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12月 30 2010

今年の終わりに

今年も、過ぎてしまえばアッという間だったと思いますが、今年は私にとって本当にいろいろな体験をさせられた一年であったと思います。

四十日四十夜の断食から始まり(聖書に出てくる預言者ではないのですから〔笑〕…しかし私はこの間に不思議な夢を観ました)、一ヶ月入院した後、手足の痺れと痛みが引かなかったのでまともな仕事もままならず、仕方がないのでGTS心の研究所をまた自宅で始めて、ホームページを再開しブログを書き始めました。

すると、最初はそれほど書くこともないだろうと思っておりましたブログの内容が、次から次へと(心から)出てきてまだまだ書き足りない状況です(笑)。

実は白状しますと、去年仕事がなく家を出なければならないという時に、私が持っていたほとんどの本は古本屋に売ってしまい、今私の手元には高橋先生の本が二冊と園頭先生の本が数冊あるだけなのです。高橋先生や園頭先生の本をまた買おうと思っても置いておく場所もなく(何せ実家に居候の身ですから)、買うこともできません。つまり今年書いたブログのほとんどは、資料なしで書いていたのであり、分からないことは思い出しながら書いていたということです。

資料を何も持っていないと書くと、何かいい加減なことを書いていると思われてもいけませんので、このことは黙っていたのですが、しかし、今年もこれで終わりですしこのブログも(今の状態では)いつまで書けるか分かりません。今年の最後に本当のことを書いておいた方がいいかなとも思いこのことを書きました(笑)。

しかし不思議なことに先ほども書きましたように、資料がなくても書くことには困りませんでした。

何を書こうかと考える前にあれを書こう、これを書こうと書く内容がいろいろ出てきて、次から次へとブログが書けていくのです。そして、ある時は高橋先生が私の心の中に現れて(何か大勢の人の前で講演されているように)話をされます。高橋先生の講演を、まるでテレビやビデオで観ているかのようにアリアリと、私の心に高橋先生が映り話をされるのですから不思議でした。その話をそのままこのブログに書いたこともありますし、その言われている言葉が、すぐこのブログに書くようなことではなく、このブログに書かないでいると、その言葉がズッーと心に残りブログに書くまで忘れないのです。(ブログに書くとその言葉は心から消えました)

それに園頭広周師を書いている時、この時どうだったっけと園頭先生のことを思い出そうとすると、そう思ったとたん、その時あったことがポッカリ心から浮かんでくるのも不思議でした。この歳(来年五十になりますので)になりますと、一度忘れてしまったことを思い出すことはなかなかできません(同じくらいの年代の人はよく分かられると思いますが、忘れてしまったことを思い出すだけでも奇跡です〔笑〕)。それに何か聞いてもすぐ忘れてしまうことも多いのですが(笑)、この高橋先生と園頭先生のことに関しては、分からないことはすぐ心から浮かんでくるし、高橋先生が心の中に現れ話されたことはブログに書くまでまったく忘れませんでした。不思議といえば不思議です。

それ以外でも、ブログを書いている最中にこの先どう書こうと思ったとたん、書くことが心から浮かんできてスラスラ書けていったということも何度もありました。

自慢ではありませんが私は想像力もあまりなく〔笑〕、知識も(本は好きなのでかなり読みましたが)それほど豊富ということもありません。(学校の勉強などあまりできませんでしたし)

私のような想像力や知識もあまりない者が、本や資料もほとんどないのに、高橋先生や園頭先生のことがちゃんと書けただけでなく、それ以外のことも書けていった、ということは本当に不思議で、心の中より誰かが導いてくださっているとしか思えませんでした。それが誰であるか、ということは今の私には分かりませんが、この法を勉強していくことでいつかそれが分かる時がくるでしょう。

高橋先生が言われたとおり、まさに、神仏は自分の心の中にあるということです。

またそのような自分の心の中の現象ばかりでなく、地震の話しを書けば一日二日後に地震が起きたり、異常気象が収まったのではないかと書けば、そのすぐあとに日本中に強風が吹き荒れ大雨が降って、何も異常気象が収まっていないということを知らされたり、またキリストのことを書いた時に、アメリカの銃の乱射事件のことを書いたのですが、ちょうどその話しを書いている最中に、本当にアメリカで銃の乱射事件が起きて、その書いているブログの内容が、よりリアルになったということもありました。

