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8月 21 2014

私と他の人との違い

広島の土砂崩れ(土石流)は大変な被害となりました。(現時点で死者三十九人、行方不明者七人です)

近畿や岐阜の大雨といい、この広島の土石流や土砂崩れといい、何か盆明けから出る現象が激しさを増しているように思います。(前の会社に起きていることも激しさを増しているようですし)

これはやばいですね。多くの人々があまりに神に逆らい続けているため、天の怒りはもう相当なものであると思います。それが出る現象に現れているからです。

テレビなど観ても、なぜこのような状況になったのか、という説明ばかりで(メカニズムばかり説明されてもどうしようもありません)どうしたらこのような大災害から命を守ることができるのか、ということをいう人はいません。(せいぜい早めに避難してください、くらいのものです)

テレビは、ずいぶん頭のいい人がたくさん出ているはずですが、そのような頭のいい人をもってしても、このような異常な災害は防ぎようがないようです。

それはそうでしょう。今回の土砂崩れ(土石流)など、真夜中の三時間ほどの集中豪雨で起きたのです。皆が寝静まった真夜中に、たった三時間の集中豪雨、これで大きな土砂崩れが起きるのならこれはもう逃げようがありません。

地質が軟弱だの、場所が悪かっただのいわれても、そんな場所はいくらでもあります。もうどこにこのような集中豪雨が降るか分からないのです。では、どこに今回のような大きな土砂崩れ(土石流)が起きるか分からないということになります。(現実に、その前に集中豪雨があった京都や兵庫、岐阜など土砂崩れが相次いだようですし、京都の福知山のように、いつ大洪水に見舞われるかもしれませんし)

これだけ危ない状況が現れていても、それでもまだ「それは温暖化の影響だから仕方ない」ですか?「どこも異常気象が起きているんだから仕方ない」ですか?(それとも「それはお前のせい」ですか?)

これでもまだ神仏に手を合わせる気にはなりませんか?

ならなければ仕方ありませんが、昨日でも私がある場所を通ると、あちこちの家からドンとか、ガンとか、でかい音をたてられ嫌がらせを受けました。その辺りの人たちは特によく私に嫌がらせをしてくるんですが(前の会社のようにならないか心配です)私がどれだけいっても自分たちが悪いとは認めないようです。(ああいう場所はもう祈るしかありませんね)

「神からあの世から生まれ変わりから、何から何まで教えてもらい、散々心を救ってもらった者に嫌がらせですか?」といっても「ガン」。「知らん事をいろいろ教えてもらい心まで救ってもらった者に感謝もせず嫌がらせするんだから、それでは罰も当たるでしょう。そうしたらその罰までこっちのせいだ」といっても「ガン」。「何で、よいことしかしていない人に災いが起きるのか?よいことしかしていなければ、釈尊やキリストのように奇跡が起きなければいけないでしょう」といっても「ガン」。「何で、そんな善人に鳥が寄って行かなくて、私のような悪人に鳥が寄ってくるのか?」といっても「ガン」。「私のいうことに間違いがあるなら、反論したらどうか、私はいくらでも聞きますよ、あなたたちと違って」といっても「ガン」。

その辺りの人は、何一つ反論せず私のいうことに怒っているだけなのです。

自分たちが正しいというのであれば、堂々と反論すればいいのですが、一切反論はしないのです。

しかし、反論しないのはその辺りの人たちだけではありません。私が辻説法をしていて反論されたことなど一度もないのです。説法を聞いても無視して黙って歩いていくか、ビクッとするか、あるいはムッとして歩いていくかのどれかであって、誰一人立ち止まって私に反論した人はいないのです。

なぜでしょうか?

勝手に解釈させてもらいますが、反論をしないのではなくできないのです。反論できないからしないのです。つまり、私の説法を聞けば、自分たちが間違っていたと気づくから反論できないのです。(もう何百人という人に辻説法をしたのです。私が間違ったことをいっているなら、一人や二人は言い返して来る人がいてもいいと思います。私がやたらごつくて強面〔こわもて〕ならそういう人もいないかもしれませんが、私など、どこにでもいるただのオッサンだからです)

誰一人反論できないということは、私が正しいと認めることになりますが、そのような解釈でよろしいのでしょうか?

