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2月 28 2011

政治の混迷④

(やはり分かる人には分かってしまったようですが)それは自民党に学べということです。

いまさら自民党に学ぶことなどない、と言われる方もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。

戦後日本の国政を担ったのは自民党だけです。(連立はありましたが)

自民以外の、前の日本新党や新生党の連立内閣や今回の民主党政権など、とても日本の国政を担ったとはいえません。しっかり日本の国政を担ったといえるのは、戦後では後にも先にも自民党ただ一党だけなのです。

ということは日本の国政を知っているのは自民党だけということになり、後の党はせいぜい連立に参加して国政運営を行っただけで、どこも単独で国政をしたことがないので、仮に他の党が、国会議員がたくさんいて国政を担える立場にあったとしても、他の党では実際に一党単独で、国政が担えるかどうか分からないということになります。

マァ、はっきり言いまして、自民以外で(今回の民主もそうですが)単独で国政を担える党は、この日本には存在しないということです。(いろいろ異論はおありでしょうが)

自民がしっかりしていればこんな世の中になっていない、では何で今のような世の中になっているのか、という人もありますが、少し前までの自民の政権下では、安全と水はただといわれ、一億総中流といわれていました。

安全と水がただで一億総中流のどこがいけなかったのでしょう?

そんな国がどこにあるのでしょうか、今の中東やアメリカ、ヨーロッパの国々を見ても分かりますように、治安は悪いし飲み水や食べ物にもちゃんとありつけない人もたくさんいて、格差の激しさは現在の日本でさえ比ではないのです。それに戦争をしているところもいくらでもあるのです。安全と水がただで、総中流の国など現在おいてさえどこにもないのです。

そのような穏やかな国を、自民党はすでに何十年も前に、この日本につくってくれていたのです。世界の国々から見たらこれも一つの奇跡です。

そのような穏やかな国をつくってくれたお陰で、如来が自由に法を説くことができ、また本を書き残すこともできたのです。(如来が直接書かれた本があるところなど日本だけです)

なぜ、そんな国をつくってくれた自民党がそれほど悪いのでしょう?安全と水がただなのは当たり前で、総中流は個性がないなどと言っていて、それでいて現在のような格差社会はいけないというのでは、では一体どのような世の中ならいいのでしょうか?そのように言っている人は、具体的にどのような世の中ならいいのか言うべきでしょう。それも言わずに、あれもいけない、これもいけない、と言っている人の意見などただの書生論に過ぎません。そんな意見は聞くだけ時間の無駄なのです。

何も私は自民党がすべてよかったと言っているわけではありません。いい部分と悪い部分を両方見て、総合的に判断しないとおかしいのではないかと言っているのです。

私がこんなに不幸になったのは、政治や社会が悪いからだと言う人もありますが、政治や社会が悪いので不幸になるなら、そこに住んでいる人は皆不幸にならなければなりません。しかし、そのような中で不幸になる人もいれば、そうならない人もいるのはどのようなわけでしょうか?何でもかんでも政治や社会のせいにしたところで、自分がしっかりしなければよくなるわけがないでしょう。あまり不平不満ばかり言っていてもいけないのです。感謝するところは感謝しなければならないのです。

少なくても私は、そのようなよい国をつくってくれた自民党に感謝しています。自民が今のような日本をつくってくれたお陰で、私のような、さほどとりえのない者でも普通に生活することできたのであるし、この世で如来とお会いすることもでき、その教えを知ることができました。(これほどの幸運はありません)

戦後、社会党が政権をとっていたら、今頃日本はどうなっていたでしょう。そのような面でも自民が頑張ってくれたお陰で、私たちはまともな生活ができて今があるのです。戦後の奇跡の復興と世界第二位の経済大国になれたのも、自民の政権下であったからです。その自民党のいいところは見ずに、悪いところばかりほじくり出して言うのは、一方的な偏った見方であり正しい見方ではないのではないでしょうか。今までの自民党のやってきたことを総合的に見て、判断するのが正しい見方であると思います。

現在の日本を見ても、他の戦争などやっていて混乱状態にある国などと比べたら、よほど日本のほうがよいではないですか、なぜ、現在のような日本の基礎をつくってくれた自民党の政策に感謝しないのでしょうか。(何度も言いますが私は全部自民の政策がよかったとは思っていません。変えるべきところは変えなければいけないと思っています)