私の書いているブログを振り返ってみると、何度も不思議なことがあり、私一人でこのブログを書いているのではなく、天が協力してくれているのだなということが本当によく分かりました。改めて天には感謝したいと思います。

そればかりではなく今年は本当に多くのスポーツ選手が、この法の流布に協力していただけました(笑)。天も喜んでいられると思います。私一人では多くの人に法に興味を持ってもらうことなど、とてもできなかったでしょう。その協力してくださったスポーツ選手や関係者の方々にも感謝の心で一杯です。(勝手に私はそう思っています〔笑〕)

本当にありがとうございました。

そんなこんなで今年はいろいろお世話になりました。来年は今年以上にお世話になるかも知れませんが、その時はまたよろしくお願いいたします(笑)。

来年は今年以上によい年にしたいと思っていますし、また、皆様方もそうなることを願っております。

どうぞよいお年をお迎えください。ありがとうございました。

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12月 27 2010

GTS心の研究所②

現在の私たちが思っている常識など正しいものもあれば正しくないものもあるのです。科学的常識というものがどれだけ間違っていることが多いか、それもこれから明らかにしていくつもりです。

では現代の宗教はどうなのかという疑問も出て参りますが、宗教は科学よりもひどいでしょう。

既存の宗教は、垢と埃にまみれた釈尊やキリストの教えをそのまま伝えておりますし、その弟子であった人たちの(パウロや日蓮、親鸞など)教えを、釈尊やキリストの教えと勘違いして伝えてもいます。

二千~二千五百年前の教えが、そのまま正しく現在にまで伝わっているということは本来ありえませんし、その垢と埃を払い、釈尊やキリストが説いた本当の教えを伝えるのが、GTS心の研究所の役割の一つだとも思っております。また、パウロや日蓮や親鸞が釈尊やキリストの教えのどのような部分を間違えたのか、これもはっきりさせておきたいと思います。

しかし、一番問題なのは新興宗教でしょう。この新興宗教は、既存の宗教が祭式や葬儀を行い死後の救いを説くだけで、現実の救いをまったく関与しなくなった隙に興ってきたものですが、多くの宗教が現世利益を説くだけで、心を向上し悟りを開くという宗教本来の目的から外れ、現世利益だけが目的の利益肥大症の人々を数多く作り出し、人の本当の幸福である悟りへの道は説かず、今生幸せになりたい(現世利益をあげたい)のならもっと信仰しなさい、教祖様の言うことを聞きなさい、教団に寄付しなさいと自分たちの都合のいいように言って金を搾り取り、不幸な人々をたくさん出しています。

このような既存、新興の宗教の間違いを正し、本当の正しい教えとはどのようなものなのか、ということも明らかにもしていかなくてはならないと思っています。

本当の正しい教えとは古来より伝わる悟られた人の教え、すなわち釈尊、キリストが説かれた教えそのものこそ真に正しいものであり、それを直接知ることがもっとも大事なことであるということです。

高橋先生が伝えてくださり、それを園頭先生がより分かりやすく私たちに教えていただけた“法”(神理)とは、釈尊が説かれた“魔訶般若波羅蜜多心経”(マハー・パニャー・パラー・ミター・チター・スートラ)『内在された偉大な智慧に到達する心の教え』ということであり、この法を知って実践していけば、一人一人すべての人の心の中にある偉大な智慧に到達することができ、その先にある“宇宙即我”(悟り)の境地に到達することができるのです。

この“法”こそ本当の神の教えであり、人々が依り所としなければならない真の心の教えなのです。この教えが正しいものであるということは天が証明してくれることでしょう。そのような現象が現れている人々が、すでにスポーツ界には出ています。

来年はもっと多くの方々が、私の言ったことの正しさを多くの人の前で明らかにしてくれるでしょう。いよいよ本物の教えが、多くの人々の前に拡がるときが来ているように思います。

