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8月 09 2010

男の役割女の役割

天なる父、母なる大地とよく言われますが、天は地に雨を降らせ生き物に生命の息吹を与えます。母なる大地は地に食物を実らせ、生き物のどんなに汚い汚物さえも浄化し、生き物を育みます。

この世のすべてのものには役割があり、その役割を無視してしまってはこの世は成り立っていきません。

このようなことを考えていただければ、現在言われている男女同権や、男女平等といわれることのおかしさが分かられると思います。

神は男と女をまったく同じようにつくられたわけではありません。男は男の役割を果たせるようにつくられ、女は女の役割を果たせるようにつくられました。

天なる父、母なる大地といわれますように、男は外に働きに行き、女は家にいて男の世話をしてエネルギー与えます。昔は男が望外の出世をすると「あそこの嫁さんがよかったから」と出世をした男よりもその嫁さんをほめたものです。

こういう評価は決して間違いではなく、やはり男一人ではそのような出世は望めなかったでしょうし、お嫁さんの内助の功があってこその男の出世だったと思います。最近は内助の功だの良妻賢母などという言葉を聞きません。これは男女平等、男女同権といわれるようになったことの弊害でしょう。

男女が平等に仕事をしあって一体どれほどの仕事ができるというのでしょう。男が女のようなこまごまとした仕事がどれほどできるのかは疑問ですし、女が男のような力仕事をそれほどできるとは思えません。細かい仕事が得意な男も、力仕事が得意な女も中にはいるでしょうが、それは少数派であり大多数の男が、細かい仕事はあまり得意ではなく、女は力仕事が得意ではないのではないでしょうか。それを平等にやってそれで仕事がはかどるのでしょうか?すべての男はこうしなければならない、すべての女はこうしなければならないとは言いませんが、やはり男は男の得意分野で力を発揮し、女は女の得意分野で力を発揮します。それが調和されたとき初めて何倍も何十倍もの成果が出るのです。

最近は女が家にいるのが罪悪のように言われ、またそれを真に受けて家庭をほっておいて、外に働きに行く女もいますが、では家庭内は誰が見るのでしょうか?

昔はよくできる男の後ろには立派な母がいて、よく出世する男の後ろには良き妻がいました。それは昔も今も変わらないと思います。生活ができないということなら、女が働きにいくことも仕方がないことですが、ただ家にジッとしているのはいやだとか、あれもほしいこれもしたいということだけで、外に働きに行くのは間違いでしょう。なぜなら女が家にいてする家事は男のする仕事と同じくらい価値があるからです。男が外に働きに行くことと女が家にいてする家事は、同じくらい大事なことであるからです。だから専業主婦は家庭にとって本当に大事な存在なのです。

最近は男なのに心は女で女らしい男や、逆に女なのに心は男で男らしい女を、性同一障害などという病名をつけて、わざわざ手術して男から女になったり、女から男になったりしている人もいますが、今生、男として生まれたからには、心に女になりたいという傾向があろうとなかろうと、男としての勉強をし、徹底的に男らしく生きなければならないのです。女として生まれたからには、女としての勉強をし、徹底的に女らしく生きなければならないのです。そうしなければその人の魂の勉強にならないのです。心が女で体が男なら手術して女の体にしても仕方ないといって、それを認めている人もいますが、それはその人の魂の勉強のことを何も知らないのです。男が女の体(またはその逆の場合も)になることを賛成している人たちは、その人のしなければならない心の勉強を邪魔しているのです。

男は現実社会を支配し、女は夫や子供を通して未来社会を支配します。

よい世界をつくるには男は男の役割を知って、それに向かって一生懸命努力し、女は女の役割を知って、それに向かって努力し続けるしか方法はありません。そうしないと自分に与えられた使命も果たせないのです。

役割を無視した平等や同権など正しいものではありません。今のような混乱した殺伐とした世の中になったのは、何でもかんでも平等という共産思想がはびこっているからです。

きたるべき未来が、今のような殺伐とした天変地変のよく起きる社会になるのか、それとも愛と調和と安らぎのある平和な社会になるのかは、今ある人々の心のあり方にかかっているといえましょう。