このようなことを考えますと、自民党に国政を学ぶということは非常に大事なことであると思います。

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2月 25 2011

政治の混迷③

来るべき、国政をしなければならなくなった時のための備えとは、国政を覚えることです。

当たり前のことだろうと多くの人は言うかもしれませんが、その当たり前のことを民主党はしなかったではありませんか。

民主がしたことといえば、最初はかつての社会党のように自民党の出す政策に、反対反対と反対ばかりして対案さえ出そうとしませんでした。(対案も出さずにただ反対だけしている人の意見など、昔は書生論〔現実をわきまえない中身のない理想だけの論〕といわれ、そんな人の意見など誰もまともに聞きませんでした)

さんざん自民党に対案を出せと言われ、やっと出すようになり自民に反対してやった政策がこの有様です。

国民受けすることばかり言って、実際にやってみたらまったくダメであった。では、こちらがかないません。国民のためと口では言いながら、まったく国民のためになっていないのです。

しょせん民主の言っていたことは机上論でしかなかったのです。そもそも国政をまったく勉強しようともせず、自分たちが言う理想論だけで、いきなり国家の運営などできるはずがないのです。

そのようなことも分かっていない政党に国家を任せたならば、今のような悲惨な結果になるのは目に見えていました。だから私は、民主党政権ではいけないと何度も言ってきたのです。(おまけにその理想論が、民主主義とは名ばかりの共産主義というのですから、もう目も当てられません)

国政も分かっていなければ、その政権の政策も最悪ではどうにもなりません。だから天もこれほどの災い(百年に一度などといわれる異常気象)を起こしているのです。

民主と同じことをすれば民主と同じ結果になります。ですから民主がやらなかった、まず国政をしっかり覚えるということを、私たちの期待の星である地方政党(日本一愛知の会、減税日本、大阪維新の会などなど)の方々は、やっていただかなくてはならないと思います。

では、どのようにして国政を覚えるのか、と言うことになりますが、簡単な話です。簡単な話ですが方法は一つしかありません。簡単な話なのに、方法は一つしかないとはまた狭き門ですね。簡単な話ならもっといくつも方法があってもよさそうなものですが……マァ、私たちの期待の星の地方政党の首長の方々なら、すぐピンとこられると思います。

そうです。

その通り。

それをしていただけばいいのです。

ここにその方法を書いたほうがいいのでしょうか?聡明で包容力もある今話題の地方政党の首長の方々は、すでに分かっていられと思いますので、私のような政治の素人が、自分がつくったホームページのブログのなかとはいえ、あまり偉そうなことを書かないほうがよいとは思いますが、まさかそんな有名で忙しい方々が、私のブログなどいちいち見ていられるはずもないので、何を書いてもかまわないといえばかまわないのですが……。

ここにその方法をわざわざ書くこともないのですが、私のブログを読んでいる人の中で、その方法が分からないと言う人が、もしかしたらいるかもしれませんので、それでは簡単で一つしかないその方法を書くことにします……アッ、また書くスペースがなくなりましたので、次回に続く…(別に勿体つけて話しをのばしているわけではありません。誤解を受けてもいけないので、ちゃんと一つのブログのなかに書いておきたいだけです)

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2月 23 2011

政治の混迷②

もう中央の政党に日本の政治は任せられない、という多くの人々の強い思いが、強力な地方政党の出現という副産物を生み出します。

それは先に行われた愛知の知事選、名古屋のトリプル投票の結果にまともに現れました。

民主、自民が推した候補を差し置いて、無党派の候補(大村知事と河村市長ですが)が大勝してしまったのです。

いくら減税という旗を掲げ知名度がある二人とはいえ、この勝ち方は異常でした。大村知事が集めた票は百五十万票をこえ、歴代二位の得票を得、河村市長などは六十六万票と、前回自らが記録した過去最多得票を大きく上回る最多の票を集めたのです。

人々の中央政党に対する不満が、一気に爆発したといっても過言ではないでしょう。この勢いは統一地方選にも必ず影響します。いよいよ政治も大きく変わる転換期が来ているように思います。

このようなときに、昔ながらの力で物事を動かし、ただ自分の地位や名誉を得たいためだけの政治家が必要とされるでしょうか?もう、そのような政治家を人々が望むわけでもなく、そんな人が政治家をしていれば、多くの人々が拒否反応を起こし、そんな人は政治家ではいられなくなるでしょう。そのようなことが世界各国で起き始めています。

