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2月 16 2011

現代科学の矛盾③

ダーウィンはガラパゴス島で、大変似ているが少し違う部分がある鳥を見たり、陸亀を見たりして帰国します。そのガラパゴスでよく似た鳥や陸に上がった亀を見た影響で、ダーウィンは生物はみずから変わるという仮説を言い出します。

ダーウィンは優占種が変種を含んで、徐々に他の変種になると言っていますが、これはただ単にダーウィンの推測であって事実ではありません。

個体数の多い植物、すなわち優占種といえば代表的な植物にブナがあります。

九州のブナは葉が小さく、北海道のブナは葉が大きいのですが、これは九州のブナは山頂近くに生え、北海道のブナは平地に生えているからであり、変種ではありません。その九州一帯の照葉樹林帯の優占種といえば、カシ、クスノキ、シイ類などありますが、九州の照葉樹林帯には、それらが一ヶ所に混在して生えているのですから、ダーウィンの理論に従うなら、カシとクスノキとの変種や、クスノキとシイとの変種という木が、自然発生していなければなりません。しかし九州にそんな木は一本もないのです。

植物で、ダーウィンの理論を証明できるものは一つもありませんので、では動物ではどうかということになりますが、誰もが知っています、モンシロチョウやアゲハチョウが多い地域で、その中間の変種がいるか調べた人がいますが、そんなチョウは一羽もいなかったそうです。

人類アジア起源説の有力な根拠となっていた「ラマピテクス」は、猿であることが中国の有名な古代人類学者の呉汝康博士によって発表され、ピルトダウン人の偽造事件は有名です。

前回も言いましたが、ダーウィンの理論を証明できる証拠は、どこを調べても出てこないのです。何でこんな理論を信じているのかよく分かりませんが、陸亀はむかし水の中にいたが進化して陸に上がったのではなく、元々陸で生活していたのであり、最初からそのようにつくられているのです。似てる鳥がいたから進化してそのように変わっていったのではなく、元々そのように似ていたのであり、そのように神がつくられたのです。

ロンドン大英博物館の、世界的に有名な古生物学者のコリン・パターソン博士は次のように言われています。

「自分たちが今まで常識としてきた進化論の理論は、単なる憶測に過ぎず、それを支える重要な証拠は何一つない」

モントリオール大学の精神分析医のカール・スターン氏は、「進化論は地球の歴史上のある時期に、地球の温度が炭素、酸素、窒素、水素などの化合の結合に最適の状態となった、これが時々大きな塊になり、そこから生命の発生に適した構造を持つ分子が生じた、これを端緒として莫大な時間が経つ間に、自然淘汰の過程を経て最後に人類が発生した、といっているが、進化論を精神医学の立場から見ると、こうした考え方は、むしろ精神分裂症患者の抱く妄想に似ている」と言われています。

フランスの著名な生物学者のピエール・ポール・グラッセ博士は『生物の進化』の中で「推測に基づく不明瞭な公理を使って、進化論という偽科学がでっち上げられ、そのために、たくさんの生物学者たちがふりまわされて迷惑している」と書かれています。

このように進化論を間違いだ、と言われている科学者はたくさんいるのです。

系統進化図もでたらめであったことが分かっています。

ダーウィンは魚から両生類なった、ヒレが足になったと言っていますが、もちろんその中間種はいません。恐竜の化石の地層から始祖鳥が発見されて、爬虫類が鳥に変化したのであると発表されていましたが、始祖鳥が発見された同じ地層から他の鳥も発見されて、始祖鳥も当時の空を飛び回っていた鳥のなかの、一種に過ぎないということが分かりました。

馬の祖先とされる小さなエオヒップスが、だんだん大きくなり走り方も早くなって、最後に現代のサラブレッドのように大きくなったと絵に示されていますが、これもまったくの嘘であったということが明らかになっています。生物学者のノーマン・マクベス氏は「1909年(明治四十二年)進化論を証明しようと、馬の化石を全部展示する展示会が計画された。アメリカは自然歴史博物館に馬は鮮やかに並べられた。見た人は誰も彼も、これを“馬の進化系統図”だと思った。しかし、実際は違った。別々の時に別々の場所で集めた化石を、単に大きさの順に並べただけであった」といわれています。

