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1月 23 2016

歴史に学ぶ

今日から日本列島は、大寒波が襲来して大荒れの天気になる予報が出ていますが、そのような天気だけではなく国会も大荒れのようです。

よりにもよって政権の中枢の大臣の金銭授受疑惑です。これは荒れるでしょうね。

中国が魏、呉、蜀に分かれていた三国志時代の話です。

この三国の中で一番最初に滅亡したのは蜀でした。蜀の丞相、諸葛孔明が亡くなって三十年後のことです。

孔明が亡くなって三十年後(実際は二十九年後)に蜀は滅ぶのですが、実は、この蜀が滅ぶ原因をつくったのは孔明であったのです。

孔明は亡くなる数年前から北伐(ほくばつ・魏への遠征)を何度も行います。(その北伐を決行するにあたり、その時出した上奏文が有名な「出師表」です)

それは劉備の遺志(蜀漢の世をつくる)を継ぐという理由からではありましたが、あまりに無謀なことであったのです。

なぜなら、この時代、一番国力が弱かったのが蜀であり、一番強かったのが魏であったからです。

呉との同盟はありましたが、一番国力の弱い蜀が一番国力がある魏に何度も遠征するのです。これは無謀以外の何ものでもなかったのです。

この時、蜀が一番やらなければいけなかったことは、国力を富ませて守りを固める、これであったのですが、孔明は、そのような国内事情より劉備の意志を優先したのです。

この孔明の何度も行った無謀な北伐により、蜀は疲弊し、孔明亡き後、数十年で滅びることになったのですが、この時なぜ、孔明の北伐を誰も止められなかったのか?

その理由は、この時代の蜀で孔明に意見出来る人がいなかったからです。それだけ孔明は蜀では飛びぬけた実力者であったのです。

ですから、独断専行が多々あったということです。

いくら優れた人とはいえ、あまりに独断専行がひどいと、大きな過ちも犯すことがあるということを歴史が教えているのですが、少し独断専行が過ぎるところがあるのではないでしょうか。

だから、このようなことが起きたのではないでしょうか。

政権の中枢である大臣にこれだけの疑惑が浮上したのです。下手をすれば政権崩壊しかねません。

しかし、これだけの大きな政権の危機が現れたということは、やはり現れるだけの大きな理由が今の政権にあるということなのです。

その理由をしっかり理解し、それを反省すれば、この問題はさほど大きくはならないでしょうが、それをまったく反省することなく事を進めるなら、この問題は段々大きくなり、潰れるまではいかないかもしれませんが、政権に大きなダメージを与えることになります。

まだまだこれから(昨日もいわれておりましたが)憲法改正という大きな仕事も控えています。

あまり急がれぬよう、あまり独断専行されぬよう、くれぐれも慎重にお願いしたいものです。

何度もいいますが、同じ過ちを繰り返してはならないのです。

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1月 22 2016

人の本当の幸せ

最近は、午前中は静かであるのに、午後になると急にキレ出してやたら怒りだす(それが夜まで怒っている)そのような日が続いているようです。

まるで、同じ時間に発作が現れる悪い病気にでもかかっているようですが、大丈夫でしょうか?

昨日は庄内川に行ってきましたが、帰りはほとんど歩いている人に会いませんでした。(一人二人やたら怒っている人がいましたが)

二、三日前までは、庄内川の帰り道は小学生の集団がよく歩いて来ていました。(最近は小学生とはよく会います。中学生は相変わらず全然いませんが)

同じ時間に同じところを歩いていれば謝りに来るのもいるだろうと思い、それでそうしているのですが、何が何が謝りに来るどころか、その小学生たち、これまでと同じように私の顔を見ると嫌がらせをしていくのです。(まだバカにする奴がいますから)

まったく反省していないようです。

どれだけ神の業が現れても、それを畏れ素直に頭を下げようという殊勲(しゅくん)な気持ちになる者はいないようです。(本当にひねた小学生たちです。さすが過去世で悪人なだけはあります)