これから多くの人が望んでいることは、では、どうしたら人々が幸せに暮らせる世の中がくるのか、ということです。

強力な地方政党があちこちに出現し始めましたが、では、その地方政党がこれから拡大していき、国政を任せられるようになり、自分たちが望んでいるような世の中をつくることができるのか、多くの人々が関心を持ち、また期待しているのはその点であると思います。

地方政党は地方のことだけやっていればいい、と言っている国会議員の方がみえますが、その国会議員を多くの人が見限り地方議員に票を投じているのです。その現状を分かっていられるのでしょうか?

だいたい地方も日本の一部なのですから、いくら地方がよくなっても肝心の国がつぶれてしまっては元も子もないでしょう。その地域をよくしていこうとするなら、同時に日本もよくしていかなければならないし、日本がよくなるには各地域がよくならなければならないのです。何か地方分権というと、各地域が好き勝手にやるようなイメージがありますが、やり方は違っても、最後は日本をよくするという思いに帰結しなければならないのです。

私も平時ならこんなことは言いませんが、今は有事であり危急存亡の秋でもあるのです。

自民の政策で日本が傾きかけているところに、民主が政権をとったことが駄目押しとなって日本が完全に傾いてしまったのです。多くの人は日本を何とかしてほしいと思っているのです。そんな思いが強力な地方政党を生み出したのですから、地方政党は地方のことだけやっていればいいとは、多くの人は思っていません。何とか今の国の現状を変えてほしいと思っているのです。

しかし、中央政党である民主党でさえ政権をとった途端この体たらくです。地方政党が仮に勢いを得て、次の衆院選で国会議員がたくさんうまれ国政をとったとしても、それでそのままうまく国会運営をできるのかと言えば、とてもできるわけがないと誰しも思うでしょう。国の政治と地方の政治はぜんぜん違うのだから、地方政党がいきなり国政に参加して、やれるわけがないと誰でも思うはずです……普通なら。

たしかに普通では考えられませんし、何ぼ地方政党に勢いがあるとはいえ、次の衆院選で地方から出した候補者がことごとく当選して、たとえば愛知にある大村知事がつくった日本一愛知の会が、いきなり百人を超える国会議員がうまれた、などという話は、荒唐無稽なことであり、笑い話にもならないのですが、しかし、現在の日本は危急存亡の秋にあります。

このようなときに、洒落や冗談でこんなことを書いても時間の無駄でしょう、私は本気も本気、そのような事態にいつなるか分からないので、備えだけはしっかりしていなければならない、と申し上げているのです。

では、その備えとは……また書くスペースがなくなりました。

次回に続く。

(NZで大きな地震が起きました。私は前の仕事でNZ材を扱っていて仕事でNZにもいったことがありますので心配ですね)

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2月 21 2011

政治の混迷①

民主党議員である十六人が会派を離脱するということで、今、民主党内は大騒ぎになっています。(私は民主党を離脱したのかと思い喜んだのですが…)

これも民主党内の、ある議員の差し金とのもっぱらの噂ですが、この噂の人、自民党を離脱した後、その(当時与党の)自民党に対抗するため、共産党を除く野党を結集し新進党をつくりますが、しばらくして分裂、そのあと党首となった自由党も分裂して、その後民主党に合流します。

この人が民主に合流した時は「こりゃ民主も分裂するだろうな」と思いましたが、やはり、その気配が出てきました。

この人“豪腕”などと呼ばれ票取りが上手で、権勢も集金力もあり(そのお金の問題でただいま裁判中ですが)いいという人、悪いという人たくさんおりますが、今、話題の政治家の一人であることは確かなようです。

しかし、この方、自民をでてから一体何がしたかったのかよく分かりません。自民に対抗して野党を結集し新進党をつくったのはいいのですが、すぐに分裂させてしまうし、その後つくった自由党も分裂し、今回合流した民主党も分裂しそうです。(というか分裂は時間の問題でしょう)党を片っ端から分裂させて、豪腕とはこれいかにという感じですね。(破壊するほうの豪腕という意味でしょうか)

どちらにしても、あまり調和ができる方ではないのでしょう。それに本当に日本を救いたいという心が、この方にあったのならこのような結果にはなっていなかったでしょう。日本を救いたいという心よりも、日本を自分で牛耳りたいという、野望のほうが強かったのではないでしょうか。