(ある方から寄付をいただきました。その方はほんの些少ですがといわれましたが、私がいただいたのはお金ではなく、その方の真心だと思っておりますので、金額は関係ありません。心より感謝申し上げます。名前は伏せてくれといわれましたので名前は出しませんが、本当に苦しいときなので助かります。このブログでお礼だけ言わせていただきます。

本当にありがとうございました)

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8月 06 2010

月の神秘②

     満月に向かって祈るカタツムリ

アメリカの女流学者であるマルゲリート・ウエブさんは、近くの海辺で取ったカタツムリを使ってある実験をしました。

海辺で取ったカタツムリを、東西南北の方向を示したガラス器具に入れておきます。するとそのカタツムリは、満月になると東の方にいざりよって、月に祈っているようなポーズを決まってとるのでした。

なぜ満月のときになるとカタツムリはこのようなポーズをとるのか、ノースウエスタン大学のブラウン博士の協力によって分かってきたことは、満月のときになると地球の磁力は強くなり、その磁力を強く感じる方向にカタツムリははっていくことが分かりました。このような地磁気への感受性は、ヒルのような軟体動物にもはっきり認められたとのことでした。

     ウニと満月

ギリシャの哲学者アリストテレスは、ウニの卵巣は満月の頃に大きくなるといいました。それから二千数百年たった現在においても、地中海沿岸の漁夫たちはそれを信じているといいます。ウニは七月から九月にかけての生殖期の満月の夜に生殖します。精子と卵子とが海に流され、そこで受精が行われるとすぐ卵巣と精巣が縮んで、月が欠けるにしたがって生殖細胞ができはじめ、満月の頃までに再び最大の成熟を遂げるというリズムを持っています。

     月夜のカニは身が細い

カニは満月の夜に生殖します。生殖後は精子と卵子とを放出して、全生命力を使い切った後ですから身が細ります。だから満月の夜のカニは買わないほうがいいのです。

     月の運行と潮の干満・人間の生死

満月のときに大潮となり、月が欠けるにしたがって潮が引いていくことは誰もが知っていることですが、昔から人は満ち潮とともに生まれ、引き潮のときに死ぬといわれています。統計を取るとたまに例外がありますが、だいたいそのようになっているようです。

女性の月経というのも、月の運行に密接に関係しています。スウェーデンのH・ローレル博士が女性の生理の統計をとったら、満月と新月の日だけに偏って、五十%以上も生理が増えていたとのことでした。

この女性の生理は、ずいぶん重い人と軽い人がいるようですが、次の二つの間違った心を持っている人は、生理が重くなると園頭先生は言われておりました。

その二つの間違った心とは、生理の血が汚いと思うことと、女に生まれて損をしたと思うことです。

一つ目の生理の血が汚いと思うことは間違いで、その生理の血が出てくれたおかげで健康に生活できているのですから、生理の血にも感謝しなければならないのです。このことと同様に、生理のようなめんどくさいことがあるから女に生まれて損をした、男に生まれていればこんなめんどくさいことしなくてすんだのに、と思う心も間違いで女に生まれたからこそ、女しかできない勉強ができるのであり(もちろん生理もその一つです)、女に生まれたことに感謝しなければならないのです。

この二つの心を正すと生理は軽くなるとのことです。

     ジャガイモのリズム

一九六〇年に、アメリカのイリノイ州にあるノースウエスタン大学の生物学者フランク・A・ブラウン博士は、ジャガイモの代謝と成長を研究して月の運行、潮の干満と同じリズムで、ジャガイモが地中で増えることを発表しました。

生物は太陽の運行と同時に、二九・五二日を周期とする月の運行と月が満ちたりかけたりすることによって、成長に大きな影響が与えられている事実が明らかになっています。

以上のようなことを考えましても、月をただ単に岩石の塊と見るのは間違いで、月が持つ神秘的な働きに対して不思議さを感じ、やはり月にも感謝しなければならないと思います。月が月としての役割を果たしていてくれるから、私たちは今のように生活していられるのです。もし月が月としての役割を果たさなかったら、私たちはまともな生活など望めないでしょう。