その解釈で間違いないと思います。しかし、もうそれは分かりきったことなのではないでしょうか。

実際、私には次々に奇跡が起きているのです。それに対し、私に嫌がらせをしている人たちには次々に災いが起きています。それに私が歩いていると鳥たちが「ピィーピィー」鳴いて寄ってきたりもします。しかし、私に嫌がらせをしている人たちに鳥は興味を示さないのです。

起きていることが天と地ほど違うのです。それは誰の目にも明らかなのです。これだけ起きていることが違っているのに、それでもまだ私が悪いというのはどう考えても無理があるでしょう。

それに私は人に嫌がらせなどしません。(やってきたらやり返すことはありますが…そうしないと分からない人たちもいるからです)人の悪口だっていいません。(批判はしますけどね)

私に嫌がらせをしている人たちはどうでしょう。人の悪口はいいませんか?(少なくとも私の悪口はいっているでしょうけどね)人に嫌がらせをしたことはありませんか?(それはすでにしてますね、私に〔笑〕)

あまりに私と、私に嫌がらせをしている人たちとでは、やっていることも起きていることも違うのではありませんか?これで私を悪人に仕立て上げても、第三者から観たら、どう考えても私に嫌がらせをしている人たちが悪い、ということになるのではないでしょうか。(そう思わないですか、他の都道府県の皆さん)

いろいろ教えてもらったのに、その教えてもらった私に一つも感謝せず、そういう自分たちが悪いのを棚に上げて、私に嫌がらせなどしているから罰ばかり当たるのです。その罰まで私のせいにしています。これでは名古屋に、救急車のサイレンが響き渡るのも仕方ないのではないですか?(それほどの悪いことを皆さんしているからです)

これだけの違いがあっても、それを一切認めず「悪いのはあいつ」と言い続けている人が多いのです。もうそのような人たちに相談しても仕方ないでしょう。(そういう人たちは、自分が悪いとはまず認めませんから)しかし、自分が悪かったと反省できる人がもしいるならば、私にご協力ください。

そうしないと、この名古屋で起きている恐ろしい現象は止まらないからです。(むしろ激しさを増しています。前の会社を見ているとそう思えます)

それはこの辺りの人だけではありません。全国的に見ても、恐ろしい現象が激しさを増しているように思えますので、これ以上、神を無視する態度はあまりに危険なのです。(そういう危険なことが次々に起きています)

何度もいいますが、私のことを知っている(それはすなわち法を知っている)人しか、この日本を救うことができないのです。

それに気づいた人はぜひご協力ください。

これほどのことが起きてきているのです。もう日本はかなり危ない状況であると思うからです。

最後に幕末の思想家、吉田松陰の名言を書いておきます。

「自ら顧みてなおくんば千万人ともいえども我行かん」

(自分で自分の言動を顧みて正しいと思うのならば、たとえその道を一千万の人が塞ぐことがあろうとも私は全うする、という意味です。これくらいの勇気をもって、行動してくれる人が出てきてくれることを願ってやみません。そういう人が日本を救うからです)

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8月 20 2014

人の傲慢さ

広島で大変なことが起きているようです。

短時間に記録的大雨が降って連続土砂崩れが起こり、二十人の人と連絡が取れなくなっているそうです。二十人とはずいぶん大人数ですが、それだけ大規模な土砂崩れが起きているんでしょうか?

今の時点ではまだよく分かりませんが、とりあえずその辺りの人は避難しないと危ないでしょう。そんな大規模な土砂崩れが起きているのなら、どこでまた大規模な土砂崩れが起きるか分からないからです。

とにかくここ数日の集中豪雨で、各地土砂崩れが相次いでいます。本当に現在の日本は危ない状況が続いています。

また、その危ない状況は自然現象だけではありません。

福島の原発事故の汚染水の処理も、まったくうまくいかず(氷の壁をつくろうとしてもなかなかできないそうですね)いつあふれ出すか分からない状況です。(この原発事故など危なすぎますね。汚染水の処理だけでなく、いつ原発の燃料棒がチャイナシンドロームを起こすかもしれないからです)

まったく危ないことだらけですが、この辺りも何が起きているのか知りませんが、前の会社など、一人二人完全にテンパってるのがいます。(一人で朝からガンガンやっています。他の連中が静かなだけによけい目立ちますね。この会社、次々に何か起きているようです。様子がコロコロ変わりますので)