そういう態度ならこちらは祈りを続けるだけです。「お前ら何が起きても逃げるなよ」といっておいたんですが、昨日は早速逃げ出したようです。(苦笑)

あんな小さな子供が大人を散々バカにしているのです。それだけでもずいぶん悪いことをしていると思いますが、まったく反省しません。(親はどういう教育をしているのでしょう。親の顔が見たいです)

反省するどころかなおやってくるのです。それでは天罰も食らうでしょう。それがなぜ私のせいなのでしょうか。(危ない奴にあんなことを繰り返したら、怒ってひどい目に遭わされかねないくらいのことをやってきます。〔しかも大勢で〕それでは何が起きても自業自得なのではないでしょうか。あまりにやっていることが悪いからです)

子供らだけではありません。

怒りたくっているどこかの会社の連中も、どこかの運転手の連中も、歩いて来る人たちも同じでしょう。

自分達が先に散々嫌がらせをしてきたのです。(今もその嫌がらせは続いていますが)

それなのになぜ、その嫌がらせは問題にせず、自分たちに悪いことが起きたところだけ問題にして、それをすべて私のせいにしているのでしょう。

それは、あまりに自分勝手な発想なのではないでしょうか。

神がつくられたこの世界で、自分たちは、その神を少しもまともに思ってこなかったのです。知らなかったとはいえ、そういう不遜な態度を取り続けていて、それで天罰が下りだしたら、それをすべて人のせいにして、自分は何も悪いことはしていないと居直っているのです。

この人たちは、どれだけ罪を重ねれば気がすむのでしょう。

この人たちは単に自分たちが犯している罪を認めないだけなのです。

それでは話にならないでしょう。この天罰は多くの人が自分の罪を認め(神に対する不遜な態度です)それを反省するまで続きます。

段々起きる現象が激しくなってきているようです。早く気づいてください。偉大な神の存在をです。そうして自分たちの過ちをです。(無神論では永遠に気づかないでしょうね。自分たちの過ちなどです)

それにしてもえらい違いですね。私と皆さんではです。

だって私は、毎日のようにこのブログを通し人助けをしているのです。

それに比べて皆さんはどうでしょう。金儲けをしながら、怒ったり、ねたんだり、ひがんだり愚痴をいったりして人に嫌がらせをしているのです。

いま起きていることは、この行いの違いがそのまま輪廻しているだけなのではないでしょうか。

だから私には奇跡が起きて、皆さんには災いが起きているのです。普段の行いが間違っているからです。

認めたくはないでしょうが、私は多くの人を救っています。その違いが起きてくる現象の違いなのです。(厳密にいえば、私が祈って悪いことが起きた人も救っているのです。そのような現象が現れることにより、その人の心は成長しますし、それを知った周りの人の心も成長するからです。そういう現象も起きるのだということを知ってです)

こういう起きたことがないような現象が起き出したのです。半分パニックになり、神の現す現象を認めないのも分かりますが、もう少し余裕を持って周りのことを考えてはどうでしょう。

あまり意固地にならずにです。

気分転換も大事です。少々遊びなどに没頭し、気分を変えてもう一度周りを見渡してみたらどうでしょう。そうすれば、これまで見えなかったことも見えてくるかもしれないからです。(ただし節度を持ったです。節度を超えた遊びなどすると、またそれが自分に返ってき自分が苦しむことになるからです)

そればかり考えているより、たまには違うことも考え気分転換することです。そうすれば視野もまた広がるからです。(もてて金もある人たちならなおのことそうです。適当に遊んで気分転換してまた頑張ればいいのです。〔私だって昨日、適当に遊びもいれたブログも書いていますし・笑〕せっかく周りの人たちが(偉い人までです)許してくれたのです。そうであるなら、それに感謝して、気分も一新して頑張るべきではないでしょうか。それが自分の心の成長ともなるからです)

とにかく、多くの人がどれだけ私を悪くいようと、私のやっていることは正しいことでありますし、人助けでもあるのです。(主に心を救っているのですが)

それは起きている現象が証明しているのではないでしょうか。

釈尊やキリストがなぜ多くの人を救われたのか?

