨタの国内の残業はすでに休止になり、トヨタ車の生産に影響が出始めました。日本の国内の、自動車生産で影響が出るのはトヨタが初めてらしいのですが、トヨタのように“かんばん方式”などしていたら、少しでも部品の調達が遅れればその影響はまともです。トヨタ自動車に一番に影響が出始めたということもよく分かります。(だから私は“かんばん方式”などいけないと言っているのです。天災に狙い撃ちされている?まさにその通りですが…)

さて、そこでです。

もうすぐにはどうやったってタイの洪水は収まらないのです。では、少しでも早くこのタイの洪水を収めるにはどうしたらいいのでしょうか?

私のブログ見ていられる方はお分かりいただけると思います。そうです。神頼みしかないと思います。

タイでは何をしても水は引かないのです。(というか未だに洪水は広がっています)この大洪水を少しでも早く収めようとするのであれば、もう神に頼るほかないのではないでしょうか。(それとも他に何かいい方法がありますか?)

神頼みということであれば、やはり私が白眉でしょう。(自分で言っていますが〔笑〕)

私が祈り(信用されているかどうかは別にして)地震は起きるわ、大雨は降るわ、異常な高温にはなるわ、異常な動きや発達をする台風は来るわ(おまけに今月など秋なのに、雪が降り、桜が咲き、夏のような気温になって大雨が降る、という奇跡も起きました)という祈りの天才です。(注、天災ではありません)

その私が祈ればタイの洪水などすぐ収まるでしょう。(…マァやってみないと分かりませんが〔汗〕)

話の本題はここからです。そこでどうでしょう。タイに進出している企業の皆さんできるだけ多くの企業の方がいいのですが、今回だけで結構です。私のスポンサーとなっていただけないでしょうか。

そうして私が祈って、明らかにタイの洪水が早く収まったと分かれば、スポンサーとしてお金をいただきたいのですが…例えば、今のままではタイの洪水は一ヶ月は収まらないでしょう。しかし、私が祈り(それが三日や四日早く収まった、というのであればいけませんが)十日以上早く水がタイから引けば、その時はお金をいただくというのはどうでしょうか。(二十日以内にタイ全土から水を引かせる、ということです)

このように明らかに水が早く引いたということが分かるなら、今回だけのGTS心の研究所のスポンサーとして、GTS心の研究所にお金を振り込んでいただけないでしょうか。

もちろん今回だけの特別スポンサーです。ですから、今回、もし私の祈りでタイの洪水が早く収まり、お金をいただけたとしても、それ以降はどこの企業とも(また誰とも)GTS心の研究所と何の関係もありません、あくまで今回だけの特別企画です。

今のままではタイの人たちも困るでしょうし、日本の多くの企業も莫大な損失を出すことになります。しかし、もう解決方法はないのです。もう天がどうするか、それだけなのです。天のなすがままなのです。であるならば私は天を知っています。私にぜひ祈らせていただきたいのです。

では、勝手に祈ればいいだろう、と思われる方もいられるでしょうがそうはいきません。

私はタイの人たちや日本の企業も見捨ててはおけませんが、それ以上に“ブッダの法”を拡げる、という使命があります。しかし、今のままではそれが出来ません(ほとんどの人が私が何を言っても〔また何を祈って起こしても〕協力していただけないからです)これでは法を拡げようがありません。このようなところで、祈って、その成果を見せなければ誰も相手にしてくれません。

だからやるしかないのです。人の弱みに付け込んでといわれようと何を言われようと、このような災害を通して法の正しさを証明し、それを拡げるための費用も稼ぐ、ということを。(これは法の証明のためにやるのであり、そのような理由がなければ、わざわざこんなリスクのあること書きません、出来なかったら一変に信用を失うのです。しかし、法を拡げることができるのなら、どのようなことでも活用させていただきます。これは人のためにもなり法のためにもなるという一つの方法です)

タイの大洪水を、私が祈り、成果が出なければお金は一切いりません。しかし、もし、明らかに影響が出た、と思われたならお金を振り込んでいただく、というスポンサー企業を募集します。

タイを救いたい、と思われる方なら企業だけでなくどなたでも結構です。

来週末の来月の四日までお待ちします。(このことは五日のブログに書きます)ただ、いただく金額はもう決めてあります。(天から言われておりますので)一人や二人の方やあるいは中小企業の方ではとても払える金額ではないでしょう。ですから出来るだけ多くの方(企業)を募集します。(スポンサーになってもよい、と言われる企業でその金額を割ればいいのですから)