本当に毎日毎日、おかしなことばかり起きて気が重くなる一方です。

やはり神に逆らい続けていると、このようなよくない状況ばかりが起きてくる、その典型の現象が現れているような気がしてなりません。

こんな状況になっても、それでも誰も神に頭を下げようとしないのです。驚くほどの傲慢ぶりですね。

昨日でもそうでした。金山に行ったのですが、私を凄い顔で見ている人もいれば、私を見てギョッとする人もいます。そうかと思うと普通の顔をして前から歩いてきて、すれ違いざまに何か嫌がらせをしていく人もいます。

どの人も私を見ると怒っているのです。私の顔を見て、いやらしそうな顔をする人など一人としていないのです。

これは何を意味しているのか?

そんな難しい意味でもありませんね。このような態度は、現在名古屋で起きている異常現象は「自分は何も悪くなくて悪いのはすべてお前」と思っている人たちばかりであるということです。

だから私の顔を見て驚くか、嫌がらせをしていく人ばかりなのです。今起きている悪いことは、すべて私が原因で起きていると思っているからです。自分たちが原因をつくっているとは少しも思わないからです。(だから私を見て、いやらしそうな顔をする人が誰もいないのです。今起きている異常現象が、自分が原因だとは誰も思わないからです)

これだけ悪いことが続いているのです。少しくらいは自分も悪いと思ってもおかしくはないのですが、現代の人たちはその考えを持とうとしないのです。

それはなぜか?

世の中がそのような風潮になっているからです。何か悪いことが起きても、それをすべて責任転嫁し自分たちの責任を絶対に認めようとしないのです。

これでは、どれだけ自分たちに悪いことが起きても、それは自分が悪いからそうなっているとは思わないでしょう。今の人から見たら、それが当たり前のことだからです。

自分が悪いなどという考えはどこにもないのです。

しかし、そのような考えが、いつの間にか多くの人を傲慢にしていると思わないでしょうか?

このような天変地変が続いていても、それは自然現象だから仕方ない、温暖化の影響だから仕方ない、で済ませて自分たちはまったく反省しようとしません。

自分が犯罪を犯しても、それは社会が悪いの他の人が悪いのといって、自分がした悪いことさえ反省しようとしないのです。

これでは傲慢にならない方がおかしいでしょう。

まして多くの人が神の心から離れています。神仏に頭を下げろなどといっても大笑いされるだけです。(神ってなに?意味が分からない、などといわれてです)

神仏に対し畏敬の念さえ忘れてしまった、そのような人々を、神がそのままにしておくと思われますか?

そのような、神仏の心さえ忘れた傲慢な人々ばかりだから、このような状況になっているのです。

そのような心の人たちだから、恐ろしい自然現象ばかりが次々に起き、悪い方悪い方に物事が行ってしまうのです。(原発事故などその最たるものです。あの原発事故は、天の助けがなければ絶対に収束しないでしょう)

現在の日本の最悪の状況は、このように多くの人が傲慢になり、反省を忘れ、責任転嫁ばかりしているため起こされているものです。

したがって、日本の人々がその忘れてしまったものを思い出さない限り、今の状況は悪くはなってもよくはなりません。

どれだけ恐ろしい現象を現されれば、その自分たちの傲慢さに気がつくのですか?

すでに多くの人に災いが起きています。一刻も早く、その自分たちの罪に気づかなければいけないのです。

追伸…同じ閣僚の下で、内閣を続ける戦後最長記録更新中である安倍内閣が、いよいよ九月上旬に内閣改造をされるようです。

その内閣改造も、やれ女性を登用しろとか、順番待ちの人がたくさんいるとかいわれていますが、あれなどマスコミが勝手に騒いでいるだけの、ただのネタでしょう。

そういう基準で大臣を選ばれたら、迷惑するのは国民だからです。

内閣改造は能力重視でお願いしたいものです。(当然安倍総理もそのおつもりでしょう)

順番とか、性別で選ぶとかはナンセンスでしょう。女性を登用するといっても能力がなければ意味がありませんし、そんな女性が少ないからと性別だけで選ぶなら、それこそ性差別ではないですか。(逆性差別です。女尊男卑です)