それはあのような方々が偉大であったということもありますが、基本、人は人助けが一番楽しいのです。

多くの人はそれを知らないのです。

自分のことだけやって自分一人だけが幸せになれば、それが一番の幸せなんだと思っている人も多いのかもしれませんが、では、自分の好きなものがすべてそろっている無人島で一人暮らすことが幸せなのでしょうか?

自分の周りには自分のやりたいことがすべてやれる環境があり、そうして好きな食べ物、飲み物がすべてそろっている、そのような場所に自分が暮らせたとします。

自分一人の幸せが一番の幸せならば、そのような場所で暮らせれば、一生楽しいはずですが、多分そのような場所で一週間も暮らせば、人は辟易(へきえき)しだすでしょう。

人、一人でのそのような生活など苦痛でしかないからです。

結局、人はいろいろな人々と幸せに暮らすのが一番の幸せなのです。

釈尊やキリストはそのことをご存知であったのです。だから、人の幸せは自分の幸せと多くの人を救われたのです。

そうすることが(神の子の人間として)一番の幸せと分かっていられたからです。(神の心がそのようであるからです。神の心に自分さえよければいいという考えはないからです)

だから私は一番幸せなことをしているということになります。だから私には奇跡が起きるのです。

私たちにとっての一番の幸せとは、人として一番よいことであるからです。

意固地に自分の殻に閉じこもっているより、少し遊びも混ぜながら発想の転換をしてみませんか?

そうすれば、もっと素晴らしい世界が見えてくるからです。

今この辺りで起きていることは決して災いではないのです。これから素晴らしい世界が現れる、その序章でしかないのです。

この苦しみを乗り越え悔い改めるのであれば、素晴らしい世界が現れてきます。

人に嫌がらせをするより、人助けをしてみませんか?

そのような正しい行いが、人としての本当の幸せであるからです。

追伸…しかし、本当に効くんですね。花粉症にヨーグルトって。私は効かないと思っていました。ヨーグルトなど毎日食べていたからです。

私は花粉症がひどかったのです。

鼻水が全然でない時期など、正味六月から八月くらいの暑い間だけで、九月の中旬くらいからもう鼻水が出だして、年末にかけて鼻水くしゃみがひどくなり、そうして二月に入るともう薬を飲まないとやっていられないという感じでした。(市販の薬ですが、その薬を五月くらいまで飲んでいるのです)

それが今年の正月明けくらいでしょうか、テレビでヨーグルトを五百グラム毎日食べて、二年ほどで花粉症が治ったとかなんとかいっていた人がいたのです。

それで私はヨーグルトは毎日食べていたのですが、少し食べる量が少ないのかなと思い(これまでは毎日百五十グラムほどでしたので)倍くらいの量に増やしたのです。(朝、百五十グラム、夜、百五十グラムみたいな感じでです)

そうしたらです。覿面に効きましたね。

二、三日後にはもう鼻水が出るのが少なくなって、今日も大して鼻水出ていません。とにかく症状が半分以下になりました。(もう二週間くらいこんな感じです)

私が食べているヨーグルトは花粉症に効くやつではないのですが(ブルガリアヨーグルトですから。〔笑〕)それでもこの効き目です。

やはり乳酸菌って花粉症にいいんですね。(本当に驚きました)

花粉症はこれからが本番ですが、ヨーグルトはいいようです。花粉症の人は試されたらどうですか?

ほんと、やってみる価値あると思いますよ。(今の時点ではまだ分かりませんが、それでもずいぶん楽になりました。この調子で二月三月もいってくれたら最高ですね)

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1月 21 2016

死の意味

本当にもったいない話です。

この教えを勉強するなら、不幸なことが不幸でなくなるというのにです。

昨日の話をもう少し書きますが、あのNHKの番組では、その鎮痛剤を打った医師も、それを容認した家族もみな悩むのです。

自分が、その鎮痛剤を打った人を殺してしまったのではないのかとです。

殺したとまではいいませんが、実際このような行為は間違っています。こういうことをするなら、した人もまた何らかの罰は受けないといけなくなるでしょう。

それがどれだけよかれと思ってやっていることでも間違いは間違いだからです。(こういうところが、この世の修行の難しさですね)