これ以外でもヘッケルの「系統発生説」や、盲腸や尾骨が進化の痕跡であったという理論も、でたらめであったということが分かっています。このように進化論などただのでっち上げに過ぎないのです。

人間を動物という人もいますが、神は人間と動物を別々につくられたのです。人間と動物では生まれた目的と使命が違います。神は人間を“万物の霊長”としてつくられました。それを勝手に混同して考えてしまったのは、人間であって、間違った考えは改めなければならないのです。

この進化論だけではなく、現在の科学の主流となっている説には、まだまだおかしなものがたくさんあります。

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2月 14 2011

現代科学の矛盾②

しかし、残念ではありますが、ニュートンの理論にしても、ダーウィンの理論にしても、明らかにおかしいと思える部分がいくつもあります。

ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見したと言われますが、では、その万有引力は一体誰がつくったのでしょうか?

ニュートンは万有引力を発見しただけで、ニュートンが発見する前から地球には万有引力が存在したのであり、ニュートンが発見して初めて万有引力が、地球上に発生したわけではありません。

ニュートンは、神がいなくても自然界は自動的につくられ動いている、と言いますが、この自然界が、自動的につくられて勝手に動いているのでしょうか?これほどのものが何もないところから、なんで自動的につくられ、自動的に動いているのでしょう。

そこら辺の石やら岩やらが、いきなり空間から現れ勝手に動く、と言う人がいたら、そんな人はよほどのバカか、おかしな宗教にはまっているとしか思わないでしょう。こういうことを平気で言っているから、私は科学も宗教の一つだというのです。

私がいつも言っているように、これほどの大自然が勝手にできあがり、しかも自動的に動いているわけがないでしょう、何かの大きな意志が働き、この大自然を動かすだけの超巨大なエネルギーがかかっているから、大自然は存在し動いているのであり、そのようなものが存在しなければ、このような大自然が出来上がるわけがありませんし、自動的に動くわけがありません。

その大きな意志と巨大なエネルギーを併せ持つ存在が、私は“神”だと言っているのです。

ニュートンは神がいなくても……と言っていますが、その神がいなかったら、この大宇宙もできていないし、その大宇宙や、大宇宙から見たらほんのちっぽけな存在でしかない、地球の大自然も、これだけ秩序正しく動いているわけはありません。ニュートンもそんなことが分からなかったのでしょうか。(私もニュートンに文句を言っているくらいですから、偉くなったものです〔笑〕)大元の神を無視して、この世の説明ができるわけがないのです。

科学者をバカとは言いませんが、元々科学の科とは枝(えだ)という意味であり、科学的とは細かく分析し分割する部分的把握であり、総合的全体的に把握、認識はできないのです。だから科学者といわれる人たちは、ある分野は非常に詳しく知っていますが、他の分野はあまり知らないという人が多く、だからすべてを創り動かし統括している、神の存在が分からないのです。

私の方がよほど科学的に話しています。ただ、自分たちがはっきり認識できず、神の存在を確認できる機械がないため、現在の科学者は神はいないと言っているに過ぎないのです。

それなら神はいるかどうか分からない、とでも言っておけばいいのに“神はいない”などと否定するから、私は現在の科学は謙虚さが足りないと言っているのです。しかし、この四百年の間、神を否定し続けた科学の罪は大きいのです。

ダーウィンの理論でもそうです。ダーウィンは猿と人間の形態だけを取り上げて、進化論を論じていますが、では、内面の意識、心はどのように進化していったのでしょうか?

人間は創造力、思索力、想像力、計画性などあり、科学や芸術や宗教、哲学のような高度な精神作用を持っています。しかし、猿にはそんな精神作用はありません。そのようなものを持っていない猿が、どのように進化して現在の人間が持つような精神作用を持つようになったのか、ダーウィンはそのような心の部分については、まったく触れていないのです。

ダーウィンの理論は、ただ外見が似ているから進化した、と言ってるに過ぎないのです。

それにダーウィンの進化論は、ズッーと進化し続けるというものなのですから、猿から人間になったのなら、次は人間から他のものに進化していかなければなりません。しかし、そんな人(というのかどうか知りませんが)などいないのです。