現在の日本は問題山積です。

中、韓、ロ、北朝鮮などの外交問題も難しい局面ですし、福島原発の汚染水の問題もうまくいかない。景気もまだよくなるかどうか分からない。

このような問題プラス次々に起きる天変地変に異常現象。

こんな時に能力がない人が大臣などやっても混乱するだけでしょう。

まだまだ日本は潰れるかどうかの瀬戸際にあります。今回の内閣改造の人選は本当に大事であると思います。

(神の心が分かる人が大臣になると、そこに次々に奇跡が起き、よくなっていくんでしょうが、なかなかそういう人もいません。この法が拡がらないのが残念で仕方ないです)

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8月 19 2014

世の災いの原因

如来の弟子たちの話をもう少し書きますが、それにしても今生は考えられないことが起こりました。

それが、如来の多くの弟子たちが如来を裏切るという、これまでの宗教史上ではありえない出来事です。

これまで一部の弟子が如来を裏切った(ダイバーダッタ、普賢、文殊、ユダなど)ということはありましたが、今生のように大部分の弟子たちが如来を裏切ったということは、それこそ宗教史上初ともいえる出来事なのです。

高橋先生の時は、その娘であった佳子氏に、園頭先生の時は未来の北村氏に、高橋先生と園頭先生の多くの弟子たちがついていったのです。この二人は自分の師を「あの人は間違っていた」と否定したにもかかわらずです。(佳子氏は高橋先生を否定し〔現在はGLAの二代目の教祖ということで、便宜上高橋先生を認めていますが、高橋先生が亡くなられてすぐの頃は佳子氏は高橋先生を否定していたのです〕北村氏は園頭先生を否定しました)

これは多くの如来の弟子たちが、如来を裏切る、如来の説かれた法を否定する行為であったのです。

なぜ、多くの弟子たちは如来を否定した者についていったのか?

それは肉親であったとか、会の幹部であったとかいう理由からであり、その人がいっていることが正しいか、正しくないか、という判断は一切しなかったのです。

これが、過去の弟子と今生の弟子との違いです。

過去の釈尊やキリストの弟子たちの多くは、肉親であるとか、幹部であるとかいうことにかかわらず、その人がいっていることが正しいか、正しくないか、師のいわれていたことを正しく継承しているどうかを判断し、そうして正しく継承している人についていったのです。(釈尊の弟子の中には、釈尊の一人息子であるラフラもいましたが、そのラフラが釈迦教団を継いだわけではありません。釈迦教団は迦葉が継いだのです。それがよい証拠です)

だから、釈尊の弟子たちやキリストの弟子たちは、釈尊やキリストがいられた頃と同じように奇跡を現したのです。

だから、後世、釈尊やキリスト同様、弟子たちもその名を遺すことになったのですが、今生の弟子たちは、如来の教えを否定した者についていったばかりに、誰も奇跡を現す人がいなくなり、当然、奇跡が起きないということは誰一人正しく法を説ける人もいないのですから、後世に名が遺るわけもないということになります。

別に如来の弟子たちが、名を遺そうが遺さまいがそれはどちらでもいいことですが、一番の問題は弟子たちがだめになってしまうと、如来の説かれた法が世に伝わらないということと、如来の名が後世に伝わらないということです。

法と如来の名が伝わらないことは、これは大変な問題なのです。

それはもう、何度も説明していますので同じことは書きませんが(法が伝わらなければ、どれだけ多くの人が〔後世も含めた〕救われないか分からないのです。天文学的な数の人が救われなくなります)とにかく今生、宗教史上初の出来事が起きたばかりに、世界中が大変なことになっているのです。

あちこちで起きている内乱、天変地変、このようなことはすべて、この法が伝わっていないから起きていることなのです。(高橋先生は「二十世紀末までに世界の二割の人が法に帰依する」といわれていました。ということは現在は2014年ですので、そのペースで行くなら現在は世界の三割から四割の人が法に帰依していてもおかしくはありません。〔二十世紀末に世界の二割の人が帰依したのなら、そこから増えるのは早いでしょうから〕それだけ世界に法が拡がっていれば、当然各国は今ほどのひどい内乱はしていなかったでしょうし、法が拡がっているのなら多くの人の心も安定します。では、今世界中で起きているこれほどの天変地変も起きなかったはずです。つまり現在の世界の混乱は、すべてこの法が伝わらなかったためといえるのです)