この世の修行とはそのようなもので、どれだけ自分では人助けをしたと思っていても、それが間違った行為であるならば、罰は受けないといけないのです。

これと同様、植物人間になってしまった人をそのまま生かすのか、それとも点滴を抜いて殺してしまうのか悩むのも同じなのです。

植物人間の状態とは、もう肉体が事故などでどうしようもなくなって本来なら死ななければ(あの世に帰らなければ)いけないのに、その魂が肉体から離れず、それで意識がないままでも生きている状態をいうのですが、この植物状態になる人も同じなのです。

このような人も家族に愛があるなら救えるからです。

なぜ、このような状態になるのかといえば、やはりこのような状態になっている人が死の意味を知らないからです。

死の意味を知らないがため、もう自分の肉体はどうしようもないと分かっているのに、そのどうしようもなくなった肉体から魂が(本当の自分が)怖くて離れられないのです。

だから、意識がないまま生きているという状態が続いているのですが(例えば、脳などが壊れてしまってはもう意識は戻りませんから)こういう場合は、この怖がって離れられないその人の魂に呼びかけ、そうして祈ってあげるとよいのです。

「死ぬことは怖いことでもなんでもないのです。どうぞあなたはこの肉体を離れ、帰るべき実在界へお帰りください。神よこの方に光をお与えください。安らぎをお与えください。どうぞ正しくお導きください」

と祈れば、その人がそれを理解した時に、その魂は肉体から離れ、その植物状態の人は自然と死に至るということです。

マッ、実際はもう少し詳しく、そうして心行なども上げてやってあげないと、しっかり成仏できないとは思いますが、簡単に書けばこういうことなのです。

家族が愛を持って祈ってあげれば、その植物状態の人は、いつまでもその肉体にとどまらず、自然に亡くなるということです。

植物状態の人を持つ家族は、いろいろな面で(その人の世話だけではなく、植物状態を維持するためのお金もかなりかかるようですし)大変だと思いますが、そのような人たちも法を知るなら、誰に無理をかけることなく、自然によい方に導かれていくのです。(家族が亡くなるのがよいこととはいいませんが、昨日も書きましたが、その家族とはまたあの世で再会できます。とにかくこのような場合はまず生きている人が救われる道を選ぶべきなのです。それがしいては亡くなった人も救うことになるからです)

いいにくいことではありますが、死は避けられるものではありません。

どれだけ若かろうが、丈夫であろうが、死ぬ時は死ぬのです。では、その死の意味をよく知り、その心がけだけはしっかりしておいた方がいいでしょう。

死ぬ間際に慌てて取り乱しているようでは地獄行きだからです。(またこの植物人間のように肉体に執着し、死を恐れているのもまた地獄であるからです)

その本当の死の意味を知ることが出来るのは、この法を勉強することだけなのです。(死はこの肉体の世界からの卒業でしかありません。肉体の世界を卒業したあとは今度は意識の世界で勉強するのです)

また、法を勉強するならばこれまで書きましたように、様々な苦しみから救われることが出来ますし、その苦しみを体験しないでもすみます。(心がよくなればおかしな病気やけがなどしないからです)

そうして、その苦しみから奇跡的に救われることも出来るのです。(ひどいけがや病気が奇跡的に治るということも当然起きます)

何度も書きますが、この教えを勉強するならばすべての面で救われて行くのです。

昨日、今日書きましたことは現実として起きていることであり、いつ自分がそのような体験をするか分からないのです。

他人事ですましておけることでもないでしょう。そういう時の対処の仕方など、すべて真剣に考えておかないといけないことなのではないでしょうか。

それがこの世の勉強であり、この世の修行は、いつ、どこで、どのようなことが起きるのか、自分の心の在り方次第で分からないからです。

私たちは明日死ぬかもしれないのです。

だからこそ「もういつ死んでもよい」そのような執着のない、やることをやっているからあの世に行くのもまた楽しみだ、といえるような生活を常に心がけないといけないのです。