あるいはシーラカンスやワニや蛇など、何億年も進化していないといわれている生物も存在します。地球にいる生物は皆進化するのではないのでしょうか?進化する生物と何億年も進化しない生物は、どのように分かれるのでしょう?それに進化途中の生物(人間も含めてですが)もいません。

それどころか、進化途中の生物の化石(もちろんこれも人間も含めてですが)も見つかっていません。

よく考えれば、進化したというちゃんとした証拠が何一つないのに、何で今の科学は進化論が主流なのでしょう?(もちろん進化論はおかしいと言っている科学者もたくさんいます)

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2月 11 2011

現代科学の矛盾①

今の自然界(物質界)を、現在いわれている科学的な方法で捉えようとした始まりは、紀元前六世紀のギリシャの時代までさかのぼります。

それまでは宗教だけの世界観でしたが、天体の運動を観察してその規則性を探ることによって、自然科学の考え方である天文学が生まれます。これをまとめたのがアリストテレスで、自然界のさまざまな現象は、数学的・物理学的な規則に沿って成り立っている、という説を打ち立てます。

このアリストテレスの説などを基に、プトレマイオスが天動説を唱えます。

十三世紀に入ってキリスト教の教義と結びついた天動説は、物質は「地・水・火・風」という四つの元素の組み合わせからできているという、四元素説をくわえてさらに発展していきます。そして心や魂を説明する霊的宇宙と、天体の運動などの自然現象を説明する物理的宇宙とが、同じものであるという心と物が一体となった宇宙観が生まれ、それが絶対的な真理として十六世紀まで信じられていました。

このころまでは宗教と科学は結びついて考えられていたのです。

ところが、この天動説に異を唱える者が現れます。それがコペルニクスでした。

コペルニクスは地動説を唱えます。そしてガリレオが、実際に多くの観察や実験を行って、理論を組み立てるという科学的方法で、地動説の正しさを説明し天動説の矛盾点を明らかにしたのですが、この地動説を、当時神の代理者と信じられていた、ローマ法王が否定してしまったのです。

当時は科学よりも神・霊といった宗教のほうが、多くの人に信じられていました。そして、何百年も天動説を信じてきた人々には、太陽を中心に地球が回っているという地動説は、いくら理論的に説明しても、とても信じられるものではありませんでした。

そしてガリレオを宗教裁判にかけ、死刑にしようとしますが、殺されてはかなわないと思ったガリレオは、法定では天動説を正しいと認めて死刑を逃れます。しかしガリレオもよほど悔しかったのでしょう法廷を出た玄関で「それでも地球は回る」と言ったのです。(現在の日本でいえば「神などいない」と言う多くの人に、私が「それでも神は存在する」と言っているようなものです〔笑〕)

現在では地動説が正しいというのは常識ですが、四百年ほど前までは、地球は動かず太陽が地球の周りを回っている、という天動説が常識であったのです。

いつの時代でも、正しい意見をまったく認めようとしない、頭の固い保守的な人は多かったようで、このことが原因となってガリレオを中心とした科学者たちは、ローマ法王を中心とした宗教は、科学が分からない迷信を信じている人の集団であるとして、宗教は迷信であるということが、このころから言われるようになります。

こうして近代科学は神を否定したところから発達し始め、ニュートンが独自の科学的方法で、自然界の様々な現象を神や霊の力なしに説明してしまいます。万物の創造主である神がいなくても、自然は機械的、自動的につくられ運動しているという理論です。

このニュートンの概念の登場により、宗教と科学はまったく相反するものとなっていきます。

その後、十九世紀に入ると生き物を対象とする「生物学」においてまで、肉体だけを対象にしたダーウィンの進化論により、心が入り込む余地がまったくなくなっていきました。

このような概念が近代及び現代科学の基盤になっています。

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2月 09 2011

神と世相

コーチングカウンセリング名古屋に続いて、コーチングカウンセリング愛知でも一位になりました。信じられません。

何が信じられないかって、職業別のアクセス数が名古屋に続いて愛知県でも一位になっているのに、仕事が全然こないというのが一番信じられません。最近、不思議なことがよくありブログのネタには困りませんが、仕事がないので生活には困ります(笑)。もう、やけくそですので次は全国制覇を目指します。(全国で一位になっても、まだ仕事や協力してもらえる人が出てこなければ、さすがに私もこの仕事はあきらめます〔泣〕。やっぱりブログがやばいのでしょうか〔笑〕)