もし興味がある企業(または人)はメールでご連絡ください。よろしくお願いいたします。

(このブログに書いたこと一笑に付しますか、それとも真剣に考えていただけますか、それによって今後の日本の進む道が決まってくると思います)

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10月 26 2011

五人組制度の影響

東京は今月など、ずいぶん寒暖の差が激しいようです。昨日の東京は昼間27度近くあった気温が、今朝は15度くらいしかなく、その差が12度以上もあったそうですね。例年なら十一月下旬からはやり出すインフルエンザが、もうあちこちで発生し出して学級閉鎖している学校もあるとか、そりゃ、この気温差です、インフルエンザもはやるでしょうね。でたらめなオバちゃんが東京の立川にいますので、東京もでたらめなことが起きますね(今度は自分は福岡に住む男性であるとメールが来ました〔笑〕相変わらずでたらめです)このオバちゃんが正体をさらしたら、東京がこんなになっている責任を取ってもらわないといけませんね。(笑)

それはともかく、前回書きました、日本に昔からある一人の人が独断でやってしまうといけない、という風潮はどこから来ているのでしょうか。それを書いてみたいと思います。

園頭先生の「正法と現代宗教」から抜粋します。

<五人組制度の影響

日本に個人主義が発達しなかったのは、五人組制度の影響が大きい。

日本人は個性がないといわれる。日本人は一人ではものがいえない。必ずまわりを見廻して、まわりの人々がどう思うか、人の顔色を見てからでないとものがいえないとよくいわれる。かと思うと、集団になると、とても一人ではできないようなことも大胆に平気でやる。

日本人は「群れ」たがる民族だといわれる。一人ではなにもできないが、集団になると強いというこの性向は、よい指導者が現れるとよい方に動くし、わるい指導者が現れるとすぐわるい方向に動くということになり、日本人は顔色を見て動く民族だともいわれるゆえんである。いわゆるムードに弱い民族であるということだろうが、どっちが旗色がいいかということで動いて、自分一人の意見で決めるということをしない。

みんなでやれば、責任や心の負担が分散されるから、そう強く失敗や罪の意識にもとらわれない。自分だけじゃない、あれもやっているんだということで、自分の責任として深く反省することをしなくてもよいということになる。

           (中    略)

ムードに弱く個性がないから、あっちがよいというとあっちへ、こっちがよいというとこっちへと、すぐ気が変わりやすいという面がある。

以上のような日本人の性向はどうしてできたのであろうか。

一六三七年、島原の乱が起った年、幕府は五人組制を制定している。よいこともわるいことも、すべては五人組の共同責任とするということである。

この制度のねらいは、キリシタンの外に、幕府の命令を聞かない日蓮宗の不受不施派、あるいは藩によっては一向宗(浄土真宗)を禁じていたので、それらの謀叛者が出てこないようにということもあった。

五人組の中の一人が謀叛を起すと、それは五人の連帯責任として五人全部がなんらかの処罰、場合によっては打ち首になるという制度であるから、なにをするにもまわりの五人組の人達がどう思うかということを考えなければならず、自分ひとりで勝手になんでもやるというわけにはいかなかった。

「隣近所に迷惑をかけてはならない」という一つの社会慣習は、こうしてつくられてきた。>

この五人組制度の影響で(何百年もそれが続きましたから)何をするにも自分一人では決められず、他の四人の意見を聞いてから決める、という習慣が日本に出来上がります。それが現在のような何をするにも皆で一緒に、という日本人の特有の習慣をつくっていくのです。

現在の日本の人々が、必要以上に独裁ということを嫌うのは、上記のような江戸時代からの慣習に理由があるように思われます。

しかし、一方では強いリーダーシップを持つリーダーも求めているのです。

強いリーダーシップのあるリーダーを求めながら、独裁を嫌うというのは何か矛盾しているようにも思いますが…このようなところも五人組制度による弊害が出ているように思います。結局、自分自身では何も決められないのです。誰か他の人もやれば自分もやる、というように自分一人では決めようとしないのです。(すべての人が、という意味ではもちろんありません、このような人が日本人には多いという意味です)

だから、日本人は他力信仰をする人が多いのです。(何でもかんでも神や仏に頼り、自分では何もしないという)