この世も楽しければあの世に行くのもまた楽しみ、そのような死を怖がらない生活こそ、本当の楽しい生活であるからです。

現実を見ようとしない、自分のことしか考えない視野の狭い生活など、所詮はうわべだけの偽りの楽しい生活でしかありません。

そんな生活の仕方など砂上の楼閣でしかないのであって、いつその生活が壊れるか知れないもろいものなのです。

しかし、どのような場合にも対処できる智慧があるなら、どのような苦労が降りかかろうともそれに負けることなく、幸せな生活は続けることが出来ます。

どんな不幸が起きても、それを幸せに変えられるその実践こそ大事なことであり、その方法を知ることはなお大事なことなのです。(方法を知らないと実践できませんから)

そのような本当の楽しい生活をするためにも、法は勉強しないといけないのです。

法を知ることこそ、唯一の本当の幸せを手に入れることが出来る、その方法であるからです。

追伸…何か最近は力技が多いように思いますが、楽しいですか、そういうのって???

姿かたちばかりきれいにしていても救われません。心をきれいにしないと救われないのです。(今のままだと失格者が続出ですが…)

我を出すのではなくもっと愛を出されてはどうでしょう。

その愛が自分を救うからです。

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1月 20 2016

不幸なこと

北日本から日本海側は、大雪になっているところもあるようですが(北海道なんか大荒れですね。だから私はいっているのです。早く原発を動かした方がいいとです)今日は名古屋もずいぶん雪が降っています。(何センチくらい積もっているのか知りませんが)

この雪くらい真っ白な心の人が多ければ、このような災いも収まるのでしょうが、雪とは正反対の真っ黒な心の人が多いようです。だから、これだけ災いが続くのです。(少し前まで暖冬といわれ、さほど寒くなかったのに、一変に寒くなってこの大雪です。この極端さ。まさに多くの人の心を表しています。中道の心を持った人が少ないのです)

昨日でもそうです。

庄内川の帰りに行きかうほとんど人は、私の顔を見れば嫌がらせをして行くのです。横の道路を走るバスやトラックもブシュブシュやって行きます。(前に比べれば減りましたが、それでもまだそんなことをしているのです。〔本当に遅れています〕何かもう意地だけのような気もしますが)

この辺り、悪いことが止まらないので(今日も朝からサイレンが鳴りっぱなしです)それを全部、私のせいにして怒っているのでしょうが、そういう責任転嫁と八つ当たりを続けても汚い心がよけい汚れるだけです。(これ以上、心を汚してどうするのでしょう。しかも大人から子供までです)

サイレンなど、もう日本中で響いているのです。

なぜ、このようなことが起きているのか?

人のせいばかりにしているのではなく、もう少し謙虚になり、自分自身を反省してみてはどうでしょう。

そうすればまた別の答えも出てくると思うからです。

昨日NHKの番組で安楽死のことをやっていました。(正確には安楽死ではないのですが)

末期癌で余命数日という人に鎮痛剤を打って眠らせて、そのまま死を迎えるということは是か非かという内容のものであったと思いますが(簡単にいえばです)そのような番組内容はともかくです。

癌の末期になると、その癌の痛みはどんな痛み止めを打ってもとれないようです。(モルヒネを打とうが何を打とうがです)

昨日の番組に出て来た人も(爺ちゃんでしたが)「痛い、痛い」と顔をしかめながらベットに横たわっていました。

その癌の痛みがひどい時は一日中続くそうです。

その痛みを見るに見かね、そうして、そのような痛みが続いている癌患者は少しでも早く楽になりたいと、その鎮痛剤を打つことに同意する人もいるようですが、こういうことをしても結局同じなのです。

その鎮痛剤を打って眠らせて、そのまま死んで行くのなら、見た目はその方が楽なように見えますが、亡くなった人は、その癌の痛みを引きずったままあの世に行くことになります。