なんでもそうですが、この世界のすべてのものには役割があり、神の生命が宿っています。

このようなことを考えましても、人の心を豊かにするには、何でも科学科学というのではなく、お月様の中でウサギが餅をついているという話や、月を見て泣くかぐや姫の話をした方がよいのです。

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8月 04 2010

月の神秘①

最近寝不足が続いています。暑くて寝苦しいということもあるのですが、そればかりではなく、このところ毎晩のように寝ようと布団に入ると「これも書かなければいけない」「このように書いたほうが分かりやすいだろう」と、次々とこのブログに書こうと思っていることが浮かんできて、寝付けないのです。

昨夜もそうでした。テレビを見ていると眠くなってきたので、もう寝ようと布団に入ったとたん「あれも書かなければいけない」「このことも書かなければいけない」とブログに書こうとしていることが、次々と心から浮かんできて眠れないのです。もう書いてしまったことが浮かんでくるということはないのですが、まだ書いていないことが次々と浮かんでくるのですからたまりません。

このブログを書き始める前までは「そんなに書くこともないのではないか」「書くことがなくなったら高橋先生や園頭先生の本から抜粋して書けばいいや」と、書く内容の心配をしていたのですが、何が何がブログを書き始めたとたん次から次に書くことが出てきて、まだまだ書き足りません。何を書こうという心配よりも、何から書こうということの方が心配なのですから分からないものです。何か心の中から書きたいことがあふれ出てくるような感じです。

ブログを書く前までは、園頭先生に直接教えていただけたとはいえ、その教えていただいたことを全部覚えているわけでもないし、高橋先生や園頭先生の本を何度も読みましたが、その本の内容を丸暗記してるわけでもありません。そんなに書くことがたくさんあるとは思えませんでしたが、いざブログを書き出すと、書きたいことが次から次へとでてきて夜も眠れないほどです。それに前に書いたブログを読み返してみると「あれ、こんなことよく覚えていたな」と思える箇所もたくさんあります。不思議といえば不思議です。

もっとブログを書いてもいいのですが、あまり書いてもそんなに読む人もいないだろうと思い、一日~二日おきくらいのペースで書いているのですが、こう書くことが心の中から次々と浮かんでくると何か変な病気なのではないか?と思えてきます(笑)。何でこんなに書きたいことが浮かんでくるのか、何か書いているというよりも書かされているという感じがしないでもありません。

しかし、ブログを復活して五ヶ月近くたちましたが、支援者どころか問い合わせ一つありません。私のブログを見ている人は日に何十人かはいるようですが、あまり真剣に読んでいる人は少ないようです。(真剣に読んでいる人が多いなら、このブログに書いてあることの重要さはわかるでしょうし、それが分かればジッとはしていられないはずですから)

興味本位で読んでる人や、暇つぶしで読んでる人が多いのは残念なことですが、内容が内容だけにそれも仕方がないことなのかもしれません。やはりまだ唯物無神論が大勢を占めている現在、私の書いているブログの内容は、あまりにも現実離れした話が多く、もう一つ信じられないということもあるのでしょう。

仕方がないといえば仕方がないことですが、しかし、私は作り話や嘘を書いているわけではありません。興味本位でも暇つぶしでも何でもかまいませんので、読める人は読んでおいてください。いずれこのブログに書いてあることは証明されることになるのですから。

あまり真剣に読んでいる人が少ないとなると「そんならもう書くのやめ」ということにもなるのですが、しかし、先ほども書きましたように、これだけ書いてもまだ書き足りないようで、夜眠れなくなるくらい書きたいことが浮かんくるのです。これでブログを書かなくなったらどうなるでしょう。考えただけでもゾッとしますので、完全な不眠症にならないためにも、書きたいことは書いておきたいと思います。

前回のブログのときと同様、いつまでこのブログが書けるか分かりませんが、書ける間は書きます。

話の内容が題名とまったく違う話になってしまいましたが、そろそろ話の内容を題名の内容に戻そうと思います。

アポロ11号が月にいってから、月を単なる岩石の塊と見るようになり、昔のように月にはウサギがいて餅をついているとか、かぐや姫は月に帰った、というような神秘的なことを話すことも少なくなりました。