国会で決まったことには従うだの一兵卒としてやるだの言いながら、何一つそのとおりのことはしていません。河村市長の盟友だか師弟関係にあるのか知りませんが、言うことと、やることがこれだけ違っていて恥ずかしいとも思われないのでしょうか?もし恥ずかしくないと言うのであれば、人としての道義に外れていますので、人として終わっていますし、政治家なのだから少々都合のいい言い訳も仕方がない、と言うのであれば政治家としても終わっています。(大久保や岩倉具視がつくった)昔ながらの、最たる政治家の一人といっても過言ではないのではないでしょうか。

もう私利私欲をむさぼり、覇道の政治を行う政治家など無用の長物なのです。すでに時代は変わっているのです。

今、中東では多くの人々が立ち上がり、独裁者を政権の場から引き摺り落としています。しかし、あのようなやり方よりも政治家自らの自浄作用で、よい政治に変わっていくほうがよいに決まっています。日本はそのようなよい先例を、ぜひつくっていただきたいと思っています。

その兆しがあちこちから出てきています。それが強力な地方政党の出現でしょう。

先の衆院選で、今のままの政治ではダメだと多くの人が自民を見限り、民主党に票を投じました。しかし、その本心は本当に自民がダメと思っている人は少なく、自民党に刺激を与え、もっとよい政治をしてもらいたいために民主に票を入れた、という人も多かったのではないでしょうか。

ところが、自民は野党になっているにもかかわらず、自ら自浄作用を起こすわけでもなく、与党に返り咲いて今まで以上のよい政治を行おうという気迫もなく、何か昔から野党であったかのような見方までできそうなくらい、気迫もやる気も感じられない野党全としています。(前の非自民連立の新生党が与党になって、野に下った時の自民党はこんなものではなかったのではないでしょうか)

多くの人々が、こんなはずではなかった、自民がこんな体たらくでは、この先どうなるのであろうと思ったと思います。その強い人々の思いが、意外な副産物を生むことになります。

それが地方政党でした。

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2月 18 2011

現代科学の矛盾④

オーパーツ(それを生み出した時代や文化に合わない場違いな人工物)というものが存在します。

このオーパーツというもののことを、たくさん書いていられる南山宏氏の著書「オーパーツ・こんなものがなぜ存在する」を参考に、いくつかオーパーツというものがどのようなものなのか書いてみましょう。

現在では誰もが知っている生き物に恐竜がいますが、この恐竜は中生代(約二億五千万年から約一億八千万年前)まで大いに栄えましたが、六千五百万年前に小惑星が地球にぶつかり、その影響で世界中の環境が悪化して滅んだといわれています。

一方、人間は七百万年ほど前から猿から進化し始め(?)現在に至っているといわれています。

現在の常識では、恐竜が絶滅してから六千万年ほどしてから、やっと人間の原型(?)となる猿が現れたことになり、したがって、テレビでやっているような恐竜が原始人を襲ったり、逆に原始人が弓や槍で恐竜を襲ったりしているということは、本来ありえません。(恐竜が滅び、それから人間が現れるまでに約六千万年という、気の遠くなるほどの年月が流れているのですから)そんな場面など、あくまで空想の世界のことだけに過ぎないということになります。

恐竜は十九世紀にイギリスのある学者が、中生代の地層から発掘された大型爬虫類の化石を復元して、ギリシャ語で「恐ろしいトカゲ」(デイノス・サウロス)と命名します。それが「恐竜」(ダイノソア)という呼び方が起源となり、ようやく多くの人々に知られるようになりました。つまり恐竜が多くの人に知られたのは、ここ百五十年ほどで、それ以前は恐竜の存在など誰も知らなかったということになります。

ところが、そんな常識に反して、いまから半世紀ほど前にメキシコの片田舎で、数千年前の古代の先住民が作ったと思われる、明らかに恐竜の姿をかたどった土や石の人形が、たくさん地中から発見され、考古学者を驚かせました。

現代よりはるかに科学の知識がとぼしく、恐竜のことなど誰も知らなかった数千年も前に、なぜ、古代の人々はこのようなものが作れたのか?

その不思議な土や石の人形は後に「アカンバロ恐竜土偶」と呼ばれるようになり、謎のオーパーツとして知られるようになります。

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