では、その痛みはそのままで、結局あの世(地獄界)で苦しみ続けるということになるのです。

そんなことをどれだけしたところで、見た目が楽そうなだけで、実際は痛みで苦しみながら死んで行った癌患者は、何も救われていないということを知るべきなのです。

こういう番組を観ていても思うのです。「だから、早く法を拡げないといけない」とです。

法が拡がるのなら、このような苦しみはなくなるからです。

そのような癌の苦しさに耐えかね、あるいは家族の苦しみを見るに見かねて、少しでも早く楽にしてあげたいと、どのような薬を打っても、実際に死が近くなれば、その苦しんでいる人を救うことは出来ないのです。

死が近くなればなるほど、すでにその苦しみは肉体の苦しみではなくなっているからです。その苦しみは心の苦しみでしかないからです。(だからこの世の薬が効かないのです。この世の薬は肉体にしか効かないからです)

しかし、心の苦しみであるなら、もう、この世の薬で癒す必要はないでしょう。回りの家族の愛で癒すことが可能であるからです。

実際に私は、その愛で(祈りで)末期癌の人の癌の痛みを癒したことがあります。(証人がいますから。その方は賛助会員の方ですから)

回りの家族に愛があるなら、薬などに頼らなくても末期癌の患者の癌の痛みはとれるのです。愛の心で祈るなら、その願いは天にきかれ、末期癌の患者の癌の痛みがなくなるという奇跡も起きるからです。

そういう奇跡が起き、末期癌の患者の痛みがとれるのであれば、もうその人が痛みで苦しむこともなくなり、家族がそれを見て苦しむということもなくなるわけです。

もう死期が近いという寂しさや悲しみは、もちろんあるのでしょうが、その寂しさや悲しみも一時のことなのです。

いずれ自分たちがあの世に帰るなら、また、その人と再会できるからです。

それならまた希望も湧いて「また、あの世で会えるのだから、これからあの世に帰るまでこの世でのことをしっかり反省して、あの世に帰ったら天上界で待っていてね」という話も出来るわけです。

法が拡がり、それを実践する人が増えるのなら、このようなことが可能になってくるのです。

そうであるなら、癌で亡くなる人も、またその家族も、それほど不幸とは思わないのではないでしょうか。死などほんの一時の別れにしかすぎないからです。(だから、死という言葉はもうなくした方がいいと思います。「あの世に帰る」これですね)

とにかくです。これほどの教えがあるのに、それを無視しているのが一番悪いのです。(だから悪いことばかり起きるのです)

この教えが拡がるのなら、世の不幸と思っていることがドンドンなくなっていきます。

いつまでくだらない意地を張っているのでしょう。

そのようなくだらない意地を張っていることが、一番の不幸なことなのです。

(末期癌の人の癌の痛みをとるなどということはよく考えたら凄い奇跡ですよね。法が拡がれば、そういう奇跡も普通に起きるのです)

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1月 19 2016

時代にあったやり方

今日は静かですね。(今のところはですが)

また、何か起きたようですが(朝早くにでかい音を立ててわざわざ教えてくれますから)悪いことを人のせいにしている間は、悪いことは起きます。

早く、そのことを反省し、愛と慈悲の心を持つようにしてください。そうすれば災いどころか奇跡が起きてくるからです。(この辺りの人たちは自分が悪いとは絶対に認めませんから。どれだけ悪いことが起きても自分が悪いとは認めません。〔責任転嫁しているだけです〕呆れますね)

その愛と慈悲の心で動いたお蔭で、急転直下奇跡的な解決がなされました。

よかったですね。元の鞘に収まったんでしょう。まさか元の鞘に収まるとは思いませんでした。(なんか揉めたくっているような記事も出ていましたので)これも一つの奇跡ですね。

ただ、元の鞘に収まったとはいえ、今のままではダメになります。今のままとは、今の心のままではダメだということです。

今の心のままでは、この問題がサラッと流れずにしこりとして残り、後々何らかの災いがまた起きることになるからです。

だから、このことをしっかり反省したら、今度はもっと自分たちの心を向上させないといけないのです。五人の心が今より向上して、そうして初めてこの問題は解決されるのです。(それは何でもそうです。大きな問題が起きたら、それを契機として自分の心を成長させないといけないのです。〔そのことをしっかり反省することはもちろんですが〕そうしないと、その大きな問題は後で必ずぶり返すからです。いったん収まった問題が後でぶり返して結局決裂した、という話はよく聞きますが、それは、その問題を起こした人たちの心の成長がなかったからです)