如来の弟子たちが如来を否定するという、宗教史上初の出来事が起きたため、世界では内乱があちこちで起き、観測史上初などという異常気象が次々に現れているのです。

だから、この法を(日本だけでなく)世界に伝えないといけないと私はいい続けているのです。

如来を否定した弟子たちは(今更肯定しようがです)もはや何の奇跡も起こすことはできません。すでに正しい法を忘れているからです。(その時、高橋先生や園頭先生を裏切らなかった弟子たちも確かにいました。しかし、そのような弟子たちも高橋先生、園頭先生が説かれたような正しい法を説ける者は一人もいなかったのです。だから、まったく奇跡が起きなくなったのです。これでは法を忘れてしまっているのと同じです)

しかし、奇跡を起こせる弟子もいます。では、その弟子が高橋先生、園頭先生が説かれた法を継承しているのであり、その弟子が法の継承者として世界に法を説いていかねばならないのです。

それが誰であるかを証明する現象は、すでに次々に現れています。

では、その者を継承者として、法を世界に伝えていかねばならないのです。それが遅れれば遅れるほど世界の混乱は増すばかりだからです。

いつまで私を無視しているのですか?そうして目の敵にして嫌がらせを続けるのでしょうか?そんなことを続けている間に、世の混乱は増し災いが次々に現れています。(法の継承者に逆らう、それは神に逆らう最たる行為だからです)

今の世界の現状、そうして今日本に次々に起きている災い、そのすべての原因は気づいている者が何もしようとしない、その一点にあるのです。

では、その気づいている人が動いてもらうしか世の混乱を収める方法はありません。

何度もいいますが、世界がこのように混乱の極にあるのは、一にも二にも私のことを知っている人が何もしようとしないからです。

(前の会社はまた何か起きたようです。〔明らかに態度が違います〕このように私の周りでは次々に現象が現れています。少なくともこの辺りの人は、それがよく分かっているはずですが、大丈夫ですか?それなのにまだ私に嫌がらせをし続けていてです)

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8月 18 2014

如来の弟子たちの今後

昨日一昨日は各地で大変な雨になりました。

岐阜県の高山市など、平年の八月の二倍の雨が昨日一昨日の二日間で一変に降ってしまい、川が氾濫しかけて、かかっていた橋は流され土砂崩れや冠水被害が相次ぎました。

京都府の福知山市でも一日の雨量が観測史上最高を記録、広い範囲で冠水被害が出ました。

その他、石川県や兵庫県なども大変な雨になり、土砂崩れなどが相次ぎました。

この二日間は近畿や東海、北陸など特にひどい大雨となったようです。

近畿、東海、北陸ですか…妙ですね。

何が妙かといえば、その大雨が降った地域です。昨日一昨日と大変な雨になった地域は、近畿は京都府や兵庫県、東海では岐阜県、北陸は石川県でした。

京都はもちろんですが、岐阜や兵庫や石川や福井などわりと多いんですよね。何が多いのかといえば、あの園頭先生を散々汚したと悪名高い(?)教育研究会未来の会員がです。

昨日一昨日は、その未来の会員が多いところばかりに雨がたくさん降っています。偶然にしては出来すぎていますね。

京都は未来の本部がありますし(その本部の辺りも〔中京区〕大雨になったんではないですか。京都市は十六日などかなり雨が降り鴨川が氾濫しかけたようですから)主宰の北村氏がこの辺りに住んでいますので、兵庫や大阪など近畿は元々会員が多かったのです。(その北村氏の自宅も冠水被害に遭ってたりしてね。どの辺りに住んでいるのか知りませんが)

それに昨日大雨になった岐阜県も、高山市の少し先にある古川町というところに固まって会員がいますし、高山以外で集中豪雨になった、関の辺りにも会員がたくさんいます。北陸の辺りもそうです。

もちろん他の地域も会員がいるのでしょうが、昨日一昨日の大雨の被害地域を見て、妙に未来の会員が固まっているところばかりに降っているな、とフッと思ったものですからそう書いたのでした。

多分、これは偶然ではないでしょう。ソロソロ、このような連中にも神の業が現れる頃だからです。

如来を散々汚してただで済むわけがありませんし、このような園頭先生の弟子たちだけでなく、高橋先生の弟子たちにも同じように何か起きてくるのではないでしょうか?