橋下知事の行動は、現在の日本の多くの人から見れば反感を買います。(それは先に書いたような理由からです)しかし、自分から何かをしようとしなければ進歩も向上もしないのです。結果はどうなるか分かりませんが、その姿勢は今の日本の人たちにはないものであり、見習うべきところは見習う方がよいのではないでしょうか。

いつまでも江戸時代の慣習に縛られていては進歩も向上もしません。そのような習慣を打ち破り、一歩踏み出したその先に神の光明が観えるのであり、神の力(奇跡)が現れるのです。周りにばかり気を使っていては自分自身の向上などありえません。自分自身で一歩踏み出して、初めて観えてくる世界もあるということを知ってください。

自分がよいと思ったら自分一人でもやる、という気持ちがなければ、向上していかないし成長もしません。橋下知事の勇気ある行動を、もう少し興味を持って見られるようになるということは、大事なことではないでしょうか。

自分が正しいと思ったら自分一人でも進む、という気持ちを、私たちは忘れてはならないのです。

……。

次回のブログの予告を少し書いておきます。(こんなこと初めてですが〔笑〕)

次回は、今、大変なことになっているタイの洪水のことを書きます。大変重要なことを書きますので、このブログを読んでいる方で、あのタイに企業が進出している企業の方を知っている方(私のブログを読んでいる方で何人か見えるはずですが)は、ぜひ、その方々に次回のブログだけでいいですので、私のブログを読んでいただけますよう、お願いしたいと思います。次回分だけで結構です。よろしくお願いいたします。

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10月 24 2011

大阪都構想

大阪の橋下知事が辞表を出されました。“大阪都”実現のために今度は大阪市長となって、大阪市をぶっ壊し二重行政の解消を目指されるとか、鼻息が荒そうです。

賛否両論あるようですが私は賛成です。よいことではないでしょうか、愛知の大村知事と河村市長もそれを目指して頑張っていられるのですから、応援しないといけませんね。

ここ二、三日のテレビなど観ますと、橋下知事が「この国の政治に足らないところは独裁です」と言われているところばかり出てきますが(よほどこの部分がマスコミは気に障るのでしょう〔笑〕)では、マスコミの方々にお聞きします。

よくマスコミは、強いリーダーシップを持つリーダーが必要だ、と言いつつ、それらしい人が出てくると、すぐ独裁はいけないと言われます。

強いリーダーシップを持つリーダーと独裁者の違いは何でしょう?

それを分かりやすく教えていただきたいのですが…。(こんなの簡単な質問ですよね、マスコミの方々からすれば。だってあれだけ普段から言われているのですから)

中東の独裁国家ではあるまいし、少し一人の人が何かやると、すぐ独裁だ、独裁だ、と言われますが、それほど大袈裟に言うことでしょうか、一人の人が独断でやってしまうといけない、という風潮が日本には昔からありますが(江戸時代の五人組制度が影響していると思われます。また、そのことはくわしく書きます)それだと釈尊もキリストも独裁者であった、ということになってしまいます。

要は何をするのか、その中身の問題なのではないでしょうか。

しかし、橋下知事は少々きつい言い方をしてもいいんじゃないですか、だって大阪は橋下知事が知事をやられる前までは破綻しかけていたのです。それを立て直されたのは橋下知事でしょう。この大阪都構想が失敗しても元々ではないですか。(どっちみちあのままでは大阪は破綻していたでしょうし)

少々無責任な言い方かもしれませんが、橋下知事もそれくらいの気持ちでやらないと、そんなに簡単に(都の実現など)やれるものではないのですから、開き直ってやられるほかないのではないでしょうか。

橋下知事は、あの超問題であった大阪を(ちょっと失礼ですか)黒字化したという実績があるのです。こんなこと誰にでも出来ることでもないでしょう、なぜ、このようないいところをもっと多くの人は評価しないのでしょうか?(園頭先生は、人の悪いところより、よいところを見ないといけない、とよく言っていられました)橋下知事の手腕は確かなのですから、このようなこと(大阪都構想)にもチャレンジしていただいて、どのような結果が出るのか見てみたいとは誰も思わないのでしょうか?