しかし、月の作用には神秘的なところがたくさんあります。月をただ単に岩石の塊と見るのはやはり誤りではないでしょうか。

園頭先生の「正法と結婚の原理」の中には次のようなことが書かれてあります。

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8月 02 2010

園頭広周師⑬

あるときこのような相談を園頭先生は受けました。

たまたま園頭先生が伝道先で泊まった大きな旅館の主人から「便秘が治る方法はないでしょうか」と聞かれます。その主人は便秘がひどいときは一ヶ月も続き、一ヶ月も便がでていないと、あくびをすると口からうんこのにおいがしてくるとのことでした。

よくよくその主人の話を聞いてみると、旅館の主人といっても、その人はある小学校の校長先生でした。その奥さんが旅館の娘でこの校長先生は養子で、学校から帰ると旅館の主人もやっているとのことでした。

外に出れば校長先生なのでその土地の名士なのですが、家の中では養子でしかも奥さんの方がその校長先生より何倍も収入が多いものですから、奥さんにはまったく頭が上がりません。その話を聞いた園頭先生は、またいつものように心の中で天に祈りました。すると便秘の原因は奥さんにあるという思いがあがってきました。

この園頭先生がされている心の中で聞くという方法は、何も園頭先生だけが特別にできるということではありません。昔から「大事なことは腹で考えろ」といわれていました。昔の人は、大事な決断をするときは頭で考えるのではなく、腹で考えて決断していました。頭で考えていると、いろいろな考えが浮かんできて迷ってしまうのですが、腹で考えていると一つの思いしか浮かんでこず、しかもその思いが正しいのでよい決断ができるのです。

腹で考えるとは意識を下の方に持っていって、じっくり考えていると良い考えが浮かぶという意味で、園頭先生がされていることと同じことです。これは腹(というか実際は胸ですが)には心があり、その心からでてくる思いが正しいことを昔の人は知っていたようで、それでこのように昔から言われていると思われます。園頭先生もされておりますが、このような考え方は正しいもので、大事な決断をするときは頭で考えるより、腹で考えた方がいいのです。心は天とつながっています。頭でごちゃごちゃ考えるより、静かにじっくり腹で考えた方が、正しい考えが浮かんでくるのです。

「ちょっと奥さんを呼んできてください」と園頭先生は言われました。

するとその主人は「私の便秘と家の嫁とどういう関係があるのですか」とびっくりしています。

その人が奥さんを呼んでくると、園頭先生は三十を少し過ぎたばかりでその人の奥さんは五十台です。しかも大きな旅館の娘ということもあり、プライドも高そうでかなりしっかりしたタイプでした。

「何であたしが旦那の便秘と関係あるのよ」ともいいたげに、少々ふてくされ気味に園頭先生の前にその奥さんは座られました。年も園頭先生が下であり、その奥さんがふてくされるのも無理はないといえば無理がありませんでした。

「ご主人の便秘の原因はあなたにあるのです」

いきなり園頭先生はそういわれました。

園頭先生は個人指導の結果を早く引き出そうとされる場合、こうした相手の意表をつく唐突な質問をされることがよくありました。しかし、それをされた旅館の奥さんの方は主人の便秘は主人の便秘、あたしには関係ないという表情がありありと見えました。

「あなたはご主人のことを、養子でもあるし貰う収入も自分の方が多いので、下男のようにしか考えていませんね」

そう園頭先生に言われると、その奥さんは真っ青になりました。自分が主人に対していつも思っていたことをズバリと言われたからです。

一瞬でその奥さんの態度が変わりました。それからは園頭先生の独壇場でした。「陰陽の調和」と「男女の役割」をその奥さんに懇々と説かれました。

養子というのは結婚の手続き上の問題であって、それには関係なく男女の役割は存在しています。校長先生であるこの主人にとっては、男勝りで何でも口を出す奥さんのあり方に、腹は立っても校長先生という立場上、派手な夫婦喧嘩をするわけにはいけません。町の名士でもあり何があっても我慢の一手で通すしかありませんでした。