そのような時期がすでにきているからです。このような弟子たちは、一人として、正しい法を説いているわけではないからです。

正しい法を説いているなら、誰も私くらいの奇跡は起きるはずです。

しかし、このような人たちのつくるホームページなど見ても(あんまりよく見ていませんが)奇跡らしい奇跡が起きていないのです。(それこそ、ただの自然現象を勝手に奇跡と騒いでいるだけです。未来のホームページなど奇跡の奇の字も出てきません。)

これは正しい法を、このような弟子たちは伝えていない証拠であり、正しい法を伝えているなら、常にそこには奇跡が起きるのです。(釈尊しかり、キリストしかり、モーゼしかりです)

したがって、このような弟子たちがどれだけ勝手に「私が高橋先生の教えを継いでいる」と声高に叫ぼうが、それは口だけなのであって、どれだけその人のもとに人が集まっていようが、奇跡が次々に起きていないのなら、実際はその弟子が高橋先生の教えを継いでいるわけでも、正しい法を説いているわけでもなく、ただ人を集めるのがうまかった(口がうまかった)だけということです。

また、どれだけその人のもとに人が集まっていなくても、法を説いて次々に奇跡が起きている者がいるのなら、その人こそ高橋先生、園頭先生の教えを継いでいる本物の弟子なのであり、正しい法を説いている人なのです。(私に人が集まらないのは、きっと私が口下手だからでしょう。口のうまい人がうらやましいです。〔涙〕)

その如来の教えを継いでいる本物の弟子と、如来の教えを継いでいるといっているだけの口だけの偽弟子が、これから誰の目にもはっきり分かることになります。

起きてくることが全く違ってくるからです。

本物の弟子には次々に奇跡が、偽弟子たちには次々に災いが起きることになるからです。

だから、キリストが十字架にかかる前に、弟子たちに向かって戒めた言葉を今一度思い出さなければいけないのです。

「多くの者が私の名を名乗って『見よ、ここにキリストがいる』『見よ、あそこにいる』というであろうが、それを信じるな。偽キリストや偽預言者たちが起こって、しるしと奇跡を行い、多くの人を惑わすであろう。だから人に惑わされないよう気をつけなさい」

これまで「私こそ如来の教えを継いでいる」「私には如来が出て来られる」そういって多くの人を集め、惑わしている者がたくさんいました。

しかし、これからはそのような偽キリストや偽預言者たちに、次々に災いが起きて、その偽者に騙されている人たちが、自分たちの間違いに気づくことになります。(なぜ、正しい法を説いている人に不幸が起きるのか、という疑問を多くの人が持つようになり、そうして自分が騙されていたと気づくのです)

そうして、本物の如来の教えを継いでいる者には次々に奇跡が起き、逆に、その者を汚すようなことをしている人たちに次々に災いが起こります。(すでにこのような現象は現れていますが)

これからは、その起きる現象で、その人が本物か偽者かがはっきり分かることになるのです。

この二日間の大雨は、それを知らせることになった大雨であったと思います。

これからは未来の会員たちや高橋先生の弟子たちに、次々に災いが降りかかることになります。

そのようなことになる前に、そういう人たちに騙されている人たちは気づいてほしいものです。

本物の教えを継いでいるのは誰なのか、ということをです。

(未来の連中など、また癌になる人が増えているんじゃないでしょうか?そういう現象はこの辺りでもたくさん出ているようだからです)

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8月 17 2014

盆に思ったこと

昨日はずいぶん不安定な天気になったようです。

京都や兵庫、鳥取、高知、岐阜などで局地的大雨が降り、特に京都では一時間に百ミリの猛烈な雨が降ったところもあって、鴨川があふれかけました。

今日もすでに岐阜などで、一時間に五十ミリ以上の雨が降っているところもあり、大雨や突風などに注意が必要なようです。

しかし、今回の盆休みは台風に始まり(十一号が十日に上陸しました)ゲリラ豪雨で終わるなど、まさに現在の日本を象徴しています。

昨日もこのゲリラ豪雨で、近鉄やJRなどがストップして交通機関に乱れが生じたのですが、今日もそのゲリラ豪雨が続きます。今日は盆のUターンラッシュのピークでしょう。また交通機関が混乱するのではないかと心配ですね。(ということは、交通機関も混乱で始まり、混乱で終わるということになります)