この世界のすべてを現された偉大な神の存在を知らせ、その神の心を正しく世の人々に伝え神と同等の力を兼ね備えた愛と慈悲の塊の方々の存在、そしてそのような方々が伝えてくださった、本当の神の心を知らせるため“GTS心の研究所”は設立されました。

これがGTS心の研究所設立の本当の意味です。

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12月 24 2010

GTS心の研究所①

そろそろGTS心の研究所設立の本当の意味を書いておきたいと思います。(といってもプロフィールに書いてあることがウソということではありませんが)

私が設立したGTS心の研究所のGTSは、今まで教えてもらった師の頭文字を取ったものだと、このホームページのプロフィールのところに書いておきましたが、TとSはそれぞれ高橋先生と園頭先生の頭文字を取ったもので分かられると思いますが、ではGは誰かということになります。(前にそのような質問を受けたことがあります。その時ははっきり答えませんでした)

このGは人ではありません。God(ゴッド・神)のことです。

はじめからGTS心の研究所のGを神というと、多くの人におかしな宗教であると思われてもいけないと思い(すでに思われているのかもしれませんが〔笑〕)、今まではGの頭文字を聞かれたときには適当に言ってごまかしてきました。

しかし私のブログを読み、多少なりとも“法”というものを理解された方には分かられると思いますが、この神という存在を無視しては、この世界のすべてのことは始まらないのです。すべては神を一としなければならないのです。

別に神という呼び方に抵抗がある人は“超大意識”でも“超大エネルギー”でも“創造主”でも何でもかまいません。神はそのような小さなこと気になさらないからです。

現在の科学は神の存在を認めておりません。しかしそれは、現在の科学に謙虚さが足りない大きな証拠でしょう、現在の科学が神を認めないというのであれば、大宇宙はなぜ発生したのでしょうか?

何もないところからいきなりビッグバンが起こり、大宇宙が発生したということであるならば、そのビッグバンが起こるだけの超巨大なエネルギーはどこからかかったのでしょう、大宇宙をつくろうという超巨大な意志はどこからきたのでしょう、無から有の物質を発生せしめるだけのエネルギーとはどのようなものなのでしょう、このような幾つかの疑問に科学的に答えてほしいものです。

科学は今私が疑問に思った、二~三のことにさえ科学的に答えることなどできないのです。大宇宙が発生した意味などさっぱり分からないし、ビッグバンが起こるだけのエネルギーがどこからきたのかも分かりません。そして急にビッグバンといわれるほどの大爆発が起こり、何もないところから、どのようにして現在のような空間が現れ星となる物質が現れたのか、ということもまったく説明できないのです。だいたい現在の科学では無から有など何も作り出せないのですから、何もないところから空間やら星となる物質が、どのようにして現れたのか説明できるわけがないのです。

現在の科学が、ずいぶん進んでいるように多くの人々は思っていますが、現在の科学は地球上の物質がなければチリ一つ作り出せないのです。

大宇宙の大きさを考えてみてください、無限と思われるほどの大きさで無数の星々が点在しています。しかし、その星のどれ一つとっても自分勝手に動いている星などありません。まるでコンピュター制御されているかのように、秩序正しい運行がなされ自転公転しています。

この大宇宙のような(大宇宙だけではありませんが)神秘で不思議なものが、現在の科学が言うように何か勝手に出来上がったと思われるでしょうか?だから私は現在の科学も、科学教という名の一つの宗教にしか過ぎないといっているのです。

それを創るだけの意志、超巨大エネルギーなくして大宇宙などできあげるわけがないのです。これだけのものを創造し、現在に至るまで正確に動かし続けていられる偉大な存在、それが私たちが神と呼ぶ、超巨大な正しき意志と超巨大なエネルギーを備え持つ存在なのです。

だから私はこの世界のすべてをつくり、現在においても動かし続けていられる神の存在を無視することが、どれほど無知で不遜なことなのかそれを知っているため、神を一として、そしてそれを教えて下さった高橋先生と園頭先生の頭文字をいただいて、このGTS心の研究所を設立しました。(G神とT高橋先生とS園頭先生の教えを正しく伝える心の研究所という意味です)