ある宗教団体では「ケチケチして出すものを出さないから便秘になる」といっているところもありますが、そういう心もまったくないとは言いませんが、それよりも心がズッーと緊張しているほうが神経性の便秘症になるのです。旅行に出ると便秘になるという人が多いのも心が緊張しているからです。

その校長先生は学校では校長先生として緊張し、家に帰れば奥さんに頭が上がらず緊張し、緊張のしっぱなしということで、それでひどい便秘をされているのでした。

この校長先生の奥さんが女としての役割を心得て、主人を立てるということをされるようになると、この校長先生は便秘をされなくなりました。

その人の悩みによっては、原因はその人にあるというよりも、別の人にある場合も多いのです。

このように的確に悩みの原因を話される園頭先生に、相談を持ちかけてくる人々の間で「不治の病が治った」「家出中の娘が帰ってきた」「夫の酒乱が治った」などの奇跡が次々に起きたのです。

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7月 31 2010

園頭広周師⑫

それを聞いたその女の人はハッとなりしばらく考えると、その当時のことを少しずつ話し出すのでした。

その人は家庭の事情で婚期が遅れました。気がつくと三十才を超えており(戦前の話ですので女性は皆早くに結婚して、三十才を過ぎるともうあまり貰い手はありませんでした)貰ってくれる人があれば誰でもいいと思って、知り合いから見せられた現在の夫の写真を見て、それほど悪い人にも見えなかったのでその人に決めたのでした。

戦前のことですので、今のように二人で会ってデートなどはせず、結婚式当日、初めてその夫となる人をその人は見たのですが(当時はそういうことが普通でした)、思わず絶句しました。

目の前に立っている自分の夫となる人が、白髪頭のおじいさんだったからです。前に見せられた写真はなんと二十年も前に写したものであったのです。

もっとよく話を聞いてから決めればよかったと後悔しましたが、今さら結婚を取りやめにすることもできず、泣く泣くその人と一緒になりました。しかし、嫌々一緒になったのですから愛などあるはずがありません。

自分が年をとって病気などしたとき、自分を世話してくれる子供が一人くらいいたほうがよいと思い、最初の子は我慢したのですが、あんなおじいさんみたいな人の子は二人とほしくないと思い、最初の子を産んでからは別々に寝ることにしました。ところが年をとっても男は男で、強姦同様にして妊娠させられてしまい「生みたくない生みたくない」と思いつつ生んでしまったのが、発狂した二男でした。

胎児のときに与えられた精神への影響は、その子が思春期頃になると爆発的に吹き出すのです。

その人は夫に対する思い、二男の胎教のときの思いをすべて反省されます。それでもすぐ二男がよくなったわけではありませんでしたが、自分が悪かったと心から夫と二男に詫び、そのような思いを心がけているうちに、二男の病気は徐々によくなり治っていきました。

園頭先生は天に感謝し、このような体験を通して園頭先生自身も成長していかれるのでした。

先生の生活は祈りに始まり祈りに終わる生活でした。この頃はまだ天に祈るだけで、何が自分に答えを与えてくれているのか、その存在ははっきり分かりませんでしたが、それでも自分の祈りに答えてくださる霊の存在は信じていられました。

あるときこんなこともありました。

園頭先生の話を聞きたがっているその人は、昼間は仕事があるので夜しか話が聞けないとのことでした。

それで園頭先生はその人の仕事が終わるまで、近くの神社で待っていることにしたのですが、神社の境内で休んでいるとその前を数人の中学生が通りました。

その中学生たちを見た園頭先生は「こういう若い人たちが将来の日本を背負って立つのだ」と思われ、その中学生たちを呼び止めます。そして法の話をその中学生たちに一生懸命されて、若い人たちだからと飴や菓子などを買ってやって、その中学生たちを「頑張れよ」といって見送ります。

その中学生たちが帰った後、フッと自分の財布の中を見ると百円くらいしか残ってなく、自分が食べる食事代がありませんでした。

園頭先生はこのようなことをたびたびされ、自分のことを二の次にして人に尽くされました。まさに愛と慈悲の塊であり如来の心そのものの方でした。

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