盆休みが台風に始まりゲリラ豪雨に終わるなど、これだけ罰当たりな状況もありません。盆がこんな天気になるなど、ご先祖様も皆さんの態度にお怒りなのではないでしょうか。

罰当たりな態度もいい加減にされてはどうでしょう。

しかし、こんな天気では盆休みどころではないですね。この辺りでもそうです。(今日も朝からしていましたが)サイレンが凄いのです。

今年の正月休みもサイレンがやたらしていましたが、何か知りませんが、このような長い休みになるとサイレンが増えるような気がします。

このような現象は『仕事をしている時は反省しろといっても、なかなかそういう時間もとれないが、このような休みの時に、今起きていること、自分のしていることをよく考えろ』と天からいわれているように思えてなりません。

こういう長い休みの時こそ、ただ遊んでいるだけとか、悪いことを人のせいにして悪口いっているだけではなく(ほんとこの辺りの人、悪いことはすべて私のせいにしかしませんから)自分の心と行いを、じっくり考えるべき時であるのではないでしょうか。

何度もいっていますが、これほどの現象が起き続けているのです。これまでと同じ思いでいていいのでしょうか。

どれだけ美人であっても、どれだけかっこよくても、またお金持ちであっても地位や名誉があっても、すずめは寄っていきません。

なぜ、愛らしいすずめに人は愛されないのでしょうか?

もう少しそのようなことを考えてはどうでしょう。やたらすずめに愛されている者もいるからです。

私は、すずめに愛されるだけではなく、祈りまでよくきかれています。しかし皆さんはどうでしょう。まったく祈りがきかれることもなく、すずめも寄ってこない、もし、そのような人であるならば、それはどこか自分に悪いところがあるからではないですか?

「すずめなど寄ってこないのが当たり前」「祈りはきかれないのが当たり前」ではなく、現実にそうでない者がいるのですから、それができていない人は、どこか自分に悪いところがあると考えた方が正しいのではないでしょうか。

すずめはかっこうだけよくても寄って行きません。金、地位、名誉がどれだけあっても同じです。すずめはそんなものに興味がないからです。すずめが興味があるのはその人の心だけです。すずめは人の心が分かるからです。心のよい人にすずめは寄って行くのです。

それは祈りも同じです。祈りは正しく祈らないと聞かれませんし、自分の心が汚いまま祈っても(心と祈りが裏腹なら)そんな祈りはきかれません。

まず自分の心を正さなければ祈りはきかれないのです。

では、そんなすずめも寄ってこなければ、祈りもきかれない人たちが正しい人といえるのでしょうか?善人といえるのでしょうか?

そのような人たちをとても善人とはいえないでしょう。これまでのような「犯罪を犯さなければ善人」などという基準はとっくに崩れているのです。

すでに時代が変わっているからです。

それこそ「鳥さえも寄ってこないようではその人は愛のない悪人」「祈りがきかれないようではその人は心が汚い悪人」という基準にすでになっているのです。(私がそうなっているんだからそうでしょう。それなら見ただけで善人か悪人かすぐに分かります。これまでのように悪人に騙されるということもなくなるでしょう。その人にすずめが寄ってくるか、祈りがきかれているか見ていればいいのです。選挙で政治家を選ぶ時なども、その人がいい人か口だけの悪い人かすぐに分かります。そういう基準なら、正しい世の中がすぐに来るのではないでしょうか)

すずめも寄ってこなければ祈りもきかれない、そういう「自分に悪いところがある人ばかりだから災いが次々に起きている」と考えた方が自然なのです。

周りに次々に不幸な現象が起きているのに「それはお前のせい」と一人の者に原因を押し付ける方がよほど不自然ですし、これほどの現象が現れているにもかかわらず、それを全部責任転嫁している人の方がどう考えても間違っています。

もう盆休みも終わりですが、この盆休みはそのような天気により、いろいろ考えなければいけない期間であったように思います。

これで盆明けからまた同じような考えで、同じような行いをし続けるのであれば、同じような恐ろしい現象がまだまだ続くことになります。(すでに秋雨前線がかかり、台風もいくつも来ているのですから)

盆明けも同じ態度を取り続けるのですか?

それではまたどんな恐ろしい現象を現されるか分かりません。

すずめが寄ってくるか来ないか、祈りがきかれるかきかれないか、そのような基準で自分をもう一度振り返ってみてはどうでしょうか。

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