GTS心の研究所は、神の存在や高橋先生と園頭先生が本当の救世主であり、神の使いであったということ、そして現代がいかに間違った考えに支配されているか、ということを多くの人に知らせでは何が正しいのか、ということを伝えるため設立したものです。

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12月 22 2010

高橋信次師の後継者⑥

園頭先生はこのことを書かれた二ヵ月後に倒れられ、その後この方のことは何も言われずに亡くなられます。

したがってこの方が今どこにいるのか分かりません。分かりようがありません、園頭先生がこの方を誰とも言われずに亡くなられたのですから。(それに園頭先生がこの手紙を書かれてもう十五年もたっています。その方はすでにこの世にいられないのかもしれませんし)

しかし、それほど法に実績がある方であるならば、いずれにしても時が来れば出てこられることになるでしょう(まだ生きていられればの話ですが)。そうしなければ、この方は神との約束を反故(ほご)にするばかりでなく、自分の使命も果たせません。

園頭先生にこれだけのことを言われた方は今までいません。

高橋先生の弟子の中には釈尊の弟子でいえばモンガラナー、カシャパー、プルナー、ウパリ、ラフラなどの十大弟子やキリストの弟子で言えば、パウロやピリポあるいはヨハネといわれた人も出ておりました。

そのような仏典や聖書に名が出ているような人たちが、たくさん今生は高橋先生とともに生まれ、高橋先生の下に集まっていました。(なぜそれほど多くの人が今生高橋先生とともに出てこられたか、もちろん理由があります)当然、園頭先生もそのことはご存知でしたし、そのような方々と過去世の言葉で語りあっていられる場面も、ビデオにたくさん残っています。

しかし、そのような人たちを知っていながら、そのような人たちにさえ「日本の運命を替える」などということを、言われたことなど一度もありません。(もちろん正法誌にも一人の人に対して「日本の運命を替える」ということを書かれたのも、この方が最初で最後でした)

ずいぶん大物が正法会にはいられたということになりますが、まだその人が健在であるならばいずれ出てこられることでしょう、でなければ園頭先生が最後に「日本の運命を替える」と書かれたことがウソになってしまいます。園頭先生は正法誌にいい加減なことを書いていた、と後世思われては、それこそ恩師の顔に泥を塗ることになります。

園頭先生に「日本の運命を替える」と書かれた人がいるのであれば、その人は、石にかじりついてもそれをしなければならないのです。

園頭先生は特別この方に後を託されたわけではありませんが、そのような方が正法会にいられたということであるならば、その方が現在も変わらず高橋先生や園頭先生のことを思い、法をよく勉強し謙虚にやられているのであれば、必然的にその方が園頭先生の後を継いでやられるべきでしょう。

その方はそのことを知っていると思います、すでに“知らせ”は来ているはずですから。

天からヤハウェーが力を貸したのはモーゼでした。そのモーゼの後を継いだヨシュアにもヤハウェーは教え導き力を貸しました。その後エリヤやエリシャにも力を貸して、キリストの上にもでてこられます。(新約聖書にはエホバと書かれてありますが、これはヤハウェーのことです)

本物の神の使いには天が力を貸してくれます。

その方が本物であるならば天が力を貸してくれるでしょう。その方が本物で法を今も変わらず勉強しているのであれば、その人が高橋先生から園頭先生へ受け継がれた法灯を、受け継いでいるということになります。ということはあとの高橋先生や園頭先生の、教えを継いでいるやらなにやら言っている人は皆偽者ということになります。

いずれにしても法の系統はまだ途切れていないということです。

現在は多くの偽者が神の名をかたり、神理をまねた偽の教えを説いている時代なのです。

誰が本物で誰が偽者であるのか、一人一人が自分の判断で見極めなければならない時が来ているのです。

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12月 20 2010

高橋信次師の後継者⑤

園頭先生は二十年近く正法誌(正法会で毎月出していた月間の冊子)をほとんど一人で書かれていました。私はその正法誌を全部読みましたが、このような不思議な文章を一人の人宛に書かれたのは多分これだけではなかったかと思います。