これだけ多くの人が関心を持ち(何せ、世界のニュースになりましたから)解散や分裂を心配したのです。

それに感謝の心を忘れず、愛と慈悲の心を一としてやるなら、この先何が起きても乗り越えられるでしょうし、そのような愛と慈悲の心の実践が自分の心を向上させることになります。

こういうこともあったと、後で笑って話せるくらい、大きな人になってもらいたいものです。(そうでなければスーパーサイヤ人にはなれません。〔?〕)

それにしても、この解散話が表に出てわずか一週間のスピード解決です。(普通ならもっと揉めるでしょう)

あの私と少し何かあった人が愛と慈悲の心を実践したから、このような奇跡が起きたのです。(ネ、私とケンカするとそれなりに教えられるでしょう。〔笑〕全然その教えが身になっていない人が多いんですが…特にこの辺りは。〔苦笑〕)

では、それに倣(なら)い、愛と慈悲の心を一として、今後の活動もやっていただきたいものです。そうすればまた奇跡が起きるからです。

もう、二十世紀然としたやり方は古いのです。(愛も慈悲もなく、ただ責任を取らせるだけのようなです。責任を取らせるにしても、必ず、愛と慈悲の心は忘れてはならないのです)

だから、すべてにおいて、変えないといけないのです。二十世紀(末法の世)と二十一世紀(正法の世)は全然違うからです。

二十一世紀には二十一世紀という時代にあったやり方があります。そのような時代にあったやり方をしていかないといけないのです。

そうすれば(何度もいいますが)奇跡が起きるからです。(奇跡が起きている私がいうのですから間違いありません)

二十一世紀は心の世紀であり、愛と慈悲と調和を重んじなければいけないのであり、それを一とするならば、奇跡は起き必ずよい方向に導かれて行くのです。

だから、これまで通りのやり方をしているところには災いが起きますし、これまでのやり方を変えないといけないことはたくさんあると思います。(愛と慈悲の心が少なければ少ないほど悪いことが起きます。この辺りもそうですし、あの騒がれているスキーバスの事故のようなこともそうです。海外で増えている、飛行機や客船で多くの人が死ぬという事故もそうです。愛と慈悲の心がなければあのようなひどい事故が起きる時代となったのです)

元々愛と慈悲がこもっているやり方であるなら、それは変える必要はありませんが、もう前例に沿う必要はないのです。

逆に、前例が愛も慈悲もないようなやり方であるなら変えないといけないのです。

そうしなければ損をするどころか災いが起きる、すでにそのような時代となっているからです。(だから憲法改正も必要なのです。二十世紀の憲法などもう時代遅れもいいところだからです。もっと愛と慈悲と調和ある憲法に変えないといけないのです。愛、慈悲、調和という神の心は、すべてのものに生かされないといけないからです。だから憲法といえども例外ではないのです。そのよう愛と慈悲と調和ある憲法が日本に出来れば日本に奇跡が起きるのです。神の心が日本の憲法に常に流れていることになるからです)

そう考えれば、なぜ現在これだけの災いが起きているのかお分かりいただけると思います。

多くの人が、二十世紀の心のままでいるからです。だから、これだけ災いが起きているのです。

すでに二十一世紀となり時代が変わっているのです。では、その世紀にあわせた心にならなければいけないのは当たり前のことであり、そのように心を進化、向上させないから悪いことばかり起きてくるのです。

小さな心で我ばかり通していればもうろくなことは起きません。

早くその小さな心に気づいてください。

それに気づいて、そのような小さな心を直すのならば、それだけでもう奇跡が起きる時代となっているからです。

(この辺りの人は時代に逆行しているのです。だから災いばかり起きてくるのです)

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