しかし、宮崎の被害は止まる所を知りません。今度は雨が降って土石流の心配まで出てきました。

現在は科学の発達がすごいと世の人々は言います。では、新燃岳で起きている噴火を現在の科学でとめることができるのでしょうか?(櫻島も爆発したというニュースも流れていますし)宮崎は鳥インフルエンザがずいぶん拡大しているようですが、この鳥インフルエンザの拡大をとめることができるのでしょうか?(防疫処置をいくらやっても宮崎では効き目がありません)

いろいろな専門家がテレビでしゃべっていますが、では、その専門家の人たちが宮崎で起きている、新燃岳の噴火や鳥インフルエンザの拡大をとめることができるのでしょうか?

世には大小多くの宗教団体があります。そして、そこかしこに神や仏と呼ばれている人たちがいます。では、その神や仏と呼ばれている人たちが、今の宮崎の人たちに起きている噴火や鳥インフルエンザの被害を鎮め、宮崎の人たちを救えるのでしょうか?(私なら救えるという人が出てこないところを見ると、宮崎を救える人は一人もいないのでしょう)あの程度のことが鎮められないで、神、仏といえるのでしょうか?

多くの人が、宮崎は口てい疫の問題で気の毒だからと宮崎に寄付をしましたが、それで宮崎は救えたのでしょうか?その後、今のような新燃岳の噴火や鳥インフルエンザが出てきて、今なお宮崎の人たちは苦しんでいます。また寄付をすれば救えるとでもいうのでしょうか。残念ですがどれだけ寄付をしても、それはざるで水をすくっているようなもので、次々と災害が起きれば、寄付などいくらしても救いようがないのです。

科学の発達が顕著で専門家も多くいて、しかも神、仏と呼ばれる人たちもたくさんいて、宮崎が気の毒だからと寄付される人もいます。しかし、そのような人たちがどれだけいても、誰一人宮崎を救うことはできないのです。

このようなことを考えましても、本当の神の力がどれほど偉大であり、人の力などどれほど無力なのかがよく分かります。人が何をしようとひとたび天災が起これば、人がそれに抗うことなどできないのです。皆、神の力の前にはひれ伏すしかないのです。

このようなことが度々起きているにもかかわらず、まだ日本の多くの人は、神を認めようとはしません。神などと言うと白い目で見られるのです。

しかし、私は何度も言っています。神は存在し、本当の神の心を知らないと世の中は救われていかないと。

どれだけ科学が発達し専門家が多く出てきても、どれだけお金があっても、また偽の神や仏が何をしようと、本物の神の法則の前には無力であり、救われるには本当の神の心を知る以外にないのです。何か天災というと、天が勝手にそのような災害を起こしているかのように感じますが、そうではなく、そこに住む人たちの心によって、神がつくられた法則にしたがって、天が起こしているのであり、正確にはこの世における天災はすべて人災なのです(人の心に原因があるということです)。

それに気づかないと同じことの繰り返しです。もうそろそろ、神の存在や真の神の心に気づかなくてはならないのではないでしょうか。私たちはお釈迦さまの手のひらの上で、勝手なことをしている孫悟空に過ぎないのです。その孫悟空が救われるには、お釈迦様の言うことを聞く以外ないのです。

宮崎の人たちが救われるには、本当の神の心を知り、多くの人がそのような神の心に変らなければ、救われないのです。

もう、今までのような世相を改め、神を認め真に正しい教えとは何なのか、神の心とはどのようなものなのか、を知らなければならない時がきているように思います。

次回より、現在の人々が言われている科学的常識や、信仰の仕方がいかにおかしいものなのかということを、いくつか例に出して書いてみたいと思います。

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2月 07 2011

覇道より王道

愛知での選挙が終わりました。

愛知県知事と名古屋市長が決まり、名古屋市議会も解散となりました。

愛知県知事は大村秀章氏で名古屋市長は河村たかし氏です。(ご当選おめでとうございます)