正法誌の1996年三月号に、次のような書き出しでその手紙は書かれています。

「 ある人への手紙

あなたとの出会いによって、日本の運命を替えることになりましたことをお互いに祝福いたします。忘年会へのご出席ありがとうございました。……」

この後は高橋先生が予言されたこと、現状の正法会のこと、そしてこれから先はこのようにしていきたいという園頭先生の考えが書かれてあり、

「あなたとの出会いも不思議でしたが、ともにそれぞれの立場で、日本、そして世界を救うことに力を尽くして行きたいと思います」

という言葉でくくられています。

園頭先生はこの年(この号の前の年ですから1995年です)の忘年会に出席された誰かに向かって、この手紙を書かれたのです。

この文面から推測しますと、多分この年初めて園頭先生のいられる忘年会に出席されたうちの誰かだと思われます。(もしこの手紙に書かれた人が、前から何度も忘年会に出席されているのだとしたら、このような手紙を今さらわざわざ書くのもおかしな話ですので)

すると、それほど多くの人ではなく(園頭先生を囲んでの忘年会は東京、名古屋、大阪など毎年何箇所かで行われましたが、参加人数はそれほどでもなく数十人程度で、だいたいが同じような顔ぶれで、その年初めて参加される人などそれほど多くはありませんでした)その中の誰かが、園頭先生と出会うことにより日本の運命を替え、世界も救っていく力がある、ということになります。

園頭先生や高橋先生の弟子たち以外で、まだそのような大きな使命を持った人が日本に生まれていて、その人が園頭先生の身近にいられ、園頭先生はそのことを知っていられた、ということがこの文章からはよく分かります。

園頭先生はこのことを正法誌に書かれた直後に倒れられます。(この手紙が書かれた次の号で園頭先生が直接書かれた正法誌は最後でしたので)まるでこのことを書くことが法を伝える最後の仕事であったかのように、園頭先生は力尽き倒れられるのです。

日本の運命を替え世界をも救っていける人なら、さぞ大勢の人の中にいてもよく分かる人なのでしょう、そのような人ならどこにいても観る人が観たら分かることでしょう。

しかし、現状こういう人(使命の大きな方)は(高橋先生が日本に出世されるということで)たくさん日本に出ておりますが、しっかりとその使命を果たされた方は高橋先生と園頭先生のお二人だけで、仮にまだそのような大きな使命を持たれた方が残っていたとしても、ちゃんとその使命を果たされるかどうかはその人次第です。(今生は失敗した光の天使たちがあまりにも多く、このような人がいるというだけでは、法が拡がるかどうかは分かりません)

過去世の実績があればあるほど、使命が大きければ大きいほど今生の勉強が大事であるということです。

今生この方が法の勉強をしっかりしていれば、時が来ればそれが外に現れてきて、いやでも多くの人に知られるようになりますし、勉強していなければそれが外に現れてくることはありません。

私は過去世の名などあまり意味がないと前に書きましたが、それでも過去にまったく法を学んでない人が、今生いきなり法を説くということなどできません。過去世の修行があって初めてそれは心の奥より智慧が上がってくるのであり、それは素質がない人がいくら野球やゴルフが好きだからプロになりたいと思っても、プロになれないのと同じです。

法にしても野球やゴルフにしても、過去世にそのような勉強(野球やゴルフで言えばそれとよく似た運動でしょうか)をよくしていたので人より以上にできるのであり、過去の実績が今現れている(もちろん今生の努力があってということですが)ということなのです。過去の実績がなければ、今生いきなり法を説くことも野球やゴルフがよくできるということもありません。(よくそのような人の中でも天才と言われる人がいますが、それは過去世でそのことを非常によく学んでいた人が、そのように言われるのであって、それが今生出ているのであり、素質がないといわれる人は、過去世でそのことをあまりやっていないので、そのことがまだあまりうまくできないのです。今生でうまい下手という差がつくのは、過去世の体験でそのことをよくしていたか、あまりしていなかったかの経験の差なのです)

このようなことを考えますと、もちろん過去世で実績のある人でなければ、法は正しく説けないということになりますが、では園頭先生が言われた日本の運命を替え、世界を救っていける人は一体どこにいるのでしょうか?

             

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