重箱の隅を楊枝でほじくるような、あまり細かいことばかり言って、このような人を潰してしまっては、いつまでたっても新しい人は出てきません。それでは日本の損失です。もう少しおおらかに見て、人を育てるということも大事なことなのではないでしょうか。(最近“おおらか”などという言葉は死語ですね…ほんと小さな人が多くなりました)

子供は親が育てなければいけませんが、大人は社会で成長するという部分は当然あるのですから、細かいことばかり言って(ましてどこかの国会議員のように人の言葉尻つかまえて)文句を言っていては、よい芽も摘んでしまうということになりかねません。結局それでは自分たちが損でしょう。大所高所にたった見方が大事なことであると言えるのではないでしょうか。(自民も、もう少し政策で勝負していただきたいものです。でないと、自分たちが今度与党になった時も同じことをされます。政策で勝負しているのであれば、逆の立場になった時「そんな小さなことを国会で言うより政策で勝負しなさい」と堂々と言えるのではないでしょうか。いくら同じことを昔されたからとはいえ、同じことをやっていては進歩がありません。自民は違うというところをぜひ見せていただきたいものです)

しかし、橋下知事にも一つだけ残念なことがあります、もちろんそれは法を知らないということです。

法を知っていれば正しい祈り方が分かるでしょうし、正しい祈り方が分かれば、当然、天の協力が得られます。心が正しければ天の協力は得られますが、正しい祈りをしながら進まれた方が天の協力は桁違いです。(ありえないような奇跡が普通に起きるのです…現在の日本のように)

橋下知事は祈りの仕方を知りません。それが残念といえば残念ですが、しかし、それは法が拡がっていないのですから仕方ありません。(なんなら教えましょうか、祈り方を)

どちらにしても橋下知事には期待しています。地方はこれからどうあればいいのか、その一つの政策としてよい結果が出ることを祈っております。

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10月 22 2011

続、法を継ぐということ

法を継ぐという意味をもう少し詳しく書いておきましょう。

高橋信次先生の後継者は園頭広周先生でした。しかし、このことを言う人は現在誰もいません。高橋先生の弟子たちはもとより、園頭先生の弟子であった人たちも、それを言う人はほとんどいないのではないでしょうか。

高橋先生の弟子たちは、園頭先生も同じ高橋先生の弟子の一人であり(肉親である娘が後継者になることは認めても)自分たちと同じ高橋先生の弟子たちの中で、他の人が高橋先生の後継者となるなどプライドが許さないのです。(ただそれだけの理由です。法の理解度や人格など一切関係ないのです。〔逆に言えばそれだけ観る目のある人が少なかったとも言えますが〕とても法を勉強していた人たちとは思えません。だから園頭先生が高橋先生の後継者である、と認めるはずありません。このような理由でどっかのオバちゃんも私を認められないのです)

園頭先生の弟子たちも同じです。園頭先生が亡くなられると、もう他の人を先生と崇め、法とは違うことを言われていても分からないのです。法を浅くしか理解していない人が多かったからです。(それは正法会で東京支部長をやっていた人が、園頭先生が倒れられると途端に不遜な態度を園頭先生に取られた、ということでもその事実が分かります)

その中ではっきり“高橋先生の後継者は園頭先生であった”と言っているのは私くらいなものです。

それは高橋先生が「私が説いたことを一から十まで全部分かっているのは、園頭さんが一人だ」と言われた言葉で分かります。

そうはっきり高橋先生が言われていても、他の人は高橋先生の後継者が誰か分からないのです。(園頭先生は、高橋先生のお言葉どおり、それから二十年近くの間、多くの人を奇跡的に癒し、法をより分かりやすく私たちに教えてくれました)

では、園頭先生が亡くなられた現在、法は誰が継いでいるのでしょうか?(あちこちに後継者と自称している人はいますし、法は弟子だった人たちが皆で継いでいるので〔ほんとに正しく継いでいるのでしょうか?〕それでいい、と言っている人もいますが)

園頭先生は自分の後継者が誰とは言われませんでしたが、ご自身が倒れられる三ヶ月ほど前に、正法誌に不思議な手紙を書かれています(こんなことを一人の人宛に書かれたのは後にも先にもこの時だけです)それが“ある人への手紙”でした。

「あなたとの出会いによって、日本の運命を替えることになりましたことをお互いに祝福いたします。忘年会へのご出席ありがとうございました」

という、書き出しから始まるこの手紙は、園頭先生がこれまで歩いてこられた道と正法会の現状が書かれ、園頭先生ご自身が、これからアメリカに法を拡げていくことが書かれてあります。そうして最後に、

「あなたとの出会いも不思議でしたが、ともにそれぞれの立場で、日本、そして世界を救うことに力を尽くして行きたいと思います」

という言葉で締めくくられています。

つまり園頭先生は、この年の忘年会の出席者の中に、日本の運命を替えることが出来る人がいる、ということを知っていて、このような手紙を残されたということが分かります。

園頭先生はこの手紙を一体誰に向かって書かれたのでしょうか?

前から何度も忘年会に出席していられた人に、この年に限ってこんな手紙をわざわざ書くというのも不自然な話です。ということは、この年に初めて忘年会に出席された誰かに向かって書かれているのです。日本の運命を替える人が、この年(1995年)の忘年会に来ていられた、ということになります。(だとすれば、対象は数人から数十人の人でしょう)

現在、高橋先生や園頭先生の教えを継ぐだの後継者だの言われている人に、この条件に当てはまる人がいるのでしょうか?当てはまらないのであれば、その人が法を継ぐということは無理ということになりますし(高橋先生の教えを継いでいる園頭先生に、ここまで言われる人がいるのですから)まして、後継者などではあるはずがないのです。

とりあえず、私はこの条件に当てはまるのですが…。(私はこの年、初めて園頭先生が参加される正法会の忘年会に参加しましたから)

どちらにしても園頭先生に“日本の運命を替える”と言わしめた人がいたことは確かなことであるのですし、それほどの人がいるのであれば、当然何らかの形で世に出てくることになります。(というか、必然的に多くの人にその人は知られるようになります)

私は、四十日の断食から始まり(今思うと、このようなモーゼやキリストがされた同じ修行を、今生、私はさせられた、と思えるのですが)それからこのブログを再開したのですが、不思議なことにここに書いたことが次々と現実化されていきました。

地震にしろ、大雨にしろ、実際にここに書いた通りのことが起き(祈っても起きましたが)台風でも“直撃します”と書けば、その通り台風は日本を直撃し(そればかりか早くから私は、このままでは福島に台風が直撃します、と書いていたのですが、それもこの前の15号台風が福島を直撃して、その通りのことが起こりました)私が“祈ります”と書いて祈ると、急に異常な暑さとなったり、異常な台風(12,15号)が日本を直撃したり、また秋なのに雪が降り、桜が咲き、夏のような気温になって大雨が降る、という不思議な現象も起きました。

そればかりではありません。例えば中日の森野選手など、私が言ったとおり(去年一昨年は調子がよかったのですが)今年は調子が悪く成績が上がりませんでした。(ただし森野選手の場合、成績が悪いのは今年だけではありません。このままでは来年も再来年もそうなるでしょう。つまり森野選手のプロ野球生命は、あと二、三年で終わるということです)

ここに書いたことはすべて当たっているのです。

私が高橋先生と園頭先生の法を継いでいないのであれば、なぜ、こんなことが起きるのでしょうか?

ブッダの法を私が継いでいるから、その証明として天が次々に、ここに書いたことを現象化しているのであって、天上界より高橋先生と園頭先生が協力していただいているから、このようなことが起きているのです。(もし、園頭先生が書かれた“ある人への手紙”のある人が私なら、園頭先生は1995年の時点で、現在の日本にこのようなことが起きる、ということをすでに知っていられた、ということになります)

高橋先生と園頭先生が説かれた教えを継いでいるのは私です。だから、天は私に協力してくれるのであり、ですから、私に協力していただかないと、本当の神の教えは拡がらない、ということになります。(現在の高橋先生や園頭先生の弟子たちでは法は拡がらない、ということです。何度も言いますが、私が楽をしたいから協力してほしいといっているわけではないのです。本当の神の教えを世に拡げなければいけないから、協力してください、と言っているのです。それが私たちがこの世に出てきた一の目的であるからです)

これだけ不思議な現象が次々と起きているのです。それに対し、いつまでも無視を決め込むことは心の世界から観れば罪になるのです。それを多くの人は気づいていないのです。

何度でも言います。どうぞ私に協力していただき、この法を勉強し、拡げていただきたいと思っています。

そうしないと災いは繰り返されることになるからです。(今日も各地で大雨が降りそうですが、東京もおかしな天気が続いているようですね、さんざん私のことを馬鹿にして、ここに書いていることをでたらめと言っているオバちゃんがいるからです。この人のコメント内容が変わってくれば私は本物ということになりますが…これから東京に何が起きてくるのか、見守ることにします)

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