民主候補は惨敗し、大村、河村両氏の圧勝となりました。とりあえずは私の希望通りの結果となってよかったです。(豊橋の鳥インフルエンザが拡がらなかったので、多分こうなるだろうとは思っていましたが)

今度の知事になられた大村知事など「日本のど真ん中愛知・名古屋から日本を変える」(どこかで聞いたような言葉ですが)と言われているくらいですから、そうそうに愛知県など変えてもらい(平成の楽市楽座や中京都の創設、十パーセント減税などなど)、日本も変えてほしいと思っています。

そうすれば日本の運命も替わります。すると園頭先生の言われたことが実現することになります。(ということは園頭先生が『日本の運命を替える』と言われた人は、大村知事であったと言うことになります〔笑〕)しかし、園頭先生も楽市楽座はやるといいと言われていましたので、ぜひ楽市楽座はやられて経済を活性化してほしいと思います。

河村市長にも期待しておりますので頑張っていただきたいです。

今年に入ってもまだ異常気象は続いています。

日本海側など異常なドカ雪で困っているのに、太平洋側ではまったく雨が降らずカラカラ天気で、今年に入って一滴も雨が降っていない所がいくつもあり、私の住む愛知県でも一月は記録的な少雨で、名古屋など一月の平年の降水雨量は43ミリほどなのに、今年は9ミリしか降りませんでした。

今年もおかしな天気が続いていますが、その県の知事やあるいは市長の心がよいと、その地域の天気は正常に戻ります。全国で異常気象が続いていても、その地域だけは不思議とよい天気に恵まれ、作物もよく取れるという具合になりますので、今度なられた知事や市長は政策はもちろんですが、心も正していただいて、私が言っていることを実証していただきたいと思います。

新しい知事や市長が決まった途端、悪いことが起きてくるようでは話になりません。(宮崎は今や大変なことになっています)そういう意味では、新知事や新市長の心がその地域には、よく現れますので気をつけてください。

最初からやたらプレッシャーをかけていますが、それだけ私は今度の知事や市長に期待しているということです(笑)。

これまでのような覇道の政治ではなく、王道の政治を目指していただきたいと思っています。(覇道とは力で相手を屈服させることであり、王道とは徳を持って治めることをいいます)そのような徳で治める政治なら、天も力を貸してくださり必ず奇跡が起きてきます。愛知県の県政を日本中が見習う、そんな政治をしてほしいと思います。

それにはやはり頭で考えるというよりも、心で考える(心は胸にあります。肉体的に見ると胸には肺しかありませんが、しかし、悲しい時や人を好きになった時など、胸から感情が上がってきたり胸が苦しくなるということがよくあります。それは胸の位置に心があるからで、もし心が胸になく頭にあるとしたら、胸の辺りからそのような感情が上がってくるというのもおかしな話です。頭から感情が下がってくる、という人はまずいないと思いますので、頭にあるのは脳だけで心は胸にある、ということがこのような感情の動きからでもよく分かります)ということを癖にされるとよいと思います。

お二人とも頭のよい方(東大と一橋でしたっけ)なので、頭で考えられるのは得意だと思いますが、頭で考えただけではよい智慧は浮かびません。頭で知っていることを知恵といいますが、心の奥から出てくる思いを智慧といいます。この智慧こそ本当の正しい思いであって、この智慧に従い政策をしていくと、あちらの人にもよいがこちらの人にもよい、という政策ができるのです。

昔の人はよく「大事なことは腹で考えろ」と言われました。

それは智慧の出し方を言われているのであり、昔の人は大事な問題を考える時、頭で考えるのではなく、意識を下(腹の辺り)の辺りにもっていき、ジッと考えていると良い考えが浮かんでくるということを知っていたようで、それでこのような言葉が残っているのだと思います。

このように大事な問題は腹で考えると、腹(というか私は胸の奥からですが)の辺りからポッカリ浮かんでくる思いがあります。それこそ天から直感を与えられたのであり、その直感に従ってやると、自分が思っていた以上のよい結果が出てきます。(天が協力してくれますので)そのような直感も交えて、よい政策をどんどん出していっていただきたいと思っています。

大村知事に河村市長、これからよろしくお